まとちかサッカー日記

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まとちかサッカー日記

2016年1月 NO.91

「後悔がないように・・・」

皆さん、こんにちは。 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

本当は昨年のうちに更新したかったのですが、バタバタしてしまい結局年明けになってしまいました・・・。

この間、年が明けたと思ったらもう次の年が明けてしまいました。「1年って早いな〜」と思う一方、昨年の女子ワールドカップが随分前のような気がしたり・・・時の流れがよく分からなくなりました。

特にこの1年早いな・・・と感じたのは、父が他界して10月末で1年を迎えたことでした。 目まぐるしく毎日が過ぎていき、父を亡くして寂しいと感じる時間もなく、いやそれとも作らないように過ごしてきたのか、本当につい先日のことのような気がします。 この1年で私は何が変わったのか・・・元々近くには住んでいたものの別々に暮らしていたので、普段居ないことに「寂しい」と思うことはありませんが、ふと「もう会えないんだ」と考えたときにどうしようもない寂しさが押し寄せてきます。きっと私には父に何もしてあげることができなかったことがあるからです。

父ともちろん、せっかく娘を持った父には、「花嫁姿」を見せてあげたかったし(見たくなかったかもしれませんが。笑)、孫を持つ経験もさせてあげることができなかった。まあそれは私一人ではどうしようもないことで仕方ないとも思っていますが、やっぱり1番の後悔は、だからこそ今一生懸命やっているレフェリー姿を会場に呼んで見せてあげるべきだったのに、それすらできなかったことです。

最初に癌が見つかってからの半年は、病院で余命宣告されることもなかったし、治療も上手くいっているようだったので私は治るものだと思っていました。 そして癌が見つかって半年、一度は回復して元気になっていたと思っていた父に異変が見られました。 急に痴呆症のように物忘れが激しくなり、道も間違う、挙句の果てには自分がどこにいるのかもわからない状態で、病院に行くと脳に癌が転移してしまった影響だということがわかり、その時に転移のスピードが早いことから、3〜4ヶ月かもしれないと言われたのです。

「3〜4ヶ月ということは夏までってこと!?」そんなこと急に言われても実感はなく、その後の治療が効いて痴呆症のようなこともなくなり、またいつもの元気な父になりました。 でも私は、そんなに長くはないと思っていたので、一度自分がレフェリーをしている姿を見てもらおうと思っていました。今、私が父に胸を張って頑張っていると言えることだから・・・その姿を見てもらおうと思っていました。しかしそう思いながらも再び一人元気で出歩けるようになった父の姿をみて「焦って早く見てもらわなくても・・(余命宣告の話は父にはしていなかったし)」など思っているうちに夏が来てしまい、夏は全国大会などが多く地元で試合をする機会が少なく、来てもらえる試合が無いままに、9月に入ると父は急にしんどそうにすることが増えてしまいました。

ある日、母が仕事で遅くなるので、父と二人で御飯を食べに出かけたときに、珍しく切りだしてきた話が審判を含めた私のサッカーのことでした。父は「年齢・体力的に審判(女子1級として)そう長くも続けられないだろう・・・。辞めた後はどうするのか?協会で働いたりできるのか?」とそんな私の審判を引退した後の生活を心配した話でした。私は今もそうですが、サッカーで生計を立てているわけではないし、引退後もそうなることはないので、父が安心できる答えは返せなかったような気がします。でもこれが父と真剣な話をした最後の会話になり、その後は日に日に体調が悪くなっていく父に試合を見に来てもらえることはもうできず、会話など少しづつおかしくなっていく父に、私は笑顔を返すのがやっとでした。

意識がほとんどなくなった10月前からは母と父の戦いで、「10月10日の結婚記念日まではがんばって!」と励ます母と、毎日苦しそうにしている中たまに目をあけ私たちに何か話したいような父、なんとか結婚記念日が過ぎると「もういいやろ!」なんて叫んだときもあったとか・・・・

まとちかそれでも次は、兄の誕生日までは・・・なんて励まし続け、誕生日が終わった10月末に息を引き取りました。 これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、最後いよいよというときも私は静岡に試合に行き、翌日は少年のサッカー指導に女子審判の育成指導と、いつものサッカーで忙しい週末を送っていました。その夜中に呼び出され「覚悟を決めてください」と言われ家族みんなで父のそばにいましたが、朝まで変化がなかったので私だけ「一度家に帰って休みなさい」と言われ帰った時に父は息を引き取りました。私としては「なぜ病院に残らなかったのか」と後悔はありましたが、最後父の心拍が消えていく瞬間をみた兄は珍しくショックを受けており、「お前は居なくてよかったかもしれん」と私に言いました。だからもしかして父は、私があまりショックを受けないように一度家に帰るまで頑張ってくれたのかな?というのが私の勝手な思い込みです。

まとちか結局、週初めに亡くなったので、もうその週末に入っていた大会の割当をキャンセルすることなく試合に行けました。きっと父が私のサッカーに迷惑がかからないようにがんばってくれたから・・・これも私の勝手な思い込みですが、そう感じたので私は頑張ることができました。

ただ私の最大の後悔は、父に私がレフェリーをしている試合を見せてあげることができなかったこと。 学校の先生になると大学まで行かせてもらいながらも、その後自分の好きなことをやらせてくれ、応援してくれた父に何も見せてあげることができなかったことです。ただ今は、天国で応援してくれていると信じて自分なりにやりきって終わること、そのために残りの審判活動をがんばろうと思いました。

最後に言えるのは、やって失敗したことは後悔というより自分の次のステップになることがあるけど、やらなかったことの後悔は悔いにしかならない・・・。 やろうと思ったことは思い切ってやること、チャレンジすることが自分の成長になると気づくことができました。行動することは勇気がいるときも多いけど、できるだけ後悔のないよう進んでいきたいです。

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