サッカーとハート :周りに敏感になれ2002-09-10

◇なぜにサッカー  どの年代の指導も難しい◇

神戸市に住所を移し17年。サッカーを始めて29年。私のサッカー人生の半分以上は神戸。しかもその大多数は現役選手というよりも指導者としての年月である。

サッカーを始めたのはなぜで、どういう理由でここまで続いたのかはっきりいってよくわからない。しいて言うならプレー中はいつもと違う自分を出せる(我儘になれる?)からだと思う。

ではなぜ指導者になったのか。どうしてこうも大変な目にあいながら(?)も指導者をつづけているのか・・・?

これはおそらく・・・○○○。いや本当は人間との付き合いがあることと簡単には片付かない問題があるから。

私は完成された大人の選手の指導とこれから心身共に発達していく成長過程の青少年たちの指導とでは青少年の指導のほうが長いのだが、いずれにしても指導とは大変難しいものであると思う。どちらも一難一易あり「どちらが面白い」だとか「どちらが大切なのか」と言った議論はナンセンスである。が、はっきりいえるのはどちらも大切(・・・・)であり、大変(・・・・)であるということ。

◇命題と継続◇

チャンピオンシップのサッカー(総合してスポーツ)であろうと健康のためのサッカー(スポーツ)であろうと共通して言えるのはサッカー(スポーツ)を通して“何を学ぶか”という命題を持つ事と続ける事なくして成長はありえないと私は考えている。

これは自分自身の指導の考え方であるのだがすなわち私が言う命題を持つとはこう言うことである。

プロになると言う明確な目標を持つ者もいれば企業に入るため就職率のよい大学に入る手段として捉える者等現実的な結果を求める場合とサッカーを通して健康な身体になりたい、協調性を養いたい、充実した余暇を過ごす(生活をする)ための手段としたい等間接的な効果を求める場合と様々なパターンの命題を持った選手がいるということ。いずれにせよサッカー(スポーツ)をプレーすることで”何かを学ぶ“という命題を見つけることが出来、それを実現させるための”継続“をすることが出来れば必ずや個人の人間形成の場や巣立っていく先の社会での“結果”がしっかりと出てくると考えているのである。

まあ、一方でそういった命題が年齢や環境によっては見つからない場合もあるだろう。しかしサッカー(スポーツ)をプレーしていく中で自分自身の命題を見つけていくことが出来るというのもまたサッカー(スポーツ)の良さなのかも知れない。これは選手も指導者もそうであろう・・・。

◇周りに敏感になれ◇

だからこそ指導者は選手たちのレベル、年齢、会話、日常、家庭、性格、友人関係、学校での様子、学校の様子等様々なものに気を配りそれに応じて負荷(頻度、回数、時間、等)を変える。そして手の届きそうで届かない目標を設定してあげる。これすなわち選手にとって最高の環境であり成長の秘訣ではないだろうか。これは周りに敏感になればこそ出来ることである。つまり私自身の命題は”周りに敏感になれ“なのである。

しかしこれが難しい。こういった目標設定はコーチの大事な仕事であるのは皆分かっているのだが難しい。指導者・・・ファイト!

◇質の大切さ◇

私が思うにコーチとしてもうひとつ気にとめておかなければならないことが“環境”である。

ただ芝生であるとかナイターがあるとかの物理的なことだけでなく“質”のことである。罵声を浴びせ怒ることで選手に緊張感を感じさせる、いわゆる恐怖政治方式の指導でなく、大切なのは[怒られるに相当するそのplay]が[今やろうとしているサッカー]に必要なプレーで在るか無いか?今しなければならないことなのかどうか?を常に考えさせ、『必要のないことをしていたらまずい、皆に申し訳なくてこの場にいられないや。』と思えるくらいサッカー(スポーツ)に集中していくことではないだろうか。

と言うことは指導者はまず絶対的に練習中は動き回り、集中し、声を出し続けることが大前提であり、そうした中で[今やろうとしているサッカー]がどういったものなのかの明確な提示、[怒られるに相当するそのplay]の解説をし、どうしたら良いのか、どうしたらミスをしなくて済むのかをレクチャーしなければならないのである。そしてやらせてみる。上手くいかなければドリル。出来るまで・・・。

やってみて 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば人は動かず

しかしこれも難しい。こういった環境設定は紛れもなくコーチの大事な仕事であるのは皆分かっているのだが難しい。再度エールを・・・。

監督、コーチ、先生、お父さん、お母さん

・・・ファイト!