サッカーとハート :心が導く2008-05-22

サッカーとハートを久しぶりに更新。前回は2007年7月10日の更新であるからおおよそ10ヶ月振りとなる。こんなに間を空けると誰も見てくれなくなるだろうな・・・と思いながらも、どうしても書けない日々が続いてしまった。更新できないなら出来ない、間が空くのを充電期間という名できちんと休止状態宣言すればよかったのかもしれない・・・サザン○○○スターズのように・・・。しかしそうしたとしても「ああそうか」で終えることだろうから・・・必要もないかと少々躊躇。

この10ヶ月の間には、私自身の身の回りにおいて様々な出来事があった。前回のコラムの更新日の2007年7月10日以降には、サッカー協会や自チームの夏休みの事業運営が例年のごとく次から次へと現れ、それを消化するのに追われた。その後、8月26日からはS級ライセンス受講のため11月30日までの延べ3ヶ月強の間、東京と神戸を13往復した。同時に9月からは関西学生サッカー秋季リーグが開幕し(9月~11月末まで開催)、毎週週末は指導現場に立つ。この期間はS級ライセンス講習の日程と現場の指導が平行したため日々の生活ががらりと変わった。

月曜日13:00に東京国立スポーツ科学センター(西が丘サッカー場横)に集合し、午後からフィジカルトレーニングの理論講義と実技講習が行われ、火曜日から木曜日においては午前に指導実践(三菱養和会巣鴨グラウンド)、午後に講義(国立スポーツ科学センター)というスケジュールをこなした。結局、月曜から水曜日まで東京住まいとなり、講義内容によっては木曜日も東京泊。金曜日に大学へ直行ということもあった。神戸に帰れば金・土曜日で大学の業務とサッカー部の指導を繰り返し、日曜日は学生リーグの公式戦に帯同。翌月曜日には再度13:00に東京国立スポーツ科学センターに集合となり、おなじみのリズムをこなす。それでなくても13週間という期間そのものが長い上に毎週東京はさすがに遠い。だが東京だけならまだ良いのだが、3回ほどJヴィレッジでの講習も行われた。やはりJヴィレッジはもっと遠い。S級の講習会の内容については後ほど面白い話を含め紹介したいと思うが、指導実践するたびに力の無さを痛感。だめだしされるしでへこむ日々。

その長い3ヶ月の講習会を終えるころ学生サッカーリーグも終盤戦に差し掛かっていた。よりによって私自身、充分にチームの指導ができていない・・・と心配していた時なのに嬉しいやら悔しいやら・・・なんと2部Aブロックで優勝し、2008年度からの関西学生サッカーリーグ1部への切符をゲットしてしまった。複雑な心境でより一層白髪が増えた・・・。

12月になり講習も終え少々ゆっくり出来るかな?・・・と思っていたらなんのその、ブラジルから元日産自動車時代の名選手(京都サンガでも監督経験あり)オスカー氏を招いての指導者研修会の企画が持ち上がった(2008年1月15日(火)・17日(木)・20日(日)の3回実施)。県技術委員長を仰せつかっていた私は、企画責任者として講習会参加者にリフレッシュポイントをつけるためにJFAと折衝をしながら、会場確保や案内作成等でまた時間に追われだす。そうこうしていると1月22日からのS級ライセンス研修の一環としての海外研修が目前に迫る。オスカー氏の講習会の報告書をすぐにまとめ、1月22日にイタリアへ飛んだ。セリエA所属のリボルノSCとCSジェノア(カズが所属していたチーム)に1週間ずつ帯同し計2週間の研修を終え帰国。2月からは県協会指導者養成事業の運営、大学の入試関係業務、サッカー部新入部員受け入れ、4月からの学生リーグ1部を睨んでの準備・・・等等、毎日時間に追われた。というか夜になると疲れ果てパソコンに迎えなかったと言うのが実情。結局私の都合なのだが・・・。

本当にサッカーとハートを書く時間がなかったのとあまりのS級の講習会の厳しさ・大変さに少々モチベーションも失いかけ、何かをする気力が沸いて来なかったのも事実である。よって夜の街に出かけることもめっきり減り、肝臓には良かったのかもしれない・・・。

何をどう変える?

チームが連敗を喫し、なかなか元気が出ない状態が続いている・・・という経験があるだろうか?

そういう時はどうしたらよいのか?なかなかこれという方法が確立されているわけではないので経験に頼ることが多くなるのではないか?私が指導する大学のチームも1部に昇格して第1戦目●0-2vs桃山学院大学、第2節△2-2vs関西学院大学、第3節○1-0vs大阪学院大学と最初の3試合は初陣としては上出来の勝ち点4のスタートだったが第4節以降4連敗(4月26日、4月29日、5月3日、5月5日の10日間で4試合)を喫した。連戦だったとは言え、それは相手も同じこと。結局選手層やチーム体力(持久力という意味の体力ではなくすべてにおける運営能力を表す意味の体力)の無さが顕著だった。

しかし連敗をしているからといっても指を銜えてみている訳には行かない。何かをしなければ状況は変わらない。私もそんなに多くの経験をしているわけではないが思うに『何かを変えなければならない。』ということである。しかし何をどのように変えればどうなるのか・・・簡単には答えは見つからない。スポーツの世界で良く見受けられる方法として選手にもスタッフにも”刺激”を与えるという方法がある。よく連敗を脱出するために監督を更迭する…なんて言う話はよく耳にするところだろう。私にも更迭説が出てもおかしくないのだが・・・。

絶対条件

さて、ではその刺激を与えるという行為は誰が行うのか?立場でいえばフロント(強化担当責任者etc)という立場の人間が行うこともあれば監督が行うこともある。選手が行うこともある。では監督が行う手法としてはどういう感覚を持ち合わせた上でのどういう刺激なのか?実際に連敗を脱出する”刺激”を生み出すのにはどんな具体的なことがあるのか?一番多く取り入れられることは“先発選手を入れ替える”ことによる刺激ではないだろうか。

しかしただ闇雲に選手を入れ替えても意味がない。コロコロ先発選手が変わると試合に出場する選手間の意思疎通やコンビネーションの構築にはマイナス要因がはびこる。適度に入れ替えるのが良い。しかし入れ替えられた選手に言わせれば指導者との信用がなければ先発をはずされたときなどは特に納得した交代にはならないだろう。スムーズな実践はセレクトする立場の監督がいつも傍にいる選手達の微妙な動き・しぐさ・感受性の変化・感覚を逃さないよう酌まなく読み取ることが絶対必要条件である。

交代させられた選手が実際には「最近自分は調子が良い」と思っているかもしれない。しかしそれでも監督から見れば良いプレーができていないと思うかもしれない。一方でその逆もありえる。本人は調子が良くないと思っていても監督からすればよいプレーをしているように見えることもある。言い換えればこの現象が指導者を信じていけなくなる選手が生まれてくる要素なのかもしれない。このギャップはどちらかが悪いとか言う物ではなく、どちらかの思い込みから生まれるものである。どちらが正しいかを探し出す議論となるなら決して解決しないものであろうし、議論をしても結論がないものであろう。

時間と目を持つ

監督はそのギャップを少しでも埋めて行かなければならない。「何が良いプレー」なのか?「何が今、チームに必要とされるプレー」なのか?「今、○○のプレーを求めている」のか等を選手に伝えることが仕事だ。もっといえば伝えた後、選手が思いを実行に移すための実践の機会を与えていくことが更なる仕事でなければならない。指導者と言うものはこのギャップを埋める努力なくして良い指導はできないはずである。であるからして私は選手に『いつもチャンスはある』と言い続けている。だからその日・その1週間の選手たちの様々な気分の移り変わりや体調の善し悪し・気分の乗り具合を見分ける“時間”と“目”を持ち合わせなければならないと思っている。

しかしながら一方ではそのチャンスを残念ながらみすみす逃していく選手もいる。チャンスはいつも空から降ってきている。『あっ!チャンスが落ちてきた!!』と気づくか気付かないか・・・。大きな差である。傲慢な態度の者は目の前のチャンスは見えなくなり見逃す。周りに敏感で気配りができる者はその降ってきたチャンスに気づき落ちる前に拾える。そういった準備をしている者が最後には飛躍できる。言うなればチャンスを逃さないように拾える状態を常日頃から自分で作り出すことが大切になり、その作業を実際に行っているのかいないのかを監督は見ていると言っても良いかもしれない。

“日々努力!”
“驕れる者は久しからずや”

である。

練習は“ため”になるもの

だからいくつになっても指導者としては勉強が必要だ。試合においては変な先入観や固定概念を持たず選手を決定したい。新たなチャンスをつかむべく新人登用や出場機会の少ない選手も思い切って使う。それは日々を見ているから出来ることであり、日々の練習で選手が出す結果を見ているからメンバー選考の確信となり結論となっていくのである。当然、ある試合での先発組がその試合で勝利を掴むとするなら次の試合においても前回の先発組の再登場は有りだ。結果を出したのだから・・・。しかしだからといって試合の現場においては決して情けは無しであり厳しさがなければならない。

授業で全体練習に合流できなかったり練習時間に遅れたりする選手達に『遅れても良い、グラウンドに行き一人ででも練習すること。また数十分でもいいからトレーニングをして帰ること』と口やかましく言うのはチャンスを掴むためには・・・という考えからだ。練習自体はいつ何時も自分にとっては“ため”になる。ましてや自主練習をしている姿を仲間が見たとするなら自然と仲間は理解を示すし納得をし、評価するだろう。ということはやはり大切なのはサッカーに取り組む“心”の問題だということになる。

刺激

他の選手に良い部分があるからそこを評価して起用してみようという相対評価としての決断もある。天秤にかけたら先発をはずすことになる・・・ということは現実としてありうる事だ。しかしだからといって、先発を外されたからと言ってプレーが良くないということばかりではない。メンバーセレクトの決断がずっと続いて固定されるかといえばそうではない。選手のために、また選手がその悔しさをバネに踏ん張って跳ね返ってくることに期待を寄せるためのいわゆる”刺激”と言われる場合もある。だからメンバーに入ってもメンバーをはずされても『一喜一憂してはいけない』のである。下を向いてしょげたりふてくされては何も残らず前に進めない。選手をやっている以上前進・向上を目指しているはずである。悲しいかな心ひとつで良い方向にも悪い方向にもどうにでも動いてしまう。

つまり『心が導く』のである。

常に振り返ろう。
常に謙虚であり周りに敏感であれ。