ご無沙汰してすいません。パート12008-05-10

2008年5月

皆さんこんにちは。すっかりご無沙汰しております。
ご心配をおかけしていますが、「便りがないのは元気な証拠!!」として許してください。(汗)
決してサボっていた訳でなく、昨年変わった職場でのお店がオープンして忙しかったのです。
ここでたまりに溜まったネタ!?をババッとお話できるように頑張りますので、多少時期は外れますが目をつぶって読んでください。(笑)
話は2月の半ばの連休に遡りたいと思います。

2月の連休、そう関西で大雪が降った日を覚えていますか?私はこんな大雪の日に車で関東に行ってきました。
今回は審判員としてでなく、指導者としてでもなく、プレーヤーとしてです。
アクションサッカーをご存知ですか?今少しづつ広がりを見せている新しい4人制のサッカーです。フットサルコートぐらいの大きさで全面ネット張りになっているので、アウトオブプレーは、得点が入ったときとファウルチャージを受けたときだけという、とてもハードなサッカーです。そんなサッカーを私が毎年フットサル大会に出場している仲間と2年ほど前から、あるスポーツジムが行っているリーグ戦に登録し、定期的にプレーヤーとして楽しんでいます。
他のチームは、ほとんどが男性ばかりでミックス(男女混合)でやっているのはうちぐらいのものですが、女性の特権でシュートを決めると3点入るルールがあるので、それをいかし、一緒にやっている男性メンバーはかなり大変なようですが、ここで強さを発揮しています。

そんなこんなで関西大会を2位で突破し、全国大会の出場を決めて関東に行ってきました。まさかこんなタイミングで大雪になるなんて想像もしていませんでしたが、いつもの仲間で少々怖い思いもしながら、約13時間かけたドライブは、また思い出の1つになりました。大会前日の昼前に出発し、千葉のホテルに着いたのは夜中・・・。みんなで大会前の盛り上がりを見せることなく、長旅に疲れ切ってさっさと寝てしまいました。(笑)

次の日は、朝から大会。それぞれの地区の代表チームが集まりました。が、やはりミックスで参加しているのは、私のチームのみ。「女性3点ルール」を知らないチームもあるので、事前にしっかり説明されました。予選リーグの2試合はマークの薄さに女の子が得点を決め大きくリード、なんなく突破できたのですが、決勝トーナメントにあがると、さすがにそんなわけにもいかず、苦戦したゲームもありました。
しかも、今回私のチームで一緒に参加している女の子は、運動神経はあるかなりの頑張り屋さんですが、サッカーはアクションサッカーが初めてという初心者なのです。だいぶアクションサッカーに慣れてきているけれど、厳しいところは男性陣が頑張ってくれました(でも必ず常に女の子一人は出場してきました。)

そしてとうとう決勝まで上り詰めた私たちは、かなりの注目チームになっていました。決勝の相手は、関西大会の決勝のときPK戦で敗れた1位のチーム、そう関西対決です。
私たちとしては、今までに2回も負けてきているだけに、今回こそ勝って優勝したいという思いがありました。が、試合が始まってすぐに先制されてしまいました。かなり痛い1点でしたが、試合は始まったところ・・・。気持ちを切り替え、私は3点のチャンスを待って頑張りました。
前半も終わりに近くなったときにそのチャンスは訪れ、キーパーをしていた男の子から、シュートのような強いボールが来て、私がそれに触れてゴール!!3点が入り、相手はがっくり・・私たちは大喜びでした。流れは大きく私たちの方に傾き、1点を追加して前半は大きくリードして終了しました。
後半に入り、疲れ始めている私たちのチームの少しの気の緩みを逃さず、相手は猛反撃を開始。
ついに同点にまで追いつかれてしまいました。
見ている方たちには、なんとも面白いゲームだったと思いますが、私たちは必死でした。が、神は私たちに微笑んではくれず、最後に逆転のゴールを決められ、終了のホイッスルがなるまであきらめなかったものの、負けてしまいました。

くやしい!本当に悔しかった・・・。優勝をつかみかかっていたのですから・・・。
でも見ていた人たちは、私たちのチームに大きなエールを送ってくれました。そしてこの大会の総責任者で、このスポーツジムでアクションサッカーを行うことを立ち上げた方からも、涙ながらに「私が目指していたアクションサッカーは、あなたたちのようなチームです」と熱く語ってもらい、そんな言葉に私たちは救われました。
たしかに今回、優勝をあとちょっとのところで逃したのは本当に悔しかったですが、見ている人たちにもいいチームと思ってもらえるチームでプレーできていることに、私は本当によかったと思います。男女仲良く、楽しく、勝つチーム・・・私はこの仲間に出会えたことに改めて感謝した瞬間でした。出会ったのは本当に偶然のつながりで、こういうつながりがあるからまたサッカーってやめられないのです。

こんな胸いっぱいな思いで、このあとみんなで近くのスーパー銭湯に寄って、また車で関西に帰りました。

この想いを忘れず・・・2008-01-25

2008年1月

皆さん、新年明けましておめでとうございます。
と、かなりあいさつが遅くなって申し訳ございません。
「今期の冬は暖かいな」と思っていたのは12月末まで,・・・・年が明けてからはとても寒い日が続いており、寒さの苦手な私には、とてもつらい日々が続いています。

そんな私が、まだ12月後半の暖かい日に女子1級の最終テストを行えたということはとても運が良かったことかもしれません。毎年、女子1級の最終テストは、神戸で行われる全国大学女子選手権の舞台で行われます。神戸で行われる大会なので、関西の2級の審判員が副審や第4の審判員として女子1級の受験生と共に試合を行います。私も毎年この大会に参加し受験する人たちを身近に見てきましたが、今回は受験する側の立場。「ついにここまできたんだ」という実感と緊張感がいっぱいでした。

体力テストからスタートして、長くてあっという間に終わった4日間、自分では反省点もあり、よかったと思える点もありましたが、最後の試合では思いっきりやりきったという充実感がありました。そして去年の春前から始まった関西の1級候補テストから春の1次審査、夏の2次審査、そして冬の最終審査と長かった1年間は終わったのです。

「あまり悩みもなく、いつも笑って元気」と思われがちな私ですが(実際そうなのですが)、それでも1年間どこかいつもテストのことを考え、緊張感と気の張った面があったので「終わった~~」と正直ほっとしました。しかし、テストの結果がすぐでるわけでもなく、待っている間も長かったです。笑

そして最終テストから約1ヵ月後の1月20日付けで女子1級の合格通知が届きました
「よかった・・・本当によかった~~」
今までいろんなテストや受験を経験しましたが、これほどうれしく良かったと思えた合格通知は初めてで、思わず涙もこぼれてしまうほどでした。

私の中でこの1年間、女子1級のテストをともに頑張ってきた仲間、時にはライバルであり時には一緒に目標に向かうことをわかち合える友として辛い日々を乗り越えてきたことはとても大きな宝物になりました。そして遠征などで仕事も休んで迷惑をかけているのに、快くよく送り出してくれる会社とその仲間。陰ながらいつも心配し応援してくれていた家族。そしてダメなときも良いときも期待をこめ熱く指導してくださった審判の先生方。地元の審判員の方をはじめ、テストを受けに行った地域で一緒に力になってくれた審判の仲間の方々。その他にも指導しているチームの子供たちや様々なサッカー関係者の方や、友達にもいつも支えられ、周りの存在の大きさを改めて感じることができました。

これから女子1級として活動するに当たって、私自身審判に対する思いは変わらず、「選手が最高の試合をできるように、選手が自分たちの持っている力を発揮できるようなジャッジをする」ことなのですが、参加する大会のレベルが上がり私もその大会に出場する選手に合うような審判員であれるように頑張っていかなければいけません。

これからまた新しいスタートです。いろんなことがあると思いますが、この日の喜びを忘れず頑張りたいと思います。いつもこの「まとちか日記」を読んで応援してくださる皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。2008年からの私も宜しくお願い致します。

兵庫サッカーデー2007-12-10

2007年12月

皆さん、こんにちは。

長くて暑い夏が終わり、秋も去りあっという間に師走を迎えました。「日記の更新もせずに今まで何をしてたの?」と言われると心苦しいですが、今年は仕事が変わったり、審判のテストがあったり引越ししたり…と自分の中でとても忙しい夏になりました。

こんな感じで日記の更新が出来なかった言い訳をしつつ、ただただ忙しいだけの日々を送っていたわけでなく、自分にとって世界が広がる日々を送れた気がします。

去年から兵庫県サッカー協会の企画委員としてサッカー協会のお手伝いをさせていただいているのですが、今年の10月に「兵庫サッカーデー」というビッグなサッカーイベントを開催させることになりました。2002年日韓ワールドカップや去年ののじぎく国体で、兵庫県全体がサッカーで盛り上がり、さまざまなサッカーファンが増えてきたことを、このまま次につなげていこう!ということで企画されたこのイベント、約1年間どうしたらたくさんの人に来てもらえるか、たくさんの人に楽しんでもらえるか、サッカーに興味を持ってもらえるか…たくさんの会議を開き、たくさんの人の協力を得て開催されました。

これから毎年「体育の日は兵庫のサッカーデー」にしよう!と第1回目の計画を立ててきました。子供から大人、レディース、フットサルまでのサッカー競技にに加え、神戸で代表的なトップチームヴィッセル神戸TASAKIペルーレ、INACレオネッサ、そして今年から始まったFリーグからデウソン神戸にも協力をしていただきました。が、当日はあいにくの秋雨になってしまい、予定していたイベントの半分以上が中止をしなければいけないというとても残念な結果になってしまいました。そんな中でも実行できたイベントに来てくれた人の笑顔が一つでもあったことがとてもうれしかったです。そして私が初めて見ることができたサッカーが「ブラインドサッカー」でした。

去年の障害者ののじぎく国体では、3位決定戦の主審をやらせていただいたりと、知的障害者のサッカーを見る機会はあったのですが、視覚障害者のブラインドサッカーは初めてでした。兵庫県選抜 VS 日本代表 の試合でボールの中に入っている小さな鈴の音とコーチや味方の声をたよりにぶつかり合いながら行われるゲームはかなりの迫力で目が離せませんでした。

ブラインドサッカーはタッチラインが壁で覆われており、その持ち運び用の壁にお金がかかったりいろんな大変なところも聞くことができました。でもこうやって目の前で障害を持ちながらも楽しめる、一生懸命できることがある人たちは本当に輝いていて、もっとたくさんの人に広がっていけばいいなと思いました。

第1回目の「兵庫サッカーデー」は、計画していた全てのことはできませんでしたが、これを機に2回目3回目と続いていって、またひとつサッカーを通じて笑顔が増えていけばいいなと思いました。

私は4月に新しく仕事を始めたのですが、私の職場にはたくさんの障害者の人がいます。知的障害、聴覚障害、さまざまな身体障害とそれぞれ持っている(抱えているもの)はちがい、一緒に働いているうちに、彼らにはこんなことが出来るんだと感じることがあったり、こんなことを求めているんだとわかったことがたくさんあります。今年、こういったたくさんの人たち出会えたことで自分の世界が広がり、また一つ大きな成長につながればいいなと感じています。

女性アスリート2007-08-20

2007年8月中旬

皆さんこんにちは。とってもご無沙汰しております。(汗)毎日がとてもあっという間に過ぎていき、もう夏ど真ん中です。

私は、30歳という大台に入ったのを機にいろいろと環境の変化があり、毎日がとても忙しいです。「充実している」といえば、そうなのかもしれませんが、思うようにいかないところもあり悪戦苦闘の日々を送っています。そんな中でも1つホッとしていることが、審判女子1級の1次審査に受かったこと。去年もテストにチャレンジさせていただいたのですが、1次審査で不合格になったので、今年もう1度チャンスをいただけたことは本当に幸運なことなのですが、今年の1次テストで「十分満足いく試合ができたか?」と聞かれれば、「まだまだ調整しきれてませんでした」という答えになってしまい、それでも去年の壁を突破できたことは、正直ホッとしています。もうすぐ8月末には2次審査があり、ここでは宿泊ありの長期戦で、体の調整はもちろん、全てにおいてきっちり準備をして後悔がないようにやりとげなければと思っています。
さて、ここ数年、様々なスポーツ界で女性アスリートの活躍が目立っていますが、そんな中、私がとってもうれしかったニュースが「TASAKIペルーレの磯崎選手の入籍発表」でした。年齢が1つ違いの磯崎選手の入籍は、同じ女性として、喜ばしくもあり、うらやましくもあります。(笑)どうしても女性選手の結婚となると「引退」という文字が出てきてしまうものですが、「理解ある夫」で、このまま現役を続けられ、支えてくれるパートナーが一緒にいるというのはとても幸せなことだと思います。

もう一人、なでしこリーグで結婚し、お子さんができて母親になっても現役で活躍されている、伊賀くの一の宮本ともみ選手がいます。柔道のやわらちゃん同様、子供を出産し、復帰するというのはとても努力がいることだと思います。お母さんになったからこそ出てくるパワーというのはもちろんあると思いますが、家族を支え、自分とも戦い、そんな女性アスリートをとても尊敬します。でも絶対に周りの協力、理解というのは必要だと思うし、それによってあきらめてしまった人もいると思います。

それは女性審判員でも同じことだと思います。がんばって女子1級まで上がった人でも、結婚、出産で現役から遠くなった人もいます。自分の意思で引退していくのはいいのですが、やっぱりやりたくても出来ない状況であきらめなければならないのはさみしいものです。だからもっと宮本選手や磯崎選手のように、結婚しても、出産してもがんばっていけるように、たくさんの女性アスリートが少しでも長く活躍できるような環境になっていったらいいなと思います。

初代と言われる理由2007-04-10

2007年4月

皆さんこんにちは。この間、年が明けたと思っていたのに、もう4月。桜の季節です。やっぱり1,2,3月は過ぎるのが早いものですね。2007年のJリーグが開幕し、ヴィッセル神戸もJ1での戦いが始まりました。4月末からは、なでしこリーグも開幕します。今年も神戸、いや兵庫チームにはがんばってほしいです。

2年ほど前から仕事の都合でヴィッセルのホームゲームを見に行く機会がめっきり減ってしまった私なのですが、心の奥底ではいつも気にしているし、今でも私がヴィッセルガールをしていた当時からのサポーターの方々、スタッフの方々には大事にしていただいているし、あのときの4年間は私にとって宝物の時間(経験)です。

私の後にヴィッセルガールになった女の子たちからも偶然出会ったりすると、いろんな声をかけてもらえます。今は人数も増え、若い元気な女の子たちがたくさんスタジアムを盛り上げている姿を見ると、応援したくなるし、懐かしく思えます。
中には本当かどうかわかりませんが(笑)、私に憧れて(ヴィッセルガールに)なりました、と言ってくれる子もいるし、私がやっていた頃に試合を見に来ていた幼い女の子だった子が、今ヴィッセルガールをしている子もいます。

よく周りから言われることが、「まとちゃん(ちかちゃん)が初代ヴィッセルガールなんでしょ?」と聞かれますが、実はそうではないのです。

初代ヴィッセルガールは、私も詳しくは知らないのですが、ヴィッセル神戸ができた頃にいたのです。当時も今と同じぐらい人数が多く、数十名いたと思います。ユニフォームを着た女の子たちが、選手入場のときに大きなフラッグを持って、選手が通るトラック(ユニバーの)のところを、旗でアーチのように囲んでそこを選手が入場するのを見たことがあります。その方たちが本当の初代だと思うのですが、私が初代と思われている理由は、試合前、ハーフタイムなどに、ピッチに出て、サポーターの方と一緒にいろんなことをするようになった初めての!?ヴィッセルガールだったからかもしれません。

先ほど話した最初のヴィッセルガールの方が、いっぺんにいなくなったときに、知り合いに「手伝って」と声をかけてもらい始めたのですが、最初はもう一人の女の子と2人で、イベントを中心にお手伝いをし、ホームゲームでは会場の外のテントでお手伝いをすることが多かったのです。でも2年目にその女の子もいなくなって、1人になったときに、スタッフの人で私がタレントの仕事をしているのも知っていた人が、「ここにいるだけじゃあもったいないから、モーヴィー(ヴィッセルのマスコットキャラクター)と一緒にピッチに行って盛り上げてきてよ」と言ってくださり、そこから私とモーヴィーは2個1ぐらいの関係のように一緒にピッチにでるようになりました。

そして私は、たくさんのサポーターの方と盛り上がる快感がとても大好きになって、試合前、試合後ハーフタイムとどんどん出て楽しむようになりました。そういった意味で目立ちだした「ヴィッセルガール」なので、初代と思われているのかもしれません。(笑)
でもだからこそ、私の中での大事な時間だったし、特別な想いがあるヴィッセルガール。
これからも今のヴィッセルガールにはチームからもサポーターからもいろんなファンに愛される存在でいてほしいと思います。

またたくさんの夢や希望を持ったヴィッセルガールの女の子たちが、たくさんの人に夢や希望のエネルギーを注いであげれるような存在でいてほしいです。

カウントダウン2007-02-10

2007年2月前半

 皆さん、こんにちは。今期の冬はとても暖かく、寒さに弱い私にはとても過ごしやすい冬となりました。早々と年が明け、今年の女子1級テストに向けて動き出した今日この頃なのですが、私には、大きなカウントダウンが始まりました。

 カウントダウン・・・・何のカウントダウンだと思いますか?

 あまり自分では言いたくないのですが、30歳までのカウントダウンです。早生まれの私は、2月が誕生日、ずっと20代と言い続けてきましたが、それもあとちょっととなりました。

 私がヴィッセルにいた頃、30歳を迎える選手は、随分年上のお兄さんに見えたし、選手寿命がそれほど長くないサッカー選手にとって、30歳となれば、かなりベテランの域に入ります。だからこそ私にとって30歳というのはすごく重く感じていました。

 30歳になるとどうなるのだろう???

 去年から誕生日を迎えた同級生の友達が、「三十路になっちゃったよ~体が衰えてきた」なんていう子もいれば、逆に30代を楽しみだした友達もいます。

 私も以前のように、睡眠時間を削って仕事ばかりはできないし、友達と朝まで遊ぶという気力はなくなったかも・・・・そういう無茶をしない面では「若さ」はなくなったのかもしれません。(苦笑)でも普段、サッカーをする機会が増えたり、指導者や審判をしている分、体力面ではまだまだ自信があります。幸い、現役でプレーしていた頃も今も、大きな怪我はなく、それがひびくこともありません。靭帯を1度切った選手は、冬になると痛くなったり、動きにくくなったり、また捻挫をした人はそれがくせになったりします。だからそういう面では丈夫な体を持ったことに感謝しています。

 以前からお話したことがある、Lリーグの岡山湯郷でプレーをしている幼なじみもついに引退を発表しました。彼女がプレーしている間にLリーグの主審を務めることができなかったのは残念ですが、これからまた神戸で一緒に楽しくサッカーができればいいなと思っています。

 私が1番年をとったと感じるときは、やっぱり子供の成長をみているときです。
子供たちの成長は早い!!教えてる子も、知ってる子達もどんどん成長し大きくなります。

 先日、電車に乗っていると、偶然ヴィッセルのサポーターの方にお会いしました。私のことを知っているサポーターの方は今でも声をかけてくださることがあり、私はとてもうれしいです。

 その方は、私がヴィッセルにいた頃、小学生の娘さんとよく一緒にホームゲームを見に来てくれてました。その娘さんも私のことを「お姉ちゃん、お姉ちゃん・・・」と慕ってくれていたのですが、その娘さんが今、ヴィッセルガールをしていると聞いてびっくりしました。

 その他、教えていた子供が今、一緒にサッカースクールのコーチをやっているというのも、うれしくもあり、くすぐったくもあり、そして年月が経ったことを感じます。

 20代の私は、好きな仕事をして、好きな活動をし、好きな人たちに囲まれて充実した日々を送ってきましたが、反面甘えていたこともあったと思います。もうすぐ30歳という節目を迎えるにあたって、「なってしまった」のではなく、「なったからこそ」できることを楽しみたいのと、20代で恵まれた日々のことをしっかり活かし、また新たな一歩を大きく進める30代にしていきたいと思います。

 これからもこんな私を宜しくお願いします。

笑顔の理由2007-01-10

2007年1月

皆さん、新年明けましておめでとうございます。最近は、どんどんこの「まとちか日記」を読んでくださっている方が増え、本当にいろんなところで、いろんな方に「見てます」といっていただき、とてもうれしく思っています。が、最近の更新の遅さに少々クレームが・・・・(笑)
「何回開いても更新されてないよ~」って言われちゃって本当に申し訳なく思ってます。
こんなにたくさんの方に楽しみ!?にされているので、今年はもう少しがんばっていきたいです。

2006年のJリーグも終わり、早々と年を越してしまいました。
ヴィッセル神戸は、入れ替え戦の末、なんとか(本当になんとか)J1昇格が決まりほっとしています。入れ替え戦では、アビスパ福岡との戦いでしたが、福岡には監督をはじめ、選手も私がヴィッセルにいたころの方がたくさんいたので正直、心中は複雑でした。
J1からはサンガ、セレッソの関西2チームの降格が決まり、寂しい限りです。サンガ、セレッソもなんとか1年で戻ってきてもらって、来年は関西4チームがJ1で戦ってほしいものです。
今は、選手の引退や移籍の話がとびかってます。女子でも元TASAKIペルーレで、最後は日テレでプレーをしていた川上直子選手も引退を発表しました。
Jの方でも引退、移籍の話が日々入ってきますが、ヴィッセルもしっかり補強してJ1リーグに備えてほしいです。

さて今回は、少しサッカーと外れた話をしたいと思います。
私はよく人に「何か面白いことあったん??」とか「いいことあったん??」というふうに、よく笑う(笑顔)だと言われます。自分ではそんな意識はしていないのですが、全然普通にしているときでも笑っているときがあるみたいです。(もちろん怒ったり泣いたりすることもありますよ。笑)
仕事がら、飲食店で働いているときもモデルの仕事をしているときも笑顔でいるときが多いですが、私の場合(笑顔を)作っているというより、仕事も楽しくて自然にそうなっていることがほとんどなのです。だからというわけではありませんが、街中でもどこでも、怒ってばかりな人やいつもおもしろくなさそうな顔をしている人を見ると「なんで???」と思うことがあります。
怒ってばかり、悩んでばかり、しんどいってばかり思ったり言ったりしていると、周りも自分も楽しくなくなります。
「笑顔は幸せを呼ぶ」「笑っていれば病も飛んでいく」とか言われるように、癌患者が、吉本新喜劇を見に行く治療もあると聞きます。
少々風邪を引いたり体調が悪くても、楽しいことがあれば忘れていつの間にか治ったりします。

知り合いの結婚式やうれしい話を聞くと、自分まで幸せな気分になります。
コーチもしているときも、もちろん得点が決まって勝ったときはうれしいし、子供たちが思わぬプレーを見せてくれたり、いい試合をしてくれたら楽しいし、うれしくなります。

審判をしているときも、選手がちょっとぐらいのファウルやあたりにも負けずに抜こうとするプレーを見ると気持ちいいし、負けてるチームが最後まで一生懸命戦う気持ちが見えたり、両者とも全力で戦ってくれる試合は、とてもうれしくなります。こういうとき、私はきっと自然に笑顔になっているのだと思います。
でも私のこういった気持ちは、初めて会った人やみんながみんなに伝わるわけではないので、時には「へらへらしてる」と見られたり、誤解を生むこともあるかもしれません。
それに真剣な顔つきをしないといけないとき、怒らなければならないとき、そんなときも必要です。
でも私自身は、気持ちを高めて上を目指すには楽しむこと、笑うことが絶対必要だと思っています。
だって、いつも硬く考えて難しい顔して悩んで、やっていてもおもしろくなくてつまんなくなったり、嫌になったら絶対上に伸びないような気がしませんか?好きなこと楽しいことだからこそ頑張れるのです。

最近は変な事件や嫌な事件がよく起こっていますが、今年はたくさんの人が笑っていられ、幸せなことがたくさん増えたらいいなと思います。

のじぎく国体2006-10-10

2006年10月

皆さん、こんにちは。夏の暑さが一気に抜け、ずいぶんと寒くなりました。昼間は暖かいときがありますが、朝、夜は冷え込み、私の周りでも体調を崩す人がいます。皆さんも体調には気をつけてください。

さて、何年も前から準備されてきた「のじぎく国体」があっという間に終わりました。
今年は地元開催県ということで、私はまだ審判2級ですが、参加させていただくことができました。

本大会の開会式がユニバー記念競技場で華々しく行われた9月30日(土)、私たち審判員は三木防災公園に移動し、体力テストを行いました。

12分間走、50m走、200m走を測定し、規定に達しなければ参加できなくなります。走れないことはないだろうと思っていても、そういったプレッシャーで少し緊張しました。

12分間走は、まだまだ距離の記録を伸ばさなければいけませんが、自己ベストが出てよかったです。がんばって走った分、明日からの試合で疲れが残らないように、ゆっくりスチレッチを行い、宿泊場に戻りました。この日の夜は、審判員全員で研修と大会の要項の確認などを行い、1日目が終わりました。2日目から試合が始まりましたが、成年女子の試合は1日遅れで始まるので、この日は少年と成年男子の会場にわかれました。私は少年の試合の第4の審判員に割り当てていただき、アスパ五色の会場に行ってきました。

第4の審判員ってあまり仕事がなく、真ん中で座ってるので「楽(らく)」って思われている方いませんか?私はけっこう、この第4の審判員が苦手です。ベンチコントロールといって、両ベンチのスタッフ、控えの選手がベンチでのルールを守っているかを見たり、交代選手の手続き、ロスタイムの表示、負傷者が出たときに主審の合図でタンカを誘導したり、試合で何か起こってないかチェックしたりなど、どこにも目を離せず緊張感がはしります。もちろん主審や副審は大変ですが、あまり動けない分、緊張感が増したりします。

そんな第4の審判に当たっていた試合も無事終わりました。夜は全員で、各会場での報告会を行いました。

試合2日目からは成年女子の試合も始まり、女子の審判員は加古川と日岡山のグランドにわかれました。女子の試合の1日目は、4試合行われるため、1試合目の開始時間が早く、1試合目に割り当たっている審判員は、加古川のホテルに移動して前泊しました。私もその中に入っていて、夜の報告会が終わるとすぐに、みんなで大きな荷物を持って移動し、次の日に備えました。

成年女子はLリーグの選手が主体の県代表チームが多くて、見慣れた顔ぶれもあったので落ち着いた空気でした。ただ副審が2試合当たっていたので、試合と試合の間に自分なりに休んで調整をしました。

予定ではこの日で私は任務が終わり、帰ることになっていたのですが、もう1日試合の割り当てをいただけることになり、急遽もう1日残ることができました。国体に参加できる機会はそうあるものではないし、たくさんの審判員の人と過ごせるときなので、少しでも長くいてなかなか会うことのできない女子1級の方や、その他の1級の方と一緒にいていろんな話ができてよかったです。こうして開催県の兵庫は、少年3位、成年男子4位、成年女子3位と開催県のプレッシャーの中、選手たちもがんばって、無事終わることができました。

10月14日(土)には、のじぎく障害者大会が始まり、こちらの大会も参加させていただきました。最終日の3位決定戦の主審をやらせていただくことになったのですが、障害者とは思えない選手の元気な動きや試合内容のレベルの高さをみていたので、決定戦の主審に少しプレッシャーがありました。しかし、試合が始まってからの選手のフェアーで一生懸命戦う選手の中で私もとても気持ちのいい試合ができました。障害を感じないほどの思い切ったプレーでこちらが勇気をもらえるような大会だったと思います。試合が終わってからも、負けた方のチームの選手が「いい試合ができました」と話しかけてくれたとき、ほんとうにうれしかったです。

私は、こののじぎく国体でサッカーの競技しか関わってないし、他の競技を見る機会もなかったですが、サッカーだけでなくその他多くの競技の本大会、障害者大会でたくさんのドラマがあったと思います。選手、チームのスタッフをはじめ、会場のたくさんのスタッフや会場に応援にきてくれたたくさんの人たちでできたのじぎく国体は長いようで、あっという間に終わりましたが、とてもいい大会になったのではないでしょうか?これが次へとつながっていけばいいなと思います。

合宿2連発の結果2006-08-10

2006年8月

 皆さん、こんにちは。毎日暑いですが、夏バテせず元気にお過ごしでしょうか!?
私は、夏は毎年フル回転で活動していますが、とても元気です。

 ジーコジャパンが終わり、オシムジャパンがスタートしました。私はジーコのサッカーも好きなので、日本では結果が残せなかったですが、非難することもありません。オシムのサッカーはジーコのサッカーと180度違ったサッカーで、メンバーもすっかり変わりましたが、この先どんなサッカーを見せてくれるか、それも楽しみです。

 さて、夏休みに入れば、大会や合宿だらけになりますが、私も夏休み入ってすぐに2連発で行ってきました。今年は7月29日~31日に神戸FCのボーイズD(強化部小学3年生)が行く合宿に参加させてもらうことになり、御津に行ってきました。初めて見る遠浅の海に私も子供と同じようにはしゃいでしまいました。

 1、2日目は、交流試合を行い、いつもは5,6年生を指導している私にとって3年生はまだまだ幼く新鮮で、とてもかわいかったです。(5,6年生もかわいいですよ) 子供たちもまだ「女コーチ」として意識することもなく寄ってきてくれるのがうれしかったです。今年の4月から始まったチームなので、成長もこれから・・・・今はまだ課題もたくさんありますが、6年生になるまでどんなふうに成長していくか楽しみです。

 3日目には、海水浴を一緒に楽しみました。どこまで行っても水は浅く、子供たちに「そんなに遠くに行ったら危ないよ~!」と言いながら、自分も海に入ってみてびっくり!一緒に沖のほうまで行って遊んでしまいました。でもさすがに私は午前中だけでぐったり・・・昼からも海に走り出す3年生にはついていけませんでした。笑

 そして次の週末8月4日~7日には、毎年恒例のサッカースクールの網野合宿!今年は6年生2チーム、5年生2チームの4チームが大会に参加したので、とても目まぐるしく大会が過ぎました。私は今年担当の5年生の会場にいたのですが、網野の方も1日目に私の姿が見えなかったらしく、開会式でお会いしたときに「今年は(網野に)きてくれてないかと思いました」と声をかけてくださり、とてもうれしかったです。と言いながら、今年で私自身12回目の参加のこの大会、あと何年参加するのだろう・・・と心の中でつぶやいてしまいました。笑

 大会2日目でなかなか結果が出せずにいた5年生なのですが、本部テントで手伝いをしていた地元の高校生のお兄さんとすっかり仲良くなり、そのお兄さんが勝てないチームを見て「最後の試合で勝ったら、ジュースをごちそうしてあげる」と言ってくれました。最後の試合はいわば、最下位争いで1日目にも1度対戦した相手だったので、私は子供たちのモチベーションさえ上がれば、勝つ自信がありました。そしてお兄さんの言葉にすっかりモチベーションの上がった子供たちは1-0で見事1勝を成し遂げ、優しいお兄さんにジュースをごちそうになりました。ありがとう!!!

 このような感じでどちらの合宿も楽しく終了しましたが、その結果としてついてきたのが、真っ黒に焼けた肌・・・・。審判に行っても、毎日外で練習している選手たちに「私たちより黒いですよね・・・」なんて言われる始末。もう少しまめに日焼け止めクリームを塗りなおすような性格だったら、あと少しはマシだったかもしれませんね。
P.S
 のじぎく国体が間近になりました。私が審判の上を目指すことになったきっかけの大会です。もし今年兵庫県で国体がなかったら、何年か前に審判の上の級を取ることを薦められなかったかもしれない。そうなっていたら今のように別の角度からサッカーを楽しむことはできていなかった。約40年に1度の地元での開催の大会に、こうやって現役で審判をやっているときに参加でき、廻ってきた運のよさに嬉しく思います。体調を整えて、あとは大会の成功を祈るばかりです。

新たな出発2006-07-10

2006年7月中旬

 皆さんこんにちは。4年に1度の楽しみのワールドカップがあっという間に終わってしまいました。今回のワールドカップは、決勝トーナメントに強豪国チームがそろい、毎日目が離せませんでした。いろいろな問題が取り上げられましたが、やっぱり世界一の大会だけに盛り上がりはすごく、終わってみて寂しさを感じます。

 日本からの審判員、上川氏も決勝トーナメントに残り、3位決定戦の主審を務められたことはとてもうれしいニュースでした。日本代表は、残念ながら予選敗退が決まってしまいましたが、私にとって何よりの衝撃は中田英寿選手の現役引退のニュースでした。

 ブラジル戦が終わった後、ピッチで寝転がり涙を浮かべている中田選手の姿を見て、今までにない思いがあることを、同い年という面ですごく何かを感じるものがありました。「代表にはもう戻らない」という予感はありましたが、それ以上に衝撃を受けたのがその数日後に流れたニュースでした。まさか現役まで引退してしまうとは・・・本当にショックでした。言葉にならないぐらいショックでした。

 中田選手がJリーグに入った当初は、「ファンにあまりサインをしなくてそっけない」「プロもそんなに長く続ける気がない」みたいなところが、私はとても嫌いでした。でも日本代表に入って、海外のチームに移籍し、海外のレベルでがんばり活躍し、サッカーを楽しみ、代表では年上の選手とも自分の思いをぶつけ、ぶつかりながら日本が世界のレベルに追いつくように引っ張っていってくれました。中田選手が年上組になった今年のワールドカップでも報道では「チームとうまくいってない」とか「浮いてる」みたいなことを言われ、皆さんのなかでもいろんな意見はあると思いますが、私はチームメイトと本気でぶつかり思いを伝えようとしている彼の姿にエールを送っていました。

 最後、倒れそうなぐらい走り回った選手が何人いたでしょうか?ブラジル戦で大差をつけられても最後まで気持ちで戦えた選手が何人いたでしょうか?そう思うと、今の日本代表には中田選手の思いは伝わらないのがかなしいし、またそうやって伝えることができる選手が引退してしまうことが、とても残念でなりません。

 私も中田選手と同じ年、毎年毎年、今の自分とこれからの自分について考えることが増えてきます。今年は審判の女子1級テストを受けさせていただきましたが、1次審査から不合格の結果が出てしまいました。神戸をはじめ、関西の審判の方々の期待に応えられなかったのが情けなく、自分自身もすごく悔しく落ち込んだりしましたが、私はここからまた、だめな自分を捨て新しい1歩を踏み出そうと思います。転機をむかえるこの年頃、中田選手は引退という形で新しい人生をスタートしましたが、私もまた、新たな気持ちでがんばろうと思います。