芯を持て!売れ!

何日経ったことか・・・、「夏休みこそ時間があるから毎週書いたんねん!」と意気込み、ある人に豪語までしたのに・・・これや、情けない・・・。それでも「まだですか?楽しみにしていますよ」と言ってくれる人が多少なりともいてくれて・・・ありがたいものだ。このコラムごときを読んでくれる人がいる限り頑張って書くぞー!・・・と反省する今日この頃である。

家で寝る

大学の指導をするようになってめっきり遠征や合宿が減った私の夏休み(今現在9月中も大学生達は夏休みではあるが)。今年も40日間ある夏休み期間中、家で寝る日が家で寝ない日を上回った。わが家族は私が家にいるということに対してどうも不思議な感覚を抱いているようである。家族だけではない、私自身にとっても不思議な感覚、違和感はある。17年間ずっとそうなのだが、40日ある夏休み期間中、10日間も家で寝るか寝ないかの状態を過ごしてきた私にとって、毎日が学校と家の往復、しかも決まった時間に決まったところで練習を行う、と言う事への違和感、不思議な感覚はない。

環境は絆を強くする

神戸FC時代もヴィッセル時代もそうだったが練習会場といえば公共のグラウンド。しかもグラウンド抽選会に並んでくじを引いてこそ借用の権利があるのであってくじを引かなければ使用の権利そのものがない。ましてや希望の曜日、時間帯を使用しようと思えばより小さい番号のついたくじを引かなければならず、子供達の都合に合わせてグラウンドを手配するというのは至難の業でありグラウンドを使用できないという事態などは容易に起こりうるのである。それでいてグラウンドを借りられたら借りられたでそのグラウンドにトレーニング機材、補給用の水などのサプリメントなどを車で運んでいかなければならない。そんな生活を17年続けていたのだ。

おもしろい話がある。1999年、ヴィッセル神戸ユースは当時(今もそうであるようだが)三宮の南、海岸近くにある“小野浜球技場”という公営の土のグラウンドを借りて月曜日以外毎日練習をしていた。震災後に開設され、当初はナイター照明もなく(今もないが)、更衣室もないただ空き地があるというようなグラウンドであった。その後コンテナーを利用した簡易更衣室が二つとトイレが設置されたが、いまだに水道は散水栓しかなく照明は工事現場のナイター車両をレンタルで借りてグラウンドを照らしている状態である。当時の選手達は震災復興途中の街を見て「サッカー出来るだけでも幸せだ」と私らを泣かすような心意気を持ってトレーニングに励んでいた。その年の暮れに行われたJユースカップで初優勝を成し遂げたユースのメンバー達は今現在も全員、何らかの形でサッカーを楽しんでいるようである。トップチームに昇格した森一紘、大島康明(現ヴォルテス徳島)、陳賢太(現甲南大)をはじめ大阪体育大学(阿江)、関学(水田、新保)、甲南大(早野、河合、、谷)神戸学院大(藤谷、野間口、小菊)、大教大(長手)、国士舘、慶応等々。当時の彼らの後輩達もジュニアユースとして一生懸命練習に励んでいた。彼らの活動場所も悲しいかな小野浜グラウンドが精一杯であった。しかし愚痴一つ言わず頑張った選手達がつかんだ物は優勝というものであり、同時に互いの絆というものであったのだろう。どうやら定期的に当時のメンバー、ジュニアユース時代のメンバーも含め40人以上集まってはサッカーのゲームをしているようである。私も喜びは忘れないし選手達への感謝の気持ちは表しようのない大きなものである。

しかし、優勝の歓喜覚めやらぬ2000年、年明け早々、球団に更なる下部組織飛躍のためにせめて水道を設置して欲しいなどの環境の改善の話し合いをしたく(何処へどう話を持っていけば改善できるか等相談をしに行ったのだが・・・)部長の元に行ったのだがその時のリターンは『やったら出来るじゃないか。今の環境で十分だろ。』であった。そして03年の今になって「選手をしっかり下部組織から育てろ」と指令が飛んでいるらしい。ナイター照明車のレンタル料金を見て「どぶに捨てるようなもんやな!」と言い放たれた時代から見るとヴィッセルも少しばかり進歩しているように思われる。

そんなことはいいのだが、今大学という環境にいて何が幸せといえば、目の前にグラウンドがあり、機材置き場の倉庫があり、雨でも使えるのである。そして水道があり、更衣室がありシャワーまである。しかも温水・・・。欧米のスポーツ環境なら当たり前のことが日本では当たり前ではない。学校という施設が公共の施設よりはるかに整っている。こんな環境でトレーニング出来る喜びを我が校の学生にも感じ取って欲しい。だからというわけではないが1回生には練習前のグラウンド整備を課している。ポイントの跡一つ付いてない位にきれいなグラウンドにするため、釘を2センチ間隔に打ったお手製のトンボで毎日・・・。

“環境”はクラブの“芯”を作り、そして“芯”は球団そのものになる・・・だから“芯”なのだ

今年の40日間の夏休みの間に私はアディダスカップ第18回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会の仕事のためにJヴィレッジに一週間行っていた。それは技術委員として大会優秀選手を選考する仕事であったのだが久しぶりに全国大会に顔を出したもののJクラブの指導者の顔ぶれが半分以上代わっていたのには驚いた。これは良いことなのか良くないことか・・・。どっちともいえないがプロ選手になるにはこういった突然、もしくは年度のたびに監督が代わることに慣れるという意味ではよい事なのかもしれない。しかし、Jチームであろうと町クラブであろうと監督が代わるにしろ代わらないにしろ大切にしていかなければならないことは、いわゆる “芯” となるものは変えてはいけないということである。では芯とは何か?芯、すなわちそれがクラブ色である。そしてそのクラブ色となる “芯” がクラブの売り、セールスポイントとなる。あるクラブは “芯” を指導方針であると言うだろう。あるクラブは指導者自身であると言うだろう。また、クラブ自身の組織力、機動力がセールスポイントかもしれない。そういったそれ(芯)を見て世間のプレーヤー達(子供たち)が「どの球団(クラブ)がいいかなあ?自分に合っている球団(クラブ)は何処だろう?自分をどう育ててくれるのだろうか?」といろいろ考えて選択していくのである。良い”芯“を持っている球団(クラブ)に選手が集まるのは当然のことである。今や球団、クラブが選手を選ぶ時代ではない。選手が球団、クラブを選ぶ時代である。

現在の私の“芯”は・・・

それは現在の私とて同じである。姫路獨協大学サッカー部の芯は何なのか?どんなチームにしていきたいのか?どんな選手に育てたいのか?売りは何なのか?ということである。それがきちんと整えば、「だからこんな選手に来て欲しい!」ということになる。あまりプライベートな要求は公の場では公私混同なので差し控えるが簡単に言えば“芯”を作るということは指導に関すること・人に関することなどのソフト面と環境・サポート体制などのハード面とを確立させることである。今現在の姫路獨協大学サッカー部はそれらを整理していく段階であるのだがわずかずつではあるが変わりつつある。よい学生、社会人、人間を育成するには“素材”と“磨く方法”と“磨く機材”が必要なのである。素材は多数の先生方のおかげで早くも素晴らしい生徒が学生として入学してくれている。磨く機材として大学も積極的にサポートしてくれ、公式戦などはバスをチャーターして学生への金銭的負担を回避したり設備、機材の充実を進めている。後は磨く方法・・・、これは私の問題であり改善の余地が多いかもしれない・・・。
何が“芯”なの?と聞かれたら?

まあ平たく言えば
【サッカーをなめずに真面目に取り組み、サッカーを大事にしてくれる選手達と共にプレーしたい】
ということである。

この“芯”に興味を持って一緒にチームを作って行きたいと我がチームが選んでもらえるかもらえないかである。選んでもらえなければ衰退していくだけである。衰退がいやなら方策、方針を変えていくか・・・である。
どのチームも“売り”となるものを掲げなければならない。それをアピールする場?それは試合であり公の場への奉仕である。怠慢すれば忘れ去られていくのである。私の書いているこのコラムのように・・・。