指導のスタート

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月3日を終えた時点で、9試合中7試合を消化。4勝2分1敗、勝点14の我々は現在3位につけている。現時点での順位は下記である。

1位 関西外国語大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点13 総失点8 得失差+5
2位 大阪商業大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点 9 総失点4 得失差+5
3位 姫路獨協大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点11 総失点7 得失差+4

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>

大商大と我々は共に天理大学に負けている。関外大は京都教育大に負けている。その天理大は関外大に、京都教育大は大商大と我々に負けている。要するにお互い絶対的な力、安定した力が無いということだ。やり遂げる力、やり通す力がやはり大切である。しかし3.4回生中心の他大学に比べ先発の8人くらいを1回生が占める我がチームは今のうちにそれを身につけることが出来れば楽しみだと思うが・・・。

では、今日はひょんな話からこんなことを感じたという話題を・・・・。

「ある人に面白いことを聞かれた」とうちの家人が先日こんなことを言ってきた。何かと思えばある少年サッカー指導者が「昌子さんのご主人と昌子さんの息子さんって仲悪いそうですね?そう言う噂が飛んでるけどほんまですか?」と聞いてきたらしい。なんとも不思議な質問。どこでそう言う噂が出てきたのか?どの範囲に広がっているだろうか?と興味がわいた。そして人の噂というものはこわいものだと感じた。

私の親子関係において噂になるような事柄はなく、いたって平凡な仲の良い親子である・・・と思っているのは自分だけで、他人から見るとそうは見えないのか?ということになる。こういう噂が出るということはそう言うことなのであろう。我々親子は会話もすれば遊んだりもする。互いにじゃれ合うこともする。もちろん子供を怒ることもある・・・いたって普通の家族だと思っているのだが。誰が何を見たのか、その噂の類を連想させる行動が我々親子にあったのか・・・ということである。それとも他人がわが親子を妬んで噂を流したのか・・・。しかしこれは考えにくい。羨ましがられる事は無いからだ。

家人はこういった。「父さんは息子の試合のときには何も言わずにじっと見ているでしょ。チームメイトの親の近くにはあまり行かないようにしているのが変に写るんじゃない?お高く留っているとか、難しそうな人だと思われるとか・・・。」と。とは言っても子供の試合と私のチームの試合が重なるため、ほとんど子供の試合を観に行く機会がない私は、ごくたまに試合場に行ったとき「いや〜こんにちは!」と馴れ馴れしく傍に行けるものでもない。だからといって一人逆サイドで難しい顔をしていれば「変な人だな?難しそうな人だな?」と思われても不思議ではないだろう。それでなくても難しい強面なのだから・・・。はたまたほとんど観に行けないということが“薄情”な親に写るのか・・・。いずれにせよ噂というものは不思議で怖いものだ。そして日頃から誰が何を見ているかわからないということだ。人の振り見て我が振り直せ・・・ではないが“過去の振り見て今振り返り・・・”というところか。

根底の理念

これらは日常生活のみならず、仕事の場面や指導の場面でも同じことが言えるのではないか・・・?過去に自分が指導をしてきたチームでの競技成績やその練習内容、プラン、プロセスは本人にとっての大切な歴史であり、大切な記録である。それを誇りに思い、そう言う過去の経験・実績を基に、更なる飛躍をしていけばよい。しかしそれらは同時に何らかの噂の対象になりえるものである。だが、そういった範囲の噂・評判ものは、良いにつけ悪いにつけサッカー界の仲間、いわゆるごく一部の人たちだけでの事柄であり、その世界にいるものだけが知るものとなる。それよりもっと肝心な事は、そういった大切な歴史・大切な記録は一般のサッカーを知らない人たちにも理解され、応援してもらえる行動・言動・実践・プラン・プロセス・理念といったものと繋がっていることだと思う。平たく言えば“一般常識”や“しつけ”の部分である。自分で良かれとして計画したプラン、理念としてきた考え方などが単に競技成績として出たということだけでOKにしてはいないだろうか?満足していないだろうか?ということである。

“競技の成績”という数字で評価を表せられるものは、評価としてはわかりよい。明確であるからだ。しかし主観的なものに頼る評価は、評価者の裁量に左右される。評価する立場のものがしっかりとした一般常識、少年サッカー論、育成年代の特性・注意点、子供の心理状態・特性、体の特性などを理解していなければその指導者、そのクラブは発展、優秀にはなっていかない。そしてそれは選手を不幸にする。もっと言うなら保護者のサッカー以外の部分での子供のしつけに悪影響を与える。親が指導者以上に理念を持っていなければならないのである。

過去にこんなことがあった。ボランティアコーチが引率指導中に、子供たちが試合の合間に遊んで怪我をしたという。誰の責任か?ということで保護者がコーチに噛み付いた。「ちょっと待て。子供が朝、「行ってきます!」と家を出た瞬間、親というものは不測の事態に覚悟を決めて送り出さなければならない。後でどうこう言うならきちんと事実関係を知ってから話し合いを持つ。それがいやなら家から一歩も出さないことだ」とある保護者が言った。その瞬間に保護者会は結審。私も目からうろこがはがれた思いだった。子供を送り出す、子供を預かるとはそう言うことなのだ・・・と。そう言う根底の理念を持って初めて指導者のスタートに立てるのではないだろうか。サッカーの前に人である。命である。