まとちかサッカー日記 :小さなレフリー2017-06-24

みなさん、こんにちは。そしてお久しぶりです!前回の日記から1年以上も空いていることに自分でもびっくり!!笑 忙しかったとはいえ少し反省中です・・・。

2017年早くも半年が終わろうとしています。私はとうとう40歳になってしまいました。涙

一応これでも女ですので、あまり歳を公表したくはないのですが、昨年ありがたいことに2回も新聞でご紹介いただき、おかげで歳もバレバレになってしまいました。(新聞は必ず歳が出るので) その新聞に載ったというのは、ご覧いただいた方も多いかもしれませんが、昨年の高校総体・高校選手権の男子の兵庫県決勝で初めて女性審判員が入った(副審)ということで、取材をしていただくことができました。

兵庫県の女子審判員に対する理解もあり、今後の女子審判員の発展のために今回の割り当てを頂くことになりましたが、正直「もし自分が失敗してしまったら、もうこの後女子の審判員に同じ機会を与えていただけないかもしれない」という大きなプレッシャーもありました。

そんなプレッシャーと緊張の中で挑んだ試合でしたが、高校生たちのフェアで懸命なプレーに後押しされながら、審判団の一員として無事試合を務められたことにやりきれた気持ちとホッとした気持ちでいっぱいでした。特に選手権の決勝は、TV放送もある上、高校サッカーの一番の舞台とされている試合なので、県予選の決勝とはいえ見ている人も多く、予想以上の多く方からお言葉をいただいたのがありがたいなと感じました。

私は今、兵庫県で女子審判員の育成に携わっておりますが、日本全体を見ても、兵庫県だけを見ても女子審判員はまだまだ発展途上であり、人数もまだまだ少ないのが現実です。
今回、兵庫県で女子審判員に新しい舞台のチャンスをいただけたことを続けて、同じピッチに立てる、そしてそれ以上のピッチに立てる女子審判員が出てくるよう頑張らねば・・・と思っております。

最近は、いろんな形で日本だけでなく世界のサッカーも見ることができるようになり、また審判も見てもらえる機会が増えたのか、中高生で審判をやりたいと思う人が出てきました。

女子審判の中でも昨年から中学1年生の女の子が研修会などに参加するようになり一緒に頑張っています。

そして今年度に入ってからは、私がボランティアコーチをしている少年チームのリーグ戦に行った時の事、同じ6年生の他のチームの男の子が2人、指導者の方と一緒に私のところにやってきたと思ったら、その男の子たちは自分たちの名前を言った後に「審判やりたいんです」と言いました。小学生の子が審判を目指す!?予想もしなかった言葉にびっくりしました。「サッカーが上手くなって、サッカーを知ることも審判員として大事なことだから、今は選手としてもしっかり頑張ってね」と伝えましたが、それから同じ会場で試合を行っていて彼らが帯同で副審を頑張っているときはできるだけ見て少しでもアドバイスなどできればと思いました。

とはいえ彼らはまだ小学生、この先いろんなことを経験していくうちに「やっぱり審判より・・・」「やっぱりサッカーより・・・」違うことを目指すかもしれません。

それでも審判を頑張りたいと思ってくれているうちは少しでも力になれたらいいなと思います。

あの日、1級ワッペンを付けている私にキラキラした眼差しであいさつしに来てくれた顔は、今またいろんな壁にぶち当たり、乗り越えなければいけない私自身が勇気づけられた気がします。

背中を追いかけてくれる人たちのために、今まだできることをがんばろうと小さなレフリーとの出会いで思うことができました。


的崎睦子(まとざきちかこ) 1977.2.25生 O型 魚座

身長:170cm
趣味:サッカー観戦、映画舞台鑑賞
特技:サッカー
資格:普通自動車、小学校教員、スポーツC級、サッカー指導員C級、サッカー審判員女子1級、審判3級インストラクター
<サッカー歴>
86.3~89.3  三宮YMCA
92.4~97.7  神戸FCレディース
95.4~現在  神戸FCサッカースクール指導
99.4~2002年シーズン終了  ヴィッセルガール

<現在>
神戸FCサッカースクールボランティアコーチ
サッカー審判員

まとちかサッカー日記 :後悔がないように・・・2016-01-10

皆さん、こんにちは。 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

本当は昨年のうちに更新したかったのですが、バタバタしてしまい結局年明けになってしまいました・・・。

この間、年が明けたと思ったらもう次の年が明けてしまいました。「1年って早いな〜」と思う一方、昨年の女子ワールドカップが随分前のような気がしたり・・・時の流れがよく分からなくなりました。

特にこの1年早いな・・・と感じたのは、父が他界して10月末で1年を迎えたことでした。 目まぐるしく毎日が過ぎていき、父を亡くして寂しいと感じる時間もなく、いやそれとも作らないように過ごしてきたのか、本当につい先日のことのような気がします。 この1年で私は何が変わったのか・・・元々近くには住んでいたものの別々に暮らしていたので、普段居ないことに「寂しい」と思うことはありませんが、ふと「もう会えないんだ」と考えたときにどうしようもない寂しさが押し寄せてきます。きっと私には父に何もしてあげることができなかったことがあるからです。

父ともちろん、せっかく娘を持った父には、「花嫁姿」を見せてあげたかったし(見たくなかったかもしれませんが。笑)、孫を持つ経験もさせてあげることができなかった。まあそれは私一人ではどうしようもないことで仕方ないとも思っていますが、やっぱり1番の後悔は、だからこそ今一生懸命やっているレフェリー姿を会場に呼んで見せてあげるべきだったのに、それすらできなかったことです。

最初に癌が見つかってからの半年は、病院で余命宣告されることもなかったし、治療も上手くいっているようだったので私は治るものだと思っていました。 そして癌が見つかって半年、一度は回復して元気になっていたと思っていた父に異変が見られました。 急に痴呆症のように物忘れが激しくなり、道も間違う、挙句の果てには自分がどこにいるのかもわからない状態で、病院に行くと脳に癌が転移してしまった影響だということがわかり、その時に転移のスピードが早いことから、3〜4ヶ月かもしれないと言われたのです。

「3〜4ヶ月ということは夏までってこと!?」そんなこと急に言われても実感はなく、その後の治療が効いて痴呆症のようなこともなくなり、またいつもの元気な父になりました。 でも私は、そんなに長くはないと思っていたので、一度自分がレフェリーをしている姿を見てもらおうと思っていました。今、私が父に胸を張って頑張っていると言えることだから・・・その姿を見てもらおうと思っていました。しかしそう思いながらも再び一人元気で出歩けるようになった父の姿をみて「焦って早く見てもらわなくても・・(余命宣告の話は父にはしていなかったし)」など思っているうちに夏が来てしまい、夏は全国大会などが多く地元で試合をする機会が少なく、来てもらえる試合が無いままに、9月に入ると父は急にしんどそうにすることが増えてしまいました。

ある日、母が仕事で遅くなるので、父と二人で御飯を食べに出かけたときに、珍しく切りだしてきた話が審判を含めた私のサッカーのことでした。父は「年齢・体力的に審判(女子1級として)そう長くも続けられないだろう・・・。辞めた後はどうするのか?協会で働いたりできるのか?」とそんな私の審判を引退した後の生活を心配した話でした。私は今もそうですが、サッカーで生計を立てているわけではないし、引退後もそうなることはないので、父が安心できる答えは返せなかったような気がします。でもこれが父と真剣な話をした最後の会話になり、その後は日に日に体調が悪くなっていく父に試合を見に来てもらえることはもうできず、会話など少しづつおかしくなっていく父に、私は笑顔を返すのがやっとでした。

意識がほとんどなくなった10月前からは母と父の戦いで、「10月10日の結婚記念日まではがんばって!」と励ます母と、毎日苦しそうにしている中たまに目をあけ私たちに何か話したいような父、なんとか結婚記念日が過ぎると「もういいやろ!」なんて叫んだときもあったとか・・・・

それでも次は、兄の誕生日までは・・・なんて励まし続け、誕生日が終わった10月末に息を引き取りました。 これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、最後いよいよというときも私は静岡に試合に行き、翌日は少年のサッカー指導に女子審判の育成指導と、いつものサッカーで忙しい週末を送っていました。その夜中に呼び出され「覚悟を決めてください」と言われ家族みんなで父のそばにいましたが、朝まで変化がなかったので私だけ「一度家に帰って休みなさい」と言われ帰った時に父は息を引き取りました。私としては「なぜ病院に残らなかったのか」と後悔はありましたが、最後父の心拍が消えていく瞬間をみた兄は珍しくショックを受けており、「お前は居なくてよかったかもしれん」と私に言いました。だからもしかして父は、私があまりショックを受けないように一度家に帰るまで頑張ってくれたのかな?というのが私の勝手な思い込みです。

結局、週初めに亡くなったので、もうその週末に入っていた大会の割当をキャンセルすることなく試合に行けました。きっと父が私のサッカーに迷惑がかからないようにがんばってくれたから・・・これも私の勝手な思い込みですが、そう感じたので私は頑張ることができました。

ただ私の最大の後悔は、父に私がレフェリーをしている試合を見せてあげることができなかったこと。 学校の先生になると大学まで行かせてもらいながらも、その後自分の好きなことをやらせてくれ、応援してくれた父に何も見せてあげることができなかったことです。ただ今は、天国で応援してくれていると信じて自分なりにやりきって終わること、そのために残りの審判活動をがんばろうと思いました。

最後に言えるのは、やって失敗したことは後悔というより自分の次のステップになることがあるけど、やらなかったことの後悔は悔いにしかならない・・・。 やろうと思ったことは思い切ってやること、チャレンジすることが自分の成長になると気づくことができました。行動することは勇気がいるときも多いけど、できるだけ後悔のないよう進んでいきたいです。

まとちかサッカー日記 :久々のTV出演2015-04-10

皆さま、こんにちは。前回の「まとちか日記」を見て、自分でもびっくり!!2013年5月から約2年も更新していませんでした。言い訳のようですが、最近感じる事は、「時が経つのが早い、早すぎる・・・」ということです。忙しいこともありますが、1年が過ぎるスピードについていけていないような気がする今日この頃です。笑

さて言い訳はさておき今回は、久々にTV出演したという話題です。もう忘れている方や知らない方も多くなってきたと思いますが、一応こう見えて数年前(いや、もう10年以上前になるか・・)までモデルやタレントのお仕事を少しやっていました。なので、今回TV出演のお話を頂いた時も「まあ大丈夫だろう~」なんて思っておりましたが、とんでもなく緊張して終わりました。

出演することになったきっかけは、2012年の12月に兵庫県で毎年活躍する女性を表彰する「縹賞(はなだしょう)」(まとちか日記第89回参照)を私が審判や指導者として活動していることから頂けることになり、それがきっかけで講演会に呼んでいただいたり、取材を受けたりする機会がありました。そして今回サンテレビの「日曜さわやかトーク」という月に一度放送されている兵庫県知事と兵庫県で活動するさまざまな方が対談する番組に呼んで頂けることになりました。さすがに兵庫県知事との対談に「いやいや・・・本当に大丈夫かな??」なんて少し不安もよぎり始めました。

毎回テーマが変わる番組で今回は、「芸術やスポーツを支える人」ということで、芸術関係からは別の方が来られ、スポーツ関係からはなぜか私が入ることになりました。知事との対談の撮影の前に、私が普段活動している審判の様子や女子審判員の育成の様子、少年のサッカー指導の様子を撮影に来て下さいました。その時は、いつもやっていることに集中し、何事もなく終わったので「この後も大丈夫!」と思ってましたが、いざ対談のときにはやっぱりド緊張!何を話したのか、ちゃんと話せたのかさえも覚えていないぐらいでした・・・。ただ知事は優しく私の話を聞いてくれていたのは覚えています。

2014年10月に放送があり自分でも恐る恐る見てみましたが、自分が話をしているときは、緊張しているのが丸わかりで恥ずかしかったです。今回「スポーツを支える人」として出演させていただきました。サッカーではもちろん選手が主役。主役が輝くために指導者やスタッフ、審判やサポーターそして家族や運営の方々がいろんな形で支えています。ただ私が審判をしているときも指導者をしているときも支えてくれる人はたくさんいます。そして支えられています。一生懸命戦う選手も私を支えてくれる人の一人です。「支えている」と思っていても実は支えられている側でもあると改めて感じるきっかけになったテレビ出演でした。

追伸
テレビ放送はすでに終了しましたが、県庁のHPで見ることができるので機会があれば見てください。
(いや、やっぱり恥ずかしいから見なくてもいいかな~笑)

神戸サッカークロニクル :KOBEカップ2015 第2回全国大学フットサルリーグチャンピオンシップを見た!2015-03-19

3月10日、11日に、神戸ワールド記念ホールで行われた「KOBEカップ2015 第2回全国大学フットサルリーグチャンピオンシップ」を見て来ました。

日本各地の大学フットサル部の中でも、リーグチャンピオンや強豪チームを一同に集めた学生フットサルの大きな大会でした。昨年は広島で行われ、第2回として神戸で開催されました。北海道大学・東北大学・順天堂大学・慶應義塾大学・同志社大学・神戸大学など、大学フットサルではトップクラスのチームが12チーム。

会場のワールド記念ホールには2つのピッチが作られ、若さあふれる学生たちの熱い戦いが繰り広げられました。

優勝はホストチームの神戸大学。昨年は惜しくも同志社に敗れて準優勝でしたが、今年はその雪辱を果たしました。運営や宣伝も学生自身がやり、大学フットサル、および各地域の学生リーグの発展につながればというのが大会のテーマ。

決勝戦でも点を決めた神戸大学のキャプテンの木村弘基君は「新チームになってから短い期間ではありましたが、ハーフからカウンターというスタイルを徹底できたことが勝因だと思います。夏の学生選手権を戦い抜くにはまだまだ実力不足なので、夏に向けて精進していきたいと思います」と話していました。

協力:神戸大学体育会フットサル部FORCA×Guerreilla


プロフィール


草葉達也(くさばたつや) 1963年 神戸生まれ
作家・エッセイスト
日本ペンクラブ会員 日本演劇学会会員
阪南大学 国際コミュニケーション部 講師
県立芦屋高校 特別非常勤講師
元大阪大学文学部文学研究科
神戸レガッタ&アスレチッククラブ(KR&AC)元理事
神戸観光大使
Fリーグ・日本フットサルリーグ 初代アンバサダー
兵庫県サッカー協会 広報委員
神戸市サッカー協会 広報委員
日本サッカー協会 D級指導資格
JFA(日本サッカー協会)公認キッズリーダー
フットサルろう女子日本代表 特別広報担当
2010.2011神戸カレッジフットサル 大会名誉委員長
関西フットサルリーグ MESSE OSAKA DREAM 所属
子どもの指導を機に42歳からヴィッセル神戸の大人のサッカースクールで、生まれて初めてサッカーを習う。

44歳でKR&ACサッカー部所属(当時・神戸社会人リーグ2部)。47歳で関西フットサルリーグのMESSE OSAKA DREAM に入団。

現在も選手登録してベンチ入りしている。2014年、Fリーグ初代アンバサダーに就任。ヴィッセル神戸・デウソン神戸・INAC神戸をすべて創立時から応援している。

公式サイト
http://oscar-kusaba.com/
公式ブログ
http://ameblo.jp/oscar4kusaba/

神戸サッカークロニクル :ビーチサッカー日本代表候補 兵庫トレーニングキャンプを見た!2015-03-04

2/18~2/22 明石海峡大橋に近い大蔵海岸でビーチサッカー日本代表候補のトレーニングキャンプが行われて見てきました。これは3月23日からカタールのドーハで行われる「AFC ビーチサッカー選手権 カタール2015」へのチームレベルアップと、メンバーの最終選考を兼ねているとか。

このカタール大会で勝ち残ると、7月9日から19日までポルトガルのエスピーニョで開催される2015 FIFAビーチサッカーワールドカップへの出場が決まります。

茂怜羅(モレイラ)オズ選手(東京レキオスBS)は、終始大きな声を出し練習終了後も他の選手とのプレーの確認を行うなど、チームの中心選手であることがうかがわれました。

茂怜羅(モレイラ)オズ選手

サッカー・フットサルとは違いドリブルがほとんどなく、空中戦ともいえるプレーが魅力で迫力満点。ワールドカップ本選に出場し、まだまだ競技者数やファンの少ないビーチサッカーを広めて欲しいと思いました。

協力:日本サッカー協会

神戸サッカークロニクル :FIFA (国際サッカー連盟) メディカルセンター認定式を見た!2015-02-01

先ごろ神戸大学医学部附属病院・兵庫県立リハビリテーション中央病院・明和病院の3か所の医療機関が、FIFA (国際サッカー連盟) メディカルセンターとして認定されました。 その式典に行って来ました。

神戸大学附属病院内のホールで行われた認定式には関係者約100人と、FIFA チーフメディカルオフィサーのジリ・ドュボラック博士、そして日本サッカー協会からは原博実専務理事が参列しました。舞台上にFIFAのマークとJFAが並んでいるだけで、私はちょっと興奮してしまいました。

今回の認定は神戸大学医学部附属病院の呼びかけで、スポーツ医療に力を入れている兵庫県立リハビリテーション中央病院と明和病院とを合同医療施設として、FIFAに申請していたのが受理されたもので、国内3番目の認定となります。会見の中でドュボラック博士は「日本最古のサッカーの試合が、この神戸で行われたという歴史も認定の決め手のひとつになった」と話していました。

ドュボラック博士

3施設はFIFAメディカルセンターとして、サッカー選手の治療、リハビリ、予防、研究などを包括的に行う医療施設の役割を担うことになります。原博実専務理事は、「これまでメディカルチェックを東京まで行っていた、西日本方面の選手たちにはとても有難いことだろう。ここに拠点ができたことは大きなメリットになる」と話していました。

式典のポスター

取材協力: 神戸大学医学部附属病院

神戸サッカークロニクル :『阪神・淡路大震災20年 1.17チャリティーマッチ』を見た!2015-01-24

今回から「神戸サッカークロニクル」を担当させていただきます。神戸は日本でのサッカー発祥の地であり、Jリーグのヴィッセル神戸と、なでしこのINAC神戸。そしてフットサルのデウソン神戸とフットボールのトップチームが3つ揃っている街です。そんな神戸のフットボールシーンを、私の視線で紹介していきたいと思います。

さて第1回は先ごろ行われました『阪神・淡路大震災20年 1.17チャリティーマッチ』の前夜祭と試合当日の様子を。確か前夜祭は震災のイベントということで、急遽タイトルから祭という文字を外したと思います。まぁそれでもサッカーというキーワードで結ばれた人たちが一同に集まれば、会場は自然と盛り上がります。一般参加者のファン350人の前に登場したのは元日本代表を集めた「JAPAN・STARS」とヴィッセル神戸のレジェンドを集めた「KOBE・ DREAMS」。三浦知良、中田英寿、森島寛晃、宮本恒靖・名波浩という気が遠くなるような豪華メンバー。おまけにヴィッセル神戸出身の永島昭浩・和田昌裕・石末龍治という、もう今世紀では揃わないと思われたトリオも(笑) 選手、ファン、関係者の皆さんは、まるで同窓会のように終始笑顔のイベントでした。

これがユニフォーム

そして翌日。入った!ノエビアスタジアムに24000人! ピッチでウォーミングアップが始まると、若干体形が?スピード感が?という選手もいましたが(笑)、トラップやパスを見ると現役時代と同じ動きで感動しました。三浦淳寛のフリーキックや、和多田充寿のロングスローなど、ヴィッセルファンにとっては涙もののプレーもありました。

中村俊輔選手も駆けつけた超豪華メンバー

しかし、やはり話題をすべて掻っ攫ったのは、やはりキングカズ。あわやハットトリックの2得点。さすが現役プレーヤーは魅せてくれました。試合終了後に選手が記者から質問されるミックスゾーンでも、当然のように三浦知良選手は取り囲まれていました。取材が終わり帰るカズを呼び止めて、記者でもない私が聞けたことはサッカーのことではなく、
「カズさん神戸好きですか?」の一言。
それにカズさんは「神戸、大好きですよ!」と
親指を立てて答えてくれました。しびれました~

ヴィッセル神戸が創設され、チーム始動開始を予定していた日が1.17の震災当日ということもあり、クラブの歴史としても決して忘れられない日でもあります。サッカーで復興、サッカーで日本を元気にしていきましょう!

ボールパーソン

今回のボールパーソンは1995.1.17の震災当日に生まれた方たちでした。

取材・撮影協力 ヴィッセル神戸

サッカーとハート :サッカー熱 充電の旅(?) 8日目。2014-08-08

8/5・6日と鹿島アントラーズの練習を、8/7日はFC東京のトレーニングを見学。

鹿島アントラーズでは強化部長・スカウト部長とお会いし、色々とチームのことや協会の話しを拝聴。その後一緒に練習見学。

練習は5日が16:00~、6日が9:00~と17:30~の二部練習。遅くまで実施。内容は詳しく言えないが、現在若手がたくさん先発を張るチーム。若手の躍動、監督・コーチの熱等 とても「なるほど」とうなづける香りがプンプン。何せ監督は全体練習後に若手だけを集めてずっと居残り指導をしているとか。昨年は一年間、ずっと。午前練習が四時間以上になることもしばしば…。監督はお腹が減って昼を過ぎてることに気付くのだとか。時計をしてても見ないらしい。(笑)若手が伸び、いや伸ばす・伸びた…の自信があっての今年のメンバーなんでしょう。

ベテラン選手

しかしもっと素晴らしいのはベテラン選手。ややもすれば試合に出られず悶々として気持ちが乗らない…となりそうなところ。ところが黙々とプレーをし続け、誰よりも質の高いプレーを目指しているという姿が…。そしその ” 熱 ” が姿から伝わってくるから凄い。それを見せられた若手は一生懸命やらざるを得ない。そうやって負けられない・勝ちたい・勝たなければ成らない…チームの伝統が出来てきたのだろう。

その中でも、本山選手はいつも楽しそうにちょっといたずらっ子のような仕草を見せ、雰囲気を明るく良くしている。彼こそ日本で一番の選手では…と私は思っている。

久しぶりの再会

FC東京では強化部長とトップチームコーチがS級の同期とあって久しぶりの再会と見学が実現。球団社長・育成部長・強化部スタッフともお会いでき有意義倍増。またびわこスポーツ大学(立正大淞南高校)出身の松田陸選手と2006年地元兵庫国体でヘッドコーチをした時の選手であった米本拓司選手(兵庫県立伊丹高校出身、U17・OL代表)と再会。両選手、覚えてくれていました(笑)。因みに我がチームにいた河村が今、FC東京のイタリア人スタッフの通訳をしていることも付け加えて…と。

FC東京のエドゥ選手、メチャ大きい選手。あんなに大きな選手とよくもまあ対決したもんだ…とGenにもビックリ。(笑) 新外国人選手カニーニも大きい。目の前で見るとTVで観るより大きい。肩幅・胸板・お尻…世界に出たらこのサイズと日本人は戦う訳。ましてや+スキルにメンタルに…。

緊張感と五感で感じるサッカー

ここ数試合前からイタリア人監督の戦術が浸透してきたのだろう、とても好調で順位も上がってきている東京。なるほどFトウもトレーニングが成績に反映している”気”を感じた。”気”とは言葉には表しにくいが、五感で感じる。ミステル フィッカデンテイ の緊張感が良い。週末のイタリア人 ミステル対決が興味深い。負けたくないだろうね…互いに!

うちの選手にこの緊張感と五感で感じるサッカーを見せたい。百聞は一見に如かず…私が言葉で言うより効果は大だろう。(笑)質が高い…とは五感で感じ考えること。ある選手が言っていた、「自分に能力が無いことを理解できたことが能力だ」…と。だからこそやるべきことがはっきりして自分の生きる武器が見えてくる。自分に出来るプレーと出来なければならないプレー、しなくて良いプレーが。

しかしサッカー選手には共通して必要なものがある。それは何よりもプレーをし続ける強さ。これこそ能力。どの年代でも強度は別にしてもどんな選手にも必要な能力。少年サッカー選手にサッカーを好きにさせる…とよく言うが正にこう言うことなのだろう。自分自身、本山選手が35歳になってもいたずらっ子のように楽しくプレーをしている姿を観るとハッとする。大事なものを忘れているのではないか…と。

多くの指導者へ…選手がサッカーしたい!と思っているだろうか?嫌々プレーしてはいないだろうか?暑い時こそ気をつけよう。シニアになってもサッカーやってるおじさんたちの様にサッカー好きにさせよう!それこそ能力だ!

我がチーム、山登りした!選手たちも何かしたいことあったら言えばいいのに(笑)

※2014年4月よりブログ [サッカーとハート] 移転しました。こちら≫


昌子 力(しょうじちから)
略歴:
1986年3月 大阪体育大学体育学部卒業
1986年4月 社団法人神戸フットボールクラブ入社
1995年4月 株式会社ヴィッセル神戸に出向
1999年2月 社団法人神戸フットボールクラブ退社
      ヴィッセル神戸とプロ契約 ユース監督に就任
      同時に下部組織統括責任者就任
2002年4月 学校法人獨協学園 姫路獨協大学に外国語学部講師・サッカー部監督として着任
2005年4月 同大学 外国語学部助教授(2007年度より准教授)資格:1986年日本サッカー協会公認リーダー資格取得
1994年(財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチC級資格取得
1996年(財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチB級資格取得
1997年 アジアサッカー連盟C級コーチ資格取得
2002年 (財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチA級資格取得

役職:
日本サッカー協会全日本ユース選手権大会実施委員会委員(1999年)
日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ(2005年~06年)
日本サッカー協会ユースダイレクター〔兵庫担当〕(2007年~)
日本サッカー協会公認B級コーチ養成講習会インストラクター(2005年~06年)
日本サッカー協会公認C級コーチ養成講習会インストラクター(1999年~)
関西クラブ・ユース・サッカー連盟理事(1987年~)
兵庫県サッカー協会技術委員会委員長(2007年~)
兵庫県サッカー協会3種委員会委員(1991年~)
兵庫県クラブ・ユース・サッカー連盟理事長(1991年~)
兵庫県国体選抜〔2種・高校生年代〕選抜チームコーチ(1999年・2006年)
兵庫県3種(中学生年代)選抜チームコーチ(1991年~1998年)
兵庫県4種(小学年代)選抜チームコーチ(1992年~1998年)
神戸市サッカー協会技術委員会委員長(2004年~)
神戸市サッカー協会技術委員会強化部長(2000年~2003年)
関西学生連盟技術委員(2002年~)表彰:2000年2月神戸市スポーツ優秀団体金賞

指導歴:
日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権 関西大会
 優勝(96)、準優勝(91)、第3位(92,93,94,95)
日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権 本大会
 第3位(98)、ベスト8(95,96)
兵庫県中学生サッカー大会
 優勝(93,95)、準優勝(96,98)、第3位(91,94,97)
高円宮杯全日本ジュニア・ユース・サッカー選手権 関西大会
 優勝(95)第3位(93)
高円宮杯全日本ジュニア・ユース・サッカー選手権 本大会
 ベスト8(95)
日本クラブ・ユース・サッカー選手権(U-18)関西大会
 優勝(00)、準優勝(99,01)
日本クラブユースサッカー選手権 本大会
 ベスト8(99)
Jリーグユースカップ 1999 Jリーグユース選手権大会
 優勝(99)
兵庫県社会人リーグ1部
 優勝(86,87)
全国女子サッカー大会(アジュール兵庫)
 優勝(02)、準優勝(05)、第3位(03)
関西学生サッカーリーグ(姫路獨協大学サッカー部)
 03年春季3部総合優勝 2部昇格
 03年春季関西学生選手権出場
 04年春季2部順位決定戦進出(1部入替戦出場チーム決定戦)
 総合4位で入替戦進出ならず
 06年春季2部順位決定戦(1部入替戦出場チーム決定戦
 総合4位で入替戦進出できず
 07年春季2部順位決定戦(1部入替戦出場チーム決定戦)
 関西外国語大学に勝利し2部総合3位で入替戦進出
 07年春季関西学生サッカー春季リーグ1部入替戦 
 大阪学院大学と対戦し1勝1敗も得失点差で1部昇格ならず
神戸少年サッカースクール
 1986年4月~1988年3月 神戸少年サッカースクール北分校
 1988年4月~1991年3月 神戸少年サッカースクールポートアイランド分校
 1991年4月~1995年3月 神戸少年サッカースクール六甲アイランド分校
神戸FCボーイズ
 1986年4月~1994年 3月
 1986年11月 兵庫県少年サッカー大会4年生の部3位
 1988年1月 神戸市少年サッカー大会新人戦優勝
 1988年12月 神戸市少年サッカーリーグ6年生の部優勝
 1989年11月 兵庫県少年サッカー大会6年生の部3位
 1992年2月 神戸市少年サッカー大会新人戦優勝
 1992年5月 全日本少年サッカー大会神戸市大会優勝
 1992年6月 全日本少年サッカー大会兵庫県大会ベスト8
神戸FCジュニアユース
 1989年 4月~1995年 3月
神戸FCユース
 1986年 4月~1989年 3月
神戸FC1970*18才以上の社会人
 1986年 4月~1990年 3月
ヴィッセル神戸ジュニアユース
 1994年 4月~1999年 3月
ヴィッセル神戸ユース
 1999年 4月~2002年 1月
ヴィッセル神戸サテライト
 1998年 9月~2001年
ヴィッセル神戸トップチームコーチ
 1998年11月 J1残留決定戦J1残留
姫路獨協大学サッカー部
 2002年4月~
アジュール兵庫(兵庫県18歳以上女子選抜チーム)
 2000年~現在
その他 神戸FCレディース、神戸FCベテランズ等の指導にも携わる

サッカーとハート :印鑑〜知恵と工夫2014-05-27

2014年4月・・・この4月に教授に昇進した。

大した事はしていないのだが何故か教授に。(笑)年齢がそうさせたのか・・・。

教授になるには准教授期間における学内および学外での業績(講演・講義や社会活動など)査定や論文や著書の査読(審査員となる教授陣が内容をチェックすること)が行われる。その後、教授会にてその内容・評価値が報告され、教授会の全会一致にて昇進が決定されると言う仕組みである。

そのため昨年末から3月まではその準備と書き物で結構大変だった。終わってみればなんてことは無いのだが・・・。

早替わり

昇進はよしとしてこうやって何かしら自分の周辺に変化が起こると、連鎖して他にも変化が起こるものである。教授になったからでもないのだろうが職場において幾つか役職に就く様に依頼が来た。まぁ ありがたいことである、実際には。何も要求されず…何も期待されず…日々ボーッと過ごすよりは生き甲斐があり元気になれる。御礼を言わなければいけない、学校に。

こうやって役職が増えると各種の書類に印鑑を押す機会が増えた。
学内のいくつもある様々な書類の中に、ご丁寧に私が押すべき印鑑の欄が空いおり私を探してやってくる書類がある。スポーツ特別選抜運営支援室室長印という欄。私は授業の合間に室長に早変わりして書類に目を通し印鑑を押す。

なぜ丸い?

ところで皆さんは何故印鑑が丸いのか理由をご存知だろうか?社印や各印と言われる四角い印鑑も存在するので全てが丸いとは言わないが多くは丸く円柱形で出来ている。

それには以下の理由があるという。

先ずは

  1. 持ちやすくするため
    これは理由としても大きな物では無い様だが・・・。
  2. 印の方向を確認させるため
    指が掛かるところ辺りに凹みがあるので陰影の上下を間違えることは少ないだろうがそれでも確認してしまう、(丸いため)どちらが上か解りにくいから。
  3. 丸いため握りが不安定なだけに必然的に慎重に押す様にするため
    ミスをしてはいけないと思いの二重措置の様に。
  4. 丸いと転がって何処かへ無くしてしまうので
    すぐに入れ物などにしまう様にさせるため。無くしたら大変である。

「無くさない様にね!」と言葉で言ったとしても・・・いくら自分で注意していたつもりでも・・・書類に気を取られて思わず落としてしまった・・・という経験は皆あるのではないだろうか?

機転が回らない

何事においても言葉で言うのも大切だが必然的にそう言う状況に持って行けたとしたら・・・人間とは注意深くにもなり気にもし出すだろうしあれこれ考える様になる。

そういう発想がちょっとした印鑑の工夫の中に見える。これは本来ならもう特許ものだ!

子供のスポーツ指導にも見られる…子供だけではなく大学生も新入社員も皆同じかもしれない。手とり足とり丁寧に指導することも大切だが、ある時には気付きが自然に出て来る様な”仕掛け”が指導者には問われるのではないだろうか。…先に答えを言ってしまってはいないだろうか?

最近の子供たちは「無気力無関心」などといわれている様だが私はそう思うことは少ない。そうではなく言ったことしかしない、言ったことしかしようとしない、工夫をしない、ついでに○○もしておこう・・・と機転が回らない…とよく感じる。
シュートが外れゴール裏にボールを拾いに行った時、ついでに5m横にある他のボールも拾ってくればいいのに自分が蹴ったボールではないので拾わない。フィールドで練習中、ボールを集めて置いている場所に仲間がボールを蹴ってきたとき寄せて集めようとしない。次の順番が自分だからと言っても、ちょっとスタートを遅らせ来たボールを止めて寄せておけばいいのに無視。よってボールは行き過ぎてまた誰かが拾い集める羽目になる。困ったものである。

考え工夫し皆のために労を惜しまず動く・・・昔の良き日本人文化を忘れかけている。

“おもてなし”・・・ではないが日本人の精神を忘れてはなるまい。大人が何かしら“仕掛け”を作らなければ子供たちはいつまでも変わらない。“仕掛け”とは実は昔からあるちょっとした工夫や知恵の中にあるのではないだろうか・・・印鑑のように。

まとちかサッカー日記 :縹賞受賞2013-05-10

皆さん、こんにちは。
随分お久しぶりで、この日記の存在も忘れかけられていると思います・・・(汗)
言い訳がましく、今回日記を上げるまでに何回か自分の「まとちか日記ノート」には、書いていたのですがその後の作業をなかなかできず話題が随分ずれてしまって消えていったネタもありました。

今回も実は昨年(2012年)の12月に書いていたものなのですが、どうしてもお伝えしたい気持ちもありましたので、半年後になってしまいましたがお話しさせていただきます。

2012年12月の新聞をご覧になった方からたくさんのお祝いメールやメッセージをいただきましたが、12月8日に毎年兵庫県で分野を問わず活躍する若手女性が3名表彰される「縹賞」というものがあるのですが、今回私がその賞をいただけることができました。

35歳にもなって若手女性と発表されるのも恥ずかしいところですが、私の結婚や子供を望んでいる両親に少しでも親孝行できたのでは・・・と思っております。笑

長年指導者や審判をやってきて、試合で一緒に喜びを分かち合う機会というのはたくさんありましたが、サッカーでは選手が主役で合って私がやっていることは「縁の下の力持ち」といったところでしょうか・・・
もちろん指導者にも「監督賞」や審判にも「優秀審判賞」などの表彰もありますが受賞することなどできず、なかなか私一個人(サッカー・仕事も含めて)がやってきたことに対して大きく評価されることはなかったので、とてもうれしかったです。
たしかに今まで「がんばってきた」ということはありますが、私が頑張ってこれたのは、恵まれた環境だったからではないかと思います。

指導者では、サッカースクールで他のコーチにも支えられ続けられている。特にこの数年は審判の方が忙しくなり、なかなか練習や試合に行けない時期もある中いつも「頑張っておいで」と送り出してくれる同じ担当のコーチには本当に助けてもらっています。また毎年担当する子供たちとのいい出会いがあるからこそ続けることができています。

審判では3級になった時期が、たまたまのじぎく国体(兵庫国体)があったから更に上を目指すきっかけになった。そしてたくさんの人にサポートされたからこそ、2級・女子1級にあがってがんばれているのです。

だから今回は、「縹賞受賞」に対してたくさんの人が「自分のことのようにうれしい」と喜んでくれましたが、まさしくそんな方たちも一緒に受賞した賞だと思いました。
次の課題は女子審判員の育成です。

私自身のレフェリングもまだまだ未熟なところもあり、「なでしこの主審担当」という目標もありますが、これまでのたくさんの経験を伝え、いい見本になって一人でも多く女子審判員がすてきなサッカー経験をできるよう頑張っています。

2015年には兵庫県で男女ともにインターハイが開催されることが決まっています。
私が兵庫国体で大きな舞台を経験できたように今頑張ってインターハイという大きな舞台に一人でも多く立てる女子審判員が誕生すればいいなと思います。