まとちかサッカー日記 :大切な人2005-04-10

2005年4月10日(日)

 みなさんこんにちは。今年の桜は開花が遅く、4月に入ってからゆっくり花見をできた方が多いのではないでしょうか?私は今年は花見をすることができませんでしたが、サッカー場までの道に咲いている桜道を通って感動していました。ようやく本当の春が来た!という感じですが、なんと私自身にも春が来ました。私は今までいろんな仕事をしていく中、たくさんの人に出会いたくさんの人に助けてもらい、応援してもらって今の自分自身がいて、好きな仕事ができています。この私の周りの人たちは、私にとって宝物だし、今まで育ててくれている両親や家族、チームメイトや監督コーチ、その他のサッカー関係者、学校の友達や先生、仕事の仲間、この日記を読んでくれる方やサポーターの方などたくさんの大切な人がいます。私に何かあるとみんなが心配し、助けてくれます。そういう時は「本当にわたしって幸せ者だな」と実感するし、その分普段は、私がみんなの力になりたいと思います。こんな私は十分といっていいほど幸せだと思っていましたが、それ以上にかけがえのない大切な人に出会いました。

 私ももう20歳とちょっとなんで(この辺はまだ見苦しい!?笑)いろんな男性に出会い、こう見えて恋もしたことがありますが、こんなに私を大事にしてくれて、私もこの人もために・・・と思うことはありませんでした。これから先、お互いいいパートナーとして一緒にいれて、お互いがプラスになれるような関係が続けばいいなと思います。

 これから仕事もプライベートも今以上にパワーアップしていくのでこれからも温かく見守っていただきたいと思います。

まとちかサッカー日記 :2005年Lリーグ開幕2005-04-09

2005年4月9日(土)快晴

 皆さんこんにちは。去年のヘアーショーで切られた髪もようやく伸びてきて、見た目の女の子らしさが戻ってきました(笑)。今年のJリーグは18チーム1ステージという形で開幕しました。この変更で、注目度、盛り上がり度がどのように変わるか楽しみです。

 そして今日4月9日(土)にLリーグも開幕しました。去年に2級審判に上がったのですが、2004年のLリーグはデビューできずに終わりました。でも今回、開幕から割り当てをいただき、2005年のLリーグ開幕戦で副審デビューすることができました。

 私の晴れのデビュー戦となったのは大阪高槻萩谷総合運動公園で行われた、宝塚バニーズVS高槻スペランツァの試合でした。去年の12月に行われた日本女子選手権でLリーグのチームの公式戦を経験したので、流れ的にスムーズに緊張もなく進んだのですが、両チームとも関西のチームだけあって観客が多かったのと、去年から続いているなでしこブームの盛り上がりで注目度があったので、そういった面でいい緊張が持てました。

 試合はスペランツァの勝利で終わりました。自分自身の反省点はもちろんありますが、無事デビュー戦を終え、ほっと一息・・。これからももっともっと経験を積んでいい試合の援助ができるようになりたいです。

 Jリーグに負けないぐらい今年のなでしこリーグが盛り上がってほしいと思います。

まとちかサッカー日記 :アクシデント2005-03-08

2005年3月8日(火) 晴れ

 皆さんこんにちは!祝50回でございます!!早いものでこの日記を書き始めて2年半。まさかこんなに続くとは思ってもみませんでした。これも読んでくださっている皆様のおかげです。「読んでるよ~」という一言にはげまされてここまできました。これからもマイペースではございますが、更新していきますので宜しくお願いします。

 さあ!春が来た!と思ったらまた寒くなったりとよく分からない気候が続いていますね。今年は花粉の方もすごいらしく、私の周りにもつらそうな人がいます。皆さんは大丈夫でしょうか?私は去年まで全く縁のなかった話ですが、今年は暖かくなったとたん鼻水が止まらなくて大変で「うわ~ついに(花粉症に)なってしまったか・・・」と憂鬱になったのですが、2、3日ですっかり」止まり、ただの風邪だったようです。(笑)

 さて、何年も長袖審判服も買えなかった私ですが、去年がんばった審判代でUMBROの審判服を一式そろえました。うれしくて早速着てやっていますが、素材が軽く、通気性もよくてびっくりです。こういうウェアーもどんどん良くなっていくな~と感心してしまいました。そして先日、知り合いの紹介でデサントの展示会に行ってきていろいろ見たのですが、女性用のウェアーに力を入れているなと感じました。今まではサッカーウェアーは男性の体系が基準で、私はまだ身長があるほうなのでそれほどサイズには苦労しませんでしたが、小柄な女の子はジュニアサイズでは小さかったりとサイズ選びにも苦労したりしてました。それにアンダーウェアーなども、やっぱり男性が求めるものとは少しづつ違ったりすると思うので、そういうところや色的にも女性らしいものが出てきたりすると、フットサルなどでも女性がもっと入りやすくなっていくのではないかと、女性用のウェアーに目を向けてくれてることにうれしくなりました。

 さてさて皆さん、サッカーのルールブックを読んだことがありますか?審判の資格を4級から持っていらっしゃる方は必ず読んだことがあると思うのですが、その中で「Q&A」というページがあり、「こんなときどういう判断(判定)をしますか?」のような質問があり、それについての回答が書いてあるのです。その中に普通ではなかなかありえないだろうという状況が書いてあり、「なるほど・・・」と思う半面「こんなことないし・・・」と思っていました。

 3月8日(火)に昼間の仕事が終わってから啓明グラウンドに行き、中国天津の女子チームVS宝塚バニーズの交流試合の4thをしました。啓明グラウンドは人工芝になったときナイター照明も変わったので、今日はそのナイター照明を使って19時30分キックオフ。

 主審はJリーグでも審判されたことのある1級の方で、一緒にやらせてもらうことは初めてだったので「勉強しよう」と楽しみでした。45分ハーフの前後半で交代は7人までできるというルールで行われました。天津のチームには女子W杯に出てたという選手もいるらしく、初めて海外チームの試合に審判で関わるのですごく新鮮味がありました。前半は何事もなく、主審をされてる方の動きなどゆっくり見れ、自分に足りないとこなど考えたりしてるうちに終わりました。

 後半は交代選手が増えるので、忙しくなるだろうと思いながらスタートしました。そして後半が始まって五分も経たないとき、ナイターの照明が突然半分消えたのです。「うわっ」と思い、主審はどうするのだろうと立ち上がりましたが、試合はインプレーで続いていました。照明の半分は点いていたのでアウトプレーになってとめるのかな?と思った瞬間「バチッ」と全部消えて真っ暗になってしまいました。それと同時に主審が試合をすぐ止め、状況確認にきました。

 どうやらある時間でナイターが自動的に消える設定がしてあるらしく、解除をして照明を点けるには時間がかかりました。その間選手は上着を着て、ボールを蹴ったりして体を動かす人もあれば、控え室に戻って休んでいる人もいました。私たちも体が冷えないように体を動かしながら待ちました。2~30分後、照明が戻り、ボールを止めた地点からのドロップボールで再開しました。試合が何事もなく流れ出し、ほっとした瞬間、また照明が全て消えて真っ暗になりました。選手の体もまた冷えてしまうし、ナイターゲームでこれ以上遅くなってはいけないということで試合はここで中止になりました。今日の試合は公式戦ではなかったので再試合はありませんが、こういうことが本当に起きるんだな・・ともう1度ルールブックを読み直す気になった試合でした。

まとちかサッカー日記 :引退と移籍2005-02-28

2005年2月

 皆さんこんにちは!VDも終わりました。チョコをもらった方、あげた方それぞれ素敵な日になったでしょうか? 私は今年は父親にしかあげておらず、なんとも悲しい日でした。(涙) ま~お金をあまり使わずに済んだのでいいのですが・・(負け惜しみ 笑)

 スポーツでは野球もサッカーもキャンプの時期、Jリーグの開幕も待ち遠しいです。Lリーグも同様、そろそろ各チーム動き始めてる時期だと思います。シーズンオフはどうしても引退する選手、移籍する選手の話になりますが、今年の田崎ペルーレにはとても驚きました。まずは、私がサッカーをしていた神戸FC出身で、田崎ペルーレのキャプテンでもあり、女子日本代表で去年はすごく注目されていた川上直子選手が、ライバルチームの日テレベレーザへ移籍が決まりました。このことを初めて知ったときは、私もショックでしたが、10年以上いたチームから離れ、周りの批判を受ける覚悟で移籍を決意した川上は、何もかも変えたい、自分自身の挑戦という強い気持ちがあるような気がしました。だから私はこれからも川上を応援していこうと思うし、がんばってほしいと思います。ペルーレに残っている選手もチャンスができたと思って新たにがんばってほしいと思います。

 もう一つは引退の話ですが、この日記でもちょくちょくお話したことのある私の元チームメイトで、田崎のGKをしていた大西めぐみ選手が引退することになりました。GKをやっている人で腰を痛めることは多いのですが、彼女もその一人で、ずっと腰の痛みと戦っていました。9年間田崎に所属し、ようやく試合に出られるようになったのが約3年前・・。長いサブ時代をぐっとがまんし、コツコツとがんばってきて、おと年のシーズンに全日本女子選手権、国体、リーグ優勝と総なめした時は本当にうれしかったです。去年の初めに続けるかどうか悩んでいましたが、彼女なりに去年1年続けることを決め、がんばってきました。去年の田崎は結果がよくなかったので、相当くやしい思いをしているはずですが、「他でサッカーするぐらいなら(できるぐらいなら)田崎でやるよ。」という彼女の言葉を聞いて、それでも「これ以上は無理だ」と決めたことに、私はもう何も言わないことにしました。(言えませんでした)

 彼女と同じピッチで審判をするということは、もうできなくなりましたが、私も限界まで走り続けようと思います。

 今シーズンペルーレが大きく変われるかどうかの勝負の年だと思います。皆さんの応援で後押しして盛り上げていきましょう!

P.S.
おと年のリーグ優勝が決まったさいたまスタジアムでの最終戦を私は見に行ったのですが、試合前のセレモニーで大西選手が私に気づいて投げてくれたサインボールを取りそこなったことが悔やまれる今日この頃です。めぐっぺ、9年間お疲れ様でした!!

サッカーとハート :指導者の固定概念排除2005-02-07

カンファレンス

1月8日から10日まで浦安市文化会館にて第4回フットボールカンファレンスが開催され出席した。今回は「ユース育成」がメインテーマに掲げられ、様々なプレゼンテーションが披露された。それらを聴講することで新しい情報や諸外国の実例を垣間見ることが出来、非常に刺激的であった。1日目のU-20代表監督・大熊氏、U-17代表監督・布氏、JFA GKプロジェクト長・加藤氏、U-19/17女子代表監督・今泉氏らによる2004年各種代表の活動報告(U-20/17はアジア予選の報告)に始まり、2日目はドイツ バイヤーレバークーゼン ユースアカデミーダイレクター ヨルク・ビットナー氏による「バイヤーレバークーゼンにおけるユース育成」、前フランスサッカー学院校長 クロード・ドュソー氏による「フランスサッカー協会のユース育成」、イングランドサッカー協会GKコーチ マーチン・トーマス氏による「イングランドにおけるキーパー育成」、UEFA技術委員長 アンディー・ロクスブルグ氏による「UEFAのユース育成」などのプレゼンが展開された。

色々と細かい考え方が述べられたのだがどのプレゼンターを見ても感じることはとても表現・表情が豊かであり、加えてユーモアもありと、とても聞きやすいものだった。耳にすんなり入ってくるというのか、言葉・表現・表情・言い回しにいやみが無い。話をすることに慣れているのだろうが、聴衆を飲み込むというか堂々とした態度が共感を呼ぶ。

話の内容としては、大局のテーマに違いはあるものの共通しているのは“グラスルーツ”というキーワードだった。これは簡単に言えばサッカーの普及ということになるのだが、つまり若年層への働きかけ・環境整備がその国のサッカーパワーを向上させるということを理解し対策を立てなければならないということである。競技力が高いプレーヤーだけでなくあらゆるサッカープレーヤーにサッカーの環境を与えること、そしてそのなかで競技力が高く、自国の代表になっていくものへは専門的な働きかけが必要であるということである。ただそういった普及と強化が繋がって一定の成果をもたらすようになるためには、資金・環境・設備・ヴィジョン・コーチングノウハウ・教育など沢山の物を充実させていかなければならないということを忘れてはならないということも話の中には押さえられていた。

握手という習慣の出会い

今回のカンファレンスで思ったことのひとつにこんなことがあった。こうやって全国の指導者が一堂に会して勉強会をする機会はもとより、サッカー界の指導者たちは顔を合わせるたびに必ず挨拶と同時に握手をするようになったということである。もう標準事である。とてもスムーズである。ほんの6〜7年前はこんなこと皆無に等しかった。実は私は19年前にある体験をしたことがある。大学卒業と同時に入った神戸FC入社1年目の6月、神戸市立磯上球技場にて行われたユースチームのクラブチーム東西対抗戦・西軍選抜の練習会でのことである。そのとき西軍選抜のコーチとして来ておられたあるコーチ(当時ですでに長年指導者をされていたという大先輩)が新参者の私に握手を求めてきてくれたのである。当時、握手をするような人に出会ったことの無い私は驚きと恥ずかしさでどうしてよいやら困った記憶がある。当時の私には考えられない行動である以前にこんなことをする人はおかしいんじゃないか・・・という認識さえあった。しかしそれから20年近くたっている現在、それらの行為は今では当たり前事である。

サッカー界の仕掛け

人間という生き物は、根本的に人と人の接点なくして生きていけない。と同時に生きていたとしても精神的に健康ではなくなるように出来ている。理屈ではない。本能なのだ。そしてそれは異性に対してのものと同姓に対してのものとの違いがある。しかしスポーツという媒体を介してはそれらを超越する“親しみ”があったり、”思い入れ“があったりする。最初は照れくさいと思っていた行動でも当たり前のようになっていく。

諸外国では文化的な違いがあるためなのか久しく会っていなかった人と再会したときや別れを惜しむときなどは、頬と頬を寄せ合いぬくもりを感じ親愛の情を表す。日本人にそこまで求めることは難しいが、握手すら文化としてない日本人がサッカーやスポーツに限ってはいまやいとも簡単に、そして当たり前のように握手をするようになってきた。そう思うと日本のスポーツ界の先人を切ってサッカー界は”握手の風習“を根付かせてきたといえる。

まだ間に合う

 この習慣付けに見られるようにの日本サッカー界はグローバルになったと感じる。そして日本スポーツ界の先陣を切って様々な仕掛けをしていることはサッカーに携わる我々にとってはとても誇りに思えることである。指導者養成事業にしてもしかり、選手発掘・育成システム(トレセンシステム)の確立しかり、プロ化しかり、2050年宣言しかり、Jリーグというネーミングしかり・・・。

どれをとっても先に仕掛けてきた日本サッカー協会ではあるが、JFAに限らず地域協会もそうなのだがサッカーという世界はいつの時代をとっても技術委員会から変革の波がうねっている。昨今のJFAの変化もそうである。そう思うと神戸FAも兵庫FAも今以上の成果を求めるには、技術関係者から変革の波を起こさねばならない。ドイツ バイヤーレバークーゼン ユースアカデミーダイレクター ヨルク・ビットナー氏、前フランスサッカー学院校長 クロード・ドュソー氏、イングランドサッカー協会GKコーチ マーチン・トーマス氏、UEFA技術委員長 アンディー・ロクスブルグ氏らに見られる表現・表情の豊かさとユーモアを勉強し、そして聞きやすい言葉・表現・表情・言い回しを駆使し、いやみが無い話が出来るプレゼンターとしてリーダーになっていく人材が必要になってくるということだ。

私は神戸・兵庫の場合は“組織の変化”というより指導者の力量アップ、外部のサッカーを見聞する機会の増加と見聞を基にした指導フィーリングの抜本的改造が必要と考えている。変わっていかなければならない時期が来ているのである。つまり外(自分以外、市外、県外、国外なんでも)を見て(自分以外のものをたくさん見て色々知って)自分の今を振り返り、今の自分に何が足らなくてどうしたら足らないものを会得できるかということに気づく必要があると考える。自分の固定概念を取り払っていかないと・・・。大脳の可塑性が進行している年代ではだめ・・・?

まとちかサッカー日記 :2005年を迎えて2005-02-01

2005年2月1日(火)

 皆様、大変遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。去年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか?私にとっては、と~っても早い1年でした。年々月日が流れるのが早く感じるとはいえ、去年の早さは本当にびっくりです。

 しかし、審判では2級に上がり、タレント業ではCMの仕事もでき、もちろんつらいこともありましたが、結構充実した1年だったかもしれません。今年もきっと驚くほど早く過ぎると思うので、毎日を無駄に過ごさないためにも目標を立ててみました。

(1)体力増進・・・審判で上を目指していく中、日々の体力トレーニングは必要なのに、今は寝る時間を作るのが精一杯!生活に少し余裕を持ってトレーニングの時間を作り、体力をつけていきたいと思います。

(2)パソコン習得・・・去年まではパソコンではなく、シグマリオンという小さなパソコンのようなものを使っていたんですが、容量に限界があり、動かなくなってしまったのです。これをいい機会に今年の正月に自分自身のお年玉として、ようやくパソコンを買いました!が何も教えてもらったことのない全くの素人で、何もかもこれから覚えていきます。せっかく高い買い物をしたので、がんばって使いこなせるようになり、仕事にもいかしていきたいです。

(3)全国ネット・・・タレント業では目標は高く全国ネットに出ること!去年は四国電力のCMで四国デビューを果たしたので今年は全国を目指しがんばります。

と、大きく3つの目標を上げてみました。(あっ4番目ぐらいにすてきな彼氏を作るっていれておこうかな笑)

 皆さんに発表した以上、少しでも目標に近づき、達成できるようにがんばります。

 今年ももうすでに1ヶ月が過ぎました。残り11ヶ月何も変わらないまま終わってしまわないように充実した1年にしたいです。この日記ももうすぐ50回を迎えようとしています。これも私のぼやきや、たわごとにつきあってくださっている皆さんのおかげです。「まだ更新しないの?」と私を見かけるたびにいってくる人もいてプレッシャーもありますが、「楽しみにしてくれるのかな??」なんて勝手に思い込んでます。

 この日記共々今年も宜しくお願いいたします。皆さんにとってもよい1年になりますように・・・!

サッカーとハート :好転2005-01-11

遅ればせながらその後の報告IIIを・・・

2004年度関西学生サッカー秋季リーグ2部順位戦は11月28日(日)に1部との入れ替え戦権をかけて2部Bブロック2位の大阪教育大学と対戦した。前半を終えて0-0という一進一退のゲーム。得てしてこういう試合はセットプレーが左右するもの。案の定コーナーキックから押し込まれて0-1で敗れてしまい、総合4位に終わった。

結局、2部A1位大阪商業大学vs2部B1位大阪産業大学戦は、延長1-0で大阪商業大学が勝利し1部自動昇格を果たした。敗れた大阪産業大学は、1部9位同志社大学と入れ替え戦を行い、1分1敗で2部残留となった。一方我々に勝利した大阪教育大学は、1部8位の近畿大学と入れ替え戦を行い、1勝1分で1部昇格を果たすという結果になった。「われわれが入れ替え戦に進出していたら・・・・」とか「リーグで引き分けた商大や惜しくも敗れた大教大が1部昇格だから我々も・・・」とか考えがちになる。しかし勝てなかったことが実力であり事実である。今我がチームの選手が「そこそこやれたやないか・・・来年はいけるで!」と軽く考えてしまわないかが心配であり、必ずといってもいいほど陥る危険な現象であろう。

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。

書初めにて

2004年12月中旬には次号を書き上げないと・・・と思い少々あせっていたのだが、気が付いてみると1月ももう半ばである。というより新年に移り変わり、年が新しくなっている。皆さんに旧年中のお礼も言わずに失礼し、なおかつ新年の挨拶までサボっているとはなんとも情けない・・・。今年になって罰が当たりませんように・・・。昨年は昌子家の長男・源(親子の仲はすごく良い。)の二度の入院騒ぎ、長女のギプス巻き事件、一昨年は家人の顔面骨折と良いことが少ない二年間だったので、今年こそは良い年になりますように・・・。昨年は私の本厄という事で、何でもかんでも原因は私になっていた。しかも私には何も起こらないのであるからたちが悪い。今年は良い年になりますように。

我が家は毎年正月3日に書初めをする。今年も子供たちと一緒に書いた。長男は「希望の大地」、長女は「白雪の連峰」と書いた。まあこれは、学校のほうでいくつかの候補の中から本人に選ばせていたようだ。私は「飛躍の一年」と。しかし飛躍というのにも色々意味があって「飛躍のための充電期から少しずつ芽を出していく」というニュアンスだ。一気にここで飛躍はしないほうが良い。飛躍してしまったら後は凋むだけだから。

ボールけりの喜び

3〜4年前に比べると遠征の数が減り、家にいる時間が長くなり少々勝手が違ってきた。以前は、夏休みであれば40日中30日は家におらず、しかも家にいないプラス5日は家で食事をしていない。つまり夜帰ってきて寝るだけという日が5〜6日という状態。冬・春休みは20日中15〜16日は何かしら行事があった…。クラブチームの有給指導者たちは、現在でもそのような状態である。そんな中、1月3日に神戸高校へ神戸FCの初蹴りに参加しようと行ってみた。しかし遅れて行ったため行事は終了するところであり、ゲームに参加出来なかった。そこで長男と少しボールを蹴った。そのとき思った、「こういう時間をとって一緒に遊べるのが不思議な感じ」と。それぞれ人生には価値観があり、考えがあるので一概にどうこうは言えないのだが、子供とこうやっている・・・なんでもない時間がとても幸せに感じたのである。今の自分の仕事環境が良い悪いでなく、時間を作る努力はしなければと・・・少しセンチになりながら考えていた。

潜んでいる危険

子供と一緒にいられる喜び・・・そうしてみると年末から年明けから不幸な事件が沢山ある。スマトラ島沖の大津波にみる災害、1月9日には尼崎で起こったパトカー追跡時の踏切事故(食事後の飲酒検査の指示に従わず11歳の子供を含む3人の乗った車が踏み切りに進入して衝突事故死)、今日11日には実際に自分が三宮に行く途中と帰宅する途中に2件のバイク転倒事故を目撃。うち1件は車から降りて単車を起こして救助をするという偶然に出会った。本当に些細なところに幸せがあるのと裏返しに、不幸もすぐ近くに潜んでいる。昨年、一昨年は今日のバイク事故ではないが意外なところの身近な事故に苦しんだのだから思いは強い。

サッカーも同じ

サッカーでもそうである。年柄年中・四六時中調子が良いということはまずありえない。気分的に乗らないとき、精神的に盛り上がらないとき、実際に嫌なことがあってしょげているとき・・・プレーそのものが冴えない事はいくらでもある。サッカーは相手がいることであるからましてや、まともに戦っても力関係でやり込められることさえある。しかしどん底(私はいくら下がってもどん底にたどり着くことなんてありえないと思っている)とは言わないが、ある程度、低迷・苦しみ・苦難・うまくいかないという環境に陥っても大丈夫。もともと人間なんていくら調子が良くても続かない生き物なのだから、良かった人もやがて落ちてくるし、落ちていた人は上がってくるのであるのだから。こう言う図式にしかならないのである。そう思うと“飛躍”しすぎては少々怖いものがある。日々自分流にて落ち着き、時間を使うことのほうが良いのではないか?そして良いアイディア・良い精神力が備わり、好転していくのではないか?・・・なんていうようなことを考えながら、3月21日に行うSCIXコーチングセミナーの打ち合わせに行くために車を注意深く運転していったのであった。

まとちかサッカー日記 :クリスマスプレゼント2004-12-26

2004年12月25、26日(土、日)

  皆さんこんにちは!街はクリスマス1色!今年も神戸の街はルミナリエでにぎわっていました。私はルミナリエが始まった最初の2年ぐらいは見に行ってたんですが、それからはさっぱり・・・。見に行きたいのは山々なのですが、一緒に見に行く相手がいないというのと(涙)、ふだん飲食の仕事をしているので12月は休みを取る余裕なんてないので見に行けませんでした。

 それにもまして今年は12月18日から全国大学女子選手権(インカレ)が始まり、副審、4thの割り当てをいただいて参加することになってました。女子1級の最終テストになるこの大会を私も経験しておきたかったので、バイト先には頭を下げ休みをもらい行かせてもらいました。

 毎年この時期は雪が降ったりして、会場ではみんな凍えているそうですが、今年は暖かく気持ちのいいぐらいで、先日の日本女子選手権とは違う、大学同士という大会の雰囲気を味わいました。23日の準決勝の4thの割り当てを最後にインカレを終えました。

 そしてクリスマスイヴは、ここ6年ほど仕事をしており、バイト先でも昨年からクリスマスディナーを始めたので、幸せなカップルのためにがんばりました(泣)

 25、26日はというと、いつもは神戸FCの普及部であるサッカースクールを担当している私なんですが、今回久しぶりに強化部であるボーイズの遠征について行くことになり、ボーイズB(5年生)と大阪の高槻へ「郡家カップ」という大会に参加しました。

 1日目は予選リーグ、2日目は決勝トーナメントという大会で、神戸FC、愛知FC、紫光クラブが優勝候補と言われる中、予選リーグで紫光クラブと同じブロックに入ってました。

 宿泊有りの遠征だったので、保護者の方2人の引率と子供22人の移動でした。ボーイズは3年生からリーグ登録し、いろんなところへ試合に行ってるので、5年生の子達と電車に乗っていると子供たちのマナーを見て、「移動慣れしているな~」と少し感心してしまいました。引率に来てくれたお母さん方に「せっかくのクリスマスにすいません。」と恐縮されましたが、クリスマスだからといってそんな予定もなかった私には痛いお言葉でした(笑) 1日目の予選では、優勝候補と言われる紫光クラブに対し、とてもいい試合内容で、結果も1-0で勝ち、1位突破できたのでよかったといいたいところですが、この日の他2試合では内容がいまいちだったので、この辺がこのチームの課題だな・・と思いました

 そして2日目のトーナメント戦では、1試合1試合順当に勝ち上がり決勝戦へ進みました。その決勝戦の相手がなんと紫光クラブ!再試合です。相手からすれば、リベンジ戦で今度こそは・・と思っているでしょうけど、こっちも優勝のかかった決勝戦、負けるわけにはいきません。昨日のようにがんばろうと気持ちを1つにし、試合開始。前半に先制点をとりいいスタートになったのですが、相手も作戦を変えてきて、DFにいたキック力、勢いのある子を前にあげてきたのです。こちらはポジション修正が遅れてしまい、立て続けに3点入れられてしまい1-3になってしまいました。前半終わりに1点返して2-3でハーフタイムになりました。

 後半に入るとお互い1歩も許さずといった感じの接戦でチャンスもなかなか点につながらず、「もうだめか~」と思ったロスタイムに、なんと同点に追いついたのです。ここまでで見てる側からすれば「よくがんばった。満足」といいたいところなんですが、試合はそうもいかず延長戦に入りました。あとは子供たちに最後の最後までがんばってもらうのみ!延長戦が始まると、流れはわがチームの方へ・・期待も膨らんだその瞬間、うちのキーパーと相手が接触して、キーパーの子が負傷してしまいました。何とか立ち上がったのですが、すぐに本人が「無理」と合図をしてきたので、キーパーを交代することに・・そして交代で入ったキーパーの子が小柄で、とても真面目でやさしい子で、急な交代で大丈夫かなと思いましたが、他のメンバーのがんばりもあってそのまま延長戦終了!なんとPK戦に突入です。

 PKのキッカーの順番を決めにみんなが戻ってきたとき、交代して入ったキーパーの子が緊張のせいか、涙目になっていました。私はあまりにもかわいすぎて笑いそうになりましたが、こらえて「大丈夫、大丈夫!みんな決めてくれるから!」と言って送り出しました。そしてPK戦が始まるとき、となりで監督が「うちの子達PK弱いねん・・」と失笑してました。1人目、2人目と両チームが決め、3人目、紫光クラブのキッカーは、この試合で得点を決めたあのキック力のある子でした。ところがその子が少し蹴りそこない、涙をためながら飛んだわがチームのキーパーの所にボールが飛んでいき、止めたのです!私は思わず飛び跳ねて喜びました。その後、監督の言葉を裏切るようにみんな決めてくれて、5-4で勝ったのです。こんなに最後まで面白い試合は久々で、とても充実した気分になりました。「一緒にきてよかった」と思える1日遅れのX’masプレゼントをもらったような大会でした。

  ちなみに帰りは高槻から新快速に乗って帰ってきましたが、大半の子達が爆睡・・三宮に着く前にゆすってもゆすってもなかなか起きてくれないぐらいがんばったみんなでした。

まとちかサッカー日記 :日本女子選手権2004-12-05

2004年12月4、5日(土、日)

 皆さんこんにちは。Jリーグも終わり、残すは天皇杯。ヴィッセルは残念ながら負けて終わってしまいましたが、J2で下位だったコンサドーレ札幌がJ1チームを2チームもやぶり準決勝まで残ったり、今年JFLからJ2入りを決めたザスパ草津が、J1の優勝チームの横浜F・マリノスに勝ったりと、何が起きるか分からなくておもしろいです。

 女子にもLリーグがあるように、女子の天皇杯と言われる「日本女子選手権」という大会があります。毎年1月に行われており、L1、L2の全チームと、各地域の予選を勝ち抜いて出場するチームのトーナメントの大会です。

 この大会が、今年は川淵キャプテンの女子サッカーも盛り上げようとする計らいから、決勝戦を国立で、天皇杯決勝の前座ですることになりました。そのため12月からこの大会がスタートし、私は1,2回戦の審判を割り当てていただきました。

 主審は1級でないとできないので、12月4日の1回戦は、名古屋FCレディース対清水第一の試合の4thと、12月5日の2回戦は、宝塚バニーズ対神奈川大学の試合の副審(A2)をやらせていただきました。今年はLリーグでは1度も割り当てられずに終わったのであきらめていたのですが、ミニ国体以来の大きな大会で、いつもと違う緊張感がありました。

 一度、今年のLリーグの時に審判の方々の試合前の打ち合わせや、各チームとのミーティングなどの流れを見学させていただいたのですが、その時とほとんど同じ流れでした。4日に4thをした時は、ベンチも荒れることなく、主審の合図も見落とさずにロスタイム表示もして無事終了!

 5日の2回戦で副審(A2)をやらせてもらった時、試合前の流れは前日にもやっているので少し落ち着いた感じで試合を迎えられましたが、試合開始すぐは、両チームのユニホームの色が思ったより見にくく、少し戸惑いました。しかも神奈川大学がDFラインをすごくあげてきて、オフサイドラインがとても際どく、緊張が続きました。

 前半が終わり、主審の足をひっぱってないか気にしていたら、主審の方が「今のままでいいから!すごくいいからね」と声を掛けてくださり、自分の中で少し吹っ切れたような感じになりました。後半は前半以上に自分らしく、思い切ってできましたが、主審のアシスタントである副審が、主審に気にしてもらってるようでは、まだまだ力不足だなと感じました。

 今日の試合は、副審にはかなりやりがいのあるおもしろい試合でしたが、副審をやっているとラインをずっと気にしてるので全体的な試合内容を楽しむことはできないなと思いました。

サッカーとハート :疑問力2004-11-25

はじめに近況報告を・・・

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月20日(土)に1位を争う大阪商業大学との直接対決の最終戦を終え、9試合5勝3分1敗、勝点17の同率で終了した。が、残念ながら得失点差2の差で2位となり、2部総合3-4位決定戦に回ることになった。

この日、立ち上がりから一進一退の手に汗握る攻防となった一騎打ち。後半8分に市川のゴールで姫路獨協大学が先制。しかし残り6分にコーナーキックから失点し、1-1で終了した。

最終順位は以下のとおりである。

順位 大学名 成績 勝点 総得点 総失点 得失差
大阪商業大学 5勝3分1敗 18 16 7 +9
姫路獨協大学 5勝3分1敗 18 17 10 +7
関西外国語大学 4勝2分2敗 17 16 11 +5
甲南大学 5勝1分3敗 16 23 10 +13

以下、5位天理大学、6位京都教育大学、7位神戸国際大学、8位大阪市立大学、9位京都学園大学、10位龍谷大学となった。

Aブロック1位大阪商業大学 vs Bブロック1位大阪産業大学の勝者は1部自動入替、敗者は1部9位の同志社大学と入れ替え戦、Aブロック2位姫路獨協大学 vs Bブロック2位大阪教育大学の勝者は1部8位の近畿大学と入れ替え戦、敗者は2部残留という状況が今後待ち構えている。我々は勝つしかなくなったというわけである。
ちなみに3-4位決定戦は11月28日、山城総合運動公園にて11:30からおこなわれる。

[* 関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>]

では、今日は我が大学の図書館報 “さぎそう” に掲載される私の原稿から。

さぎそう原稿

人が惚れる人、それは滲み出る心の豊かさが造るもの。
〜 本がもたらす不思議 〜

違う世界

人それぞれ専門分野、得意分野というものがある。私の専門はサッカーというスポーツを教えること・・・というのだろうか。というのだろうかという、やや曖昧な表現なのだがそれは自分自身が全く違う世界へ飛び込んだことから感じる表現である。“全く違う世界”についてどちらが良いとかを言うつもりは無い。ただ少し感じることがある。

本学へ就任して3年目が過ぎようとしているのだが、私がサッカーの指導を始めたのは大学を卒業した時からであり、本学へ赴任するまではサッカーの指導のみで生計を立ててきていた。サッカーの指導を始めた頃は当然のことながら指導の経験は無く、サッカー指導理論を頭に入れていくどころかプレーヤーとしての過去の経験に基づく感覚のみでその場をしのぎ、いわゆる現場のたたき上げ方式、実戦経験方式による指導法というものばかりだった。19年経った今、自分が身を置いている大学という世界は逆にその経験主義的な“現場”とは違い物事を理論的に解明するところであるからして全く違う世界のように感じるのである

指導する…とは?  練習メニュー提供者?

サッカーに限ったことではないが実践、経験だけでは到底良い指導は出来ない。そのようなことは現代のこの時代に限らず、ずっと言われ続けてきていることであり“指導者”を目指す者なら必ず耳にすることであろう。しかしその誰でも耳にするだろう事を本当の意味で“事実”として体感することが出来る者はさて何人いるだろうか?

指導というものは大変難しいものである。なぜなら指導者は対象になる相手(プレーヤー、子供、生徒、学生等様々な対象がある)の年齢を考慮した指導法(年齢別指導)を身に付けていなければならないからである。そしてその方法を会得するには“年齢別の特徴”をきちんと把握するということが必要であるからである。

もうひとつ指導をする上で大切なことがある。それは指導対象に施すための“手法”を持つということである。いくら年齢別の特徴を理論として把握していても、また目の前で起こった出来事がどういうことなのか?なぜそういった現象が起こったのか?その原因は何なのか?を評価し分析しその対策方法を立てることが出来たとしてもトレーニングを施す手法を持ち合わせていなければ良い指導者とは言えないのである。

では「指導する」ということはどういうことなのかと考えると「自分の頭の中にある理論を整理して対象に施す」という行為であるといえる。何もプランが無い状況や根拠も持ち得ない状態では、その場の行き当たりばったりの指導になってしまう。その上、指導者がトレーニングメニューを考案・開発する術を持ち合わせていないとなると、その効果はもはや期待できない。もっとも人は指導を始めた頃と言うのは、皆そのようなレベルなのだろうが・・・。結局、指導者は“分析→プランニング→実践→再評価”のサイクルを実践し、最終的に対象を改善できていなければ指導者とはいえないということを肝に銘じて指導対象の前に立たなければならないのである。さも無ければ単なる練習メニュー提供者、オーガナイザーでしかないのである。

指導をするということは思いを沸き立たせること

もう少し考えてみてこういった場合はどうだろう?指導理論は学問としても収め相当量持っている、そしてその手法も豊富に持っている・・・ではその指導者は良い指導者か???おそらく悪い指導者ではないだろうが反対に良くも無いのではないだろうか。私は指導において一番理想の姿ではないかと思うものがある。それは次の事柄である。

「指導者として“自分の伝えたいこと”をわかり易く選手に伝え、同時に指導者の期待や気持ちを伝えること、そしてそれ故に選手がやる気になって最大限努力を惜しまずに取り組むようになっていく」

これが指導の本来の姿ではないかと私は思っている。もちろん期待や気持ちを伝えることが対象にとっての重荷、プレッシャーになっては意味が無い。実際にはサッカー理論を把握し施術方法も知っている、そしてたくさんの練習メニューも持っているという状態の指導者はかなりこの世に存在しているだろう。しかし「この人のために頑張ろう」とか「この人に付いていこう」、「この人に教わりたい」という思いを沸き立たせることが出来る指導者は早々お目にかかれない。私はこの部分が指導者としての一番必要なところでありまた“指導をする”という行為の一番の魅力であると思っている。そして“指導”を自分の一生の仕事と思える理由であると思っている。

ライセンスの値打ちより整理された頭が大切

私の指導経歴を少し振り返る。大学卒業と同時に社団法人神戸フットボールクラブ(以下神戸FC)という会員制サッカークラブのコーチとしての仕事がスタートであった。当時は3歳児から6年生までのサッカースクールの指導から小学4年生から6年生のボーイズ(競技思考のチーム)、ジュニアユース(中学生年代の競技志向チーム)、ユース(高校生年代の競技思考チーム)シニア(18歳以上の競技思考チーム)、レディース(中学・高校・社会人の女子チームで競技思考チーム)、ベテランズ(50歳以上の壮年サッカーチーム)の指導等ありとあらゆる年齢・性質のチームの指導をしてきた。そして1995年には神戸に出来たプロサッカーチーム、ヴィッセル神戸に指導者として移籍しジュニアユースチーム監督(中学生年代のチーム)、ユースチーム監督(高校生年代のチーム)、サテライトチームコーチ(2軍的なチーム)、育成部門統括責任者を歴任した。

神戸FCに入った頃の自分は指導理論など無いに等しく、それこそ学生時代までの経験や感性で指導らしきことをしていたように思う。ましてやその内容たるやオーガナイザーでしかなかったのかもしれない。しかしこういった期間の間に日本サッカー協会・日本体育協会が開催する公認指導者資格の講習会に参加する機会を得、理論的なことを学ぶ機会も増えたと同時にライセンスを取得することが出来た。ライセンスを取得するということはそれ自体には大きな価値があるとは思わない。それよりも今までなんとなく頭の中にあったことが整理され、自分流のサッカー理論として構築されていったことに大きな値打ちがあると思っている。その成果なのか1999年には監督としてJリーグ・ユースカップ選手権大会、2002年にはコーチとして全国ママさんサッカー大会(現レディースサッカー大会)にて全国優勝を成し遂げ、同時にプロ選手も数名輩出できた。

疑問を持ち本を読む

今まで19年間サッカーの指導を行ってきて思うことは、物事をいかに順序だてて理論的に考察し伝えるか、そして常に自分の考え・行ってきたこと・行おうとすることに疑問を持つことが大切かということである。先にも述べた分析→プランニング→実践→再評価などはその最たるものである。ではこういった思考はどうやって身についていったのか?自分で自分を評価、検証することは難しいことではあるが、あえて言うならサッカー、スポーツだけではないあらゆる見聞を広めてきたことだと思っている。その方法は人と話をたくさんすること、人の話を聞く事、自分の知らない世界・人を見て目の前のことを知る事、そして疑問を持つことだ。自分の知らないことが世の中にはたくさんある、まずこういうスタンスで物事を見て受け入れることが大切である。そして知らないことに出会ったら「なぜ〇〇は△△なのだろうか?」と考えるのである。その解決策は人に話を聞くことと本を読んで自分で調べることである。ある種この“疑問を持つ力”がすべての根本なのかもしれない。

実は昔、私は本当に本を読むことが嫌いで読もうとしてもすぐ飽き、字を見ただけでも拒絶反応がしたものだった。高校時代には現代国語という授業で作者の意図を読むテーマがあったのだが「本人じゃあるまいし心を読み取れるはずが無い」といって全く拒絶していた。それがあるとき知人の読み終えた内田康夫氏の推理小説を偶然に一冊読んでから本を読むようになり、その後は推理小説のみならず伝記物、心理学書、時事物、歴史物など様々な本を読むようになった。今では3冊くらいの本を同時進行で読んでいる。不思議なものである。とくに今では和田秀樹先生や宮本哲也先生の教育書が面白い。

書く→読む

そしてもうひとつ大切だと思うことは文章をたくさん書くことだと思う。今、私は神戸市サッカー協会のホームページにコラムを書いている。その昔は会員向けの新聞を書いていた。余談になるが神戸FCというクラブは日本で最初に法人格を取得したクラブで1963年に設立されている。そういった歴史は日本サッカー界における重鎮をクラブに招いたのである。それは1954年スイスワールドカップ予選日本代表選手でありその後日本代表コーチをされた元毎日新聞編集局長・故岩谷俊夫氏、神戸一中・神戸一高・東大卒・1953年日本代表スタッフ・元朝日新聞編集局・故大谷四郎氏、元産経新聞編集局・サンケイスポーツ編集局長・現フリーライター賀川浩氏等新聞記者の中の記者、つまり物書きのプロである方々である。間接・直接の差こそあれ諸先輩の指導の下、単なる会報誌でありながらも文章の書き方を教わったことは私にとって大きな財産となった。いま様々なところに物を書く機会があるがこうやって書けるのもその経験であろう。しかし物を書くというのは根本的に文章を知ることなくして始まらない。つまりはやはり読書だ。

能力開花の方法

冒頭に“違う世界”という表現を使った。実践・経験に重点を置く指導と理論・知識に重点をおく指導・・・どちらが良い指導なのか?こういった疑問をいつも自問自答している。こういった種の疑問の答えはなかなか見つかるものではない。ある意味永遠のテーマなのかもしれない。しかし最近大学生を指導し、我が子の成長を見て思うのだが、指導者の本当の力は人間性だと思う。指導者に限らず人間はその中身である。知識も大切、経験に裏付けられた自信・手法も大切。しかしそれらをいくら持っていても相手・選手に伝える伝え方が悪ければ結局一緒である。相手の心を読む力、ちょっとした仕草で相手が言わんとする事や考えていることを推測する力を持ち合わせることが出来れば・・・その場から席をはずす行動がとれたり、相手を個別に呼んで話を聞いて解決したりできる。時には強めに物を言ったり、時には黙って聞いたり、物を言い易いスタッフを配属したり・・・。こういった対応策・反応が適切に出来るのである。すると相手は心を開きぶつかってくるだろう。いわゆる“周りに敏感になれ”である。

こういった能力を大きくも小さくも変えることが出来るとしたら・・・。そう、それには自分の知らないことをたくさん知る、自分の持ち合わせていないものを探すのである。言い古された言葉かもしれないが【たくさん本を読む】ということになる。幸いにも優秀な蔵書数を誇る我が大学の図書館。そこには能力開花の種がたくさん落ちている。そして疑問力を大きくする種も・・・。

といったような文章を今回大学図書館報 “さぎそう” に掲載することになった。図書館報だけに本との関わりを基本にした文章なのだが、実際に本というものは大切だと思う。結局人の意見、考えが述べてあるものが“本”というものであり(小説とて自分流)その数は人の数以上に現存する。だからその一つひとつの内容がすべて正解、正しいわけではなくあくまで個人的見解なのである。そう言う前提で読まなければならない。しかし様々なものの見方、考え方が人の数以上に紹介されているわけであるから、たくさん読んで自分なりにチョイスして、生活に役立てたり考え方を構築して行ったりすることは決して損ではない。このチョイスする力はつまりは“疑問力”を持っている人にのみ備わるのであろう。

ということでゆくゆくは自分で自分の“本”を書けたらすばらしいと考える今日この頃であった。