久しぶりに寄稿2018-07-05

ベルギー戦直後の雑感。数日経てば様々な人が色々な目線で思いを述べているが今回の昌子の雑感はどう思われますか?

2018.7.3(tue)
W杯 16ラウンド vsベルギー

単純にサッカーの試合の評価としたら”2点リードしてから3点入れられて負ける”事は良くない試合と言わざるを得ない。

しかし試合評価の視点は様々な背景によって沢山あるので高評価もあれば低評価もあるだろう。

今日はいくつもある視点の中からこれを…。

後半14分、日本は初めてのコーナーキックを得た。私のメモには『初CK』『カウンターに注意』→ベルギーカウンター精度ブレると書かれていた。

その30分後にCKからカウンターを受け、一番入れられたくないアディショナルタイム決勝点を喫するとは…。

日本でサッカー指導をしていると「2-0は一番怖いスコア」と良く耳にする。しかしイタリアやドイツ(過去10年、毎年イタリアとドイツに研修に行っている)ではあまり聞いたことがない。サッカーはそもそも点を入れられたら点を入れ返す競技。裏返せば1-0でも2-1でも2-0でもどんなスコアであれリードされたら攻め、リードしたら追い詰められない術が必要であり必須事項なのである。なにも2-0に限っているわけではない。
思い返せば大切な試合後に「リードしてから守りに入らず攻めれば良かった」「攻めるのか守るのかハッキリさせなければならなかった」と言う種のコメントを何回聞くことか。今回はどうだろうか?意思は統一されていても結果は出なかったわけだ。
勿論ワールドカップと言うハイレベルな一瞬の気の緩みも許されない戦いの中でメンバー、ベンチ、スタッフの全員の意思をブレずに合わせて試合を進めていく。そして結果を出すことは並大抵な作業ではない。

しかしだ、この聴き慣れてしまったフレーズにどう対処し改善して行くか?この日本の弱点は言い換えれば日本の課題(改善点)でもある。

2失点目のアザールのクロス、おそらくあまり中を観てクロスを上げていないだろう。 “あの辺り”  という感じだったり一瞬チラッと観てクロスをあげている。合わせたフェライネも “この辺り” と待っている。長身選手だから出来るのかと言うとそうではない。互いのサッカーセオリー、定石がシンクロしているから得点につながるのである。

つまりこのシンクロこそが…サッカーの定石を理解することこそが…極限での戦略判断、方向性決定の能力につながるのではないかと思うのである。

育成年代の試合で急いで攻めたりスピードをコントロールして攻めたり相手や試合背景を考えて”変化する”事を指導者が求める事があるだろうか?またその様なトレーニングを実施する事があるだろうか?あまり難しい事までは兎も角、『味方の動きを活かすために(今自分はドリブルをせず)パスしよう』とか『味方を活かすために間を作ろう』と言うことを求めているだろうか?そのためにボールを”30センチ動かしたり1秒保持したり…”と言った選手のアイデア、自立、自律、判断を必要としているのだろうか?(必要とした試合をこなしているのだろうか?)

勿論それらを実践する為のスキルを身につけることが訓練されていかなければならないがスキルを身につけることだけがメインになってはいないだろうか?スキルはどんなタイミングでどんな結果を出すために使うのか?の目的があってこそスキルである。サッカー選手としての自律の場を提供し判断の材料を与え促す事が日常のトレーニングの中にあれば戦況に応じたプレーを選択する能力(のベース)はA代表になった時には持ち得ているという事になる。

A代表のハイレベルのステージに挑んでから初めて「良い経験だ」では何年経っても変わらない。”良い経験”はA代表でするのではなく日常からしておいた方が良い。

つまりA代表の敗戦は育成年代の宿題である。

追伸

アディショナルタイムになってからほんとうにCKで点を取りに行くべきか?あのまま外でボールをキープして延長戦に突入する選択肢も無いわけではない。まあ最も延長戦で相手を上回る力量があればだが…。

 

サッカー熱 充電の旅(?) 8日目。2014-08-08

8/5・6日と鹿島アントラーズの練習を、8/7日はFC東京のトレーニングを見学。

鹿島アントラーズでは強化部長・スカウト部長とお会いし、色々とチームのことや協会の話しを拝聴。その後一緒に練習見学。

練習は5日が16:00~、6日が9:00~と17:30~の二部練習。遅くまで実施。内容は詳しく言えないが、現在若手がたくさん先発を張るチーム。若手の躍動、監督・コーチの熱等 とても「なるほど」とうなづける香りがプンプン。何せ監督は全体練習後に若手だけを集めてずっと居残り指導をしているとか。昨年は一年間、ずっと。午前練習が四時間以上になることもしばしば…。監督はお腹が減って昼を過ぎてることに気付くのだとか。時計をしてても見ないらしい。(笑)若手が伸び、いや伸ばす・伸びた…の自信があっての今年のメンバーなんでしょう。

ベテラン選手

しかしもっと素晴らしいのはベテラン選手。ややもすれば試合に出られず悶々として気持ちが乗らない…となりそうなところ。ところが黙々とプレーをし続け、誰よりも質の高いプレーを目指しているという姿が…。そしその ” 熱 ” が姿から伝わってくるから凄い。それを見せられた若手は一生懸命やらざるを得ない。そうやって負けられない・勝ちたい・勝たなければ成らない…チームの伝統が出来てきたのだろう。

その中でも、本山選手はいつも楽しそうにちょっといたずらっ子のような仕草を見せ、雰囲気を明るく良くしている。彼こそ日本で一番の選手では…と私は思っている。

久しぶりの再会

FC東京では強化部長とトップチームコーチがS級の同期とあって久しぶりの再会と見学が実現。球団社長・育成部長・強化部スタッフともお会いでき有意義倍増。またびわこスポーツ大学(立正大淞南高校)出身の松田陸選手と2006年地元兵庫国体でヘッドコーチをした時の選手であった米本拓司選手(兵庫県立伊丹高校出身、U17・OL代表)と再会。両選手、覚えてくれていました(笑)。因みに我がチームにいた河村が今、FC東京のイタリア人スタッフの通訳をしていることも付け加えて…と。

FC東京のエドゥ選手、メチャ大きい選手。あんなに大きな選手とよくもまあ対決したもんだ…とGenにもビックリ。(笑) 新外国人選手カニーニも大きい。目の前で見るとTVで観るより大きい。肩幅・胸板・お尻…世界に出たらこのサイズと日本人は戦う訳。ましてや+スキルにメンタルに…。

緊張感と五感で感じるサッカー

ここ数試合前からイタリア人監督の戦術が浸透してきたのだろう、とても好調で順位も上がってきている東京。なるほどFトウもトレーニングが成績に反映している”気”を感じた。”気”とは言葉には表しにくいが、五感で感じる。ミステル フィッカデンテイ の緊張感が良い。週末のイタリア人 ミステル対決が興味深い。負けたくないだろうね…互いに!

うちの選手にこの緊張感と五感で感じるサッカーを見せたい。百聞は一見に如かず…私が言葉で言うより効果は大だろう。(笑)質が高い…とは五感で感じ考えること。ある選手が言っていた、「自分に能力が無いことを理解できたことが能力だ」…と。だからこそやるべきことがはっきりして自分の生きる武器が見えてくる。自分に出来るプレーと出来なければならないプレー、しなくて良いプレーが。

しかしサッカー選手には共通して必要なものがある。それは何よりもプレーをし続ける強さ。これこそ能力。どの年代でも強度は別にしてもどんな選手にも必要な能力。少年サッカー選手にサッカーを好きにさせる…とよく言うが正にこう言うことなのだろう。自分自身、本山選手が35歳になってもいたずらっ子のように楽しくプレーをしている姿を観るとハッとする。大事なものを忘れているのではないか…と。

多くの指導者へ…選手がサッカーしたい!と思っているだろうか?嫌々プレーしてはいないだろうか?暑い時こそ気をつけよう。シニアになってもサッカーやってるおじさんたちの様にサッカー好きにさせよう!それこそ能力だ!

我がチーム、山登りした!選手たちも何かしたいことあったら言えばいいのに(笑)

※2014年4月よりブログ [サッカーとハート] 移転しました。こちら≫


昌子 力(しょうじちから)
略歴:
1986年3月 大阪体育大学体育学部卒業
1986年4月 社団法人神戸フットボールクラブ入社
1995年4月 株式会社ヴィッセル神戸に出向
1999年2月 社団法人神戸フットボールクラブ退社
      ヴィッセル神戸とプロ契約 ユース監督に就任
      同時に下部組織統括責任者就任
2002年4月 学校法人獨協学園 姫路獨協大学に外国語学部講師・サッカー部監督として着任
2005年4月 同大学 外国語学部助教授(2007年度より准教授)資格:1986年日本サッカー協会公認リーダー資格取得
1994年(財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチC級資格取得
1996年(財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチB級資格取得
1997年 アジアサッカー連盟C級コーチ資格取得
2002年 (財)日本体育協会、(財)日本サッカー協会公認競技力向上コーチA級資格取得

役職:
日本サッカー協会全日本ユース選手権大会実施委員会委員(1999年)
日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ(2005年~06年)
日本サッカー協会ユースダイレクター〔兵庫担当〕(2007年~)
日本サッカー協会公認B級コーチ養成講習会インストラクター(2005年~06年)
日本サッカー協会公認C級コーチ養成講習会インストラクター(1999年~)
関西クラブ・ユース・サッカー連盟理事(1987年~)
兵庫県サッカー協会技術委員会委員長(2007年~)
兵庫県サッカー協会3種委員会委員(1991年~)
兵庫県クラブ・ユース・サッカー連盟理事長(1991年~)
兵庫県国体選抜〔2種・高校生年代〕選抜チームコーチ(1999年・2006年)
兵庫県3種(中学生年代)選抜チームコーチ(1991年~1998年)
兵庫県4種(小学年代)選抜チームコーチ(1992年~1998年)
神戸市サッカー協会技術委員会委員長(2004年~)
神戸市サッカー協会技術委員会強化部長(2000年~2003年)
関西学生連盟技術委員(2002年~)表彰:2000年2月神戸市スポーツ優秀団体金賞

指導歴:
日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権 関西大会
 優勝(96)、準優勝(91)、第3位(92,93,94,95)
日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権 本大会
 第3位(98)、ベスト8(95,96)
兵庫県中学生サッカー大会
 優勝(93,95)、準優勝(96,98)、第3位(91,94,97)
高円宮杯全日本ジュニア・ユース・サッカー選手権 関西大会
 優勝(95)第3位(93)
高円宮杯全日本ジュニア・ユース・サッカー選手権 本大会
 ベスト8(95)
日本クラブ・ユース・サッカー選手権(U-18)関西大会
 優勝(00)、準優勝(99,01)
日本クラブユースサッカー選手権 本大会
 ベスト8(99)
Jリーグユースカップ 1999 Jリーグユース選手権大会
 優勝(99)
兵庫県社会人リーグ1部
 優勝(86,87)
全国女子サッカー大会(アジュール兵庫)
 優勝(02)、準優勝(05)、第3位(03)
関西学生サッカーリーグ(姫路獨協大学サッカー部)
 03年春季3部総合優勝 2部昇格
 03年春季関西学生選手権出場
 04年春季2部順位決定戦進出(1部入替戦出場チーム決定戦)
 総合4位で入替戦進出ならず
 06年春季2部順位決定戦(1部入替戦出場チーム決定戦
 総合4位で入替戦進出できず
 07年春季2部順位決定戦(1部入替戦出場チーム決定戦)
 関西外国語大学に勝利し2部総合3位で入替戦進出
 07年春季関西学生サッカー春季リーグ1部入替戦 
 大阪学院大学と対戦し1勝1敗も得失点差で1部昇格ならず
神戸少年サッカースクール
 1986年4月~1988年3月 神戸少年サッカースクール北分校
 1988年4月~1991年3月 神戸少年サッカースクールポートアイランド分校
 1991年4月~1995年3月 神戸少年サッカースクール六甲アイランド分校
神戸FCボーイズ
 1986年4月~1994年 3月
 1986年11月 兵庫県少年サッカー大会4年生の部3位
 1988年1月 神戸市少年サッカー大会新人戦優勝
 1988年12月 神戸市少年サッカーリーグ6年生の部優勝
 1989年11月 兵庫県少年サッカー大会6年生の部3位
 1992年2月 神戸市少年サッカー大会新人戦優勝
 1992年5月 全日本少年サッカー大会神戸市大会優勝
 1992年6月 全日本少年サッカー大会兵庫県大会ベスト8
神戸FCジュニアユース
 1989年 4月~1995年 3月
神戸FCユース
 1986年 4月~1989年 3月
神戸FC1970*18才以上の社会人
 1986年 4月~1990年 3月
ヴィッセル神戸ジュニアユース
 1994年 4月~1999年 3月
ヴィッセル神戸ユース
 1999年 4月~2002年 1月
ヴィッセル神戸サテライト
 1998年 9月~2001年
ヴィッセル神戸トップチームコーチ
 1998年11月 J1残留決定戦J1残留
姫路獨協大学サッカー部
 2002年4月~
アジュール兵庫(兵庫県18歳以上女子選抜チーム)
 2000年~現在
その他 神戸FCレディース、神戸FCベテランズ等の指導にも携わる

印鑑〜知恵と工夫2014-05-27

2014年4月・・・この4月に教授に昇進した。

大した事はしていないのだが何故か教授に。(笑)年齢がそうさせたのか・・・。

教授になるには准教授期間における学内および学外での業績(講演・講義や社会活動など)査定や論文や著書の査読(審査員となる教授陣が内容をチェックすること)が行われる。その後、教授会にてその内容・評価値が報告され、教授会の全会一致にて昇進が決定されると言う仕組みである。

そのため昨年末から3月まではその準備と書き物で結構大変だった。終わってみればなんてことは無いのだが・・・。

早替わり

昇進はよしとしてこうやって何かしら自分の周辺に変化が起こると、連鎖して他にも変化が起こるものである。教授になったからでもないのだろうが職場において幾つか役職に就く様に依頼が来た。まぁ ありがたいことである、実際には。何も要求されず…何も期待されず…日々ボーッと過ごすよりは生き甲斐があり元気になれる。御礼を言わなければいけない、学校に。

こうやって役職が増えると各種の書類に印鑑を押す機会が増えた。
学内のいくつもある様々な書類の中に、ご丁寧に私が押すべき印鑑の欄が空いおり私を探してやってくる書類がある。スポーツ特別選抜運営支援室室長印という欄。私は授業の合間に室長に早変わりして書類に目を通し印鑑を押す。

なぜ丸い?

ところで皆さんは何故印鑑が丸いのか理由をご存知だろうか?社印や各印と言われる四角い印鑑も存在するので全てが丸いとは言わないが多くは丸く円柱形で出来ている。

それには以下の理由があるという。

先ずは

  1. 持ちやすくするため
    これは理由としても大きな物では無い様だが・・・。
  2. 印の方向を確認させるため
    指が掛かるところ辺りに凹みがあるので陰影の上下を間違えることは少ないだろうがそれでも確認してしまう、(丸いため)どちらが上か解りにくいから。
  3. 丸いため握りが不安定なだけに必然的に慎重に押す様にするため
    ミスをしてはいけないと思いの二重措置の様に。
  4. 丸いと転がって何処かへ無くしてしまうので
    すぐに入れ物などにしまう様にさせるため。無くしたら大変である。

「無くさない様にね!」と言葉で言ったとしても・・・いくら自分で注意していたつもりでも・・・書類に気を取られて思わず落としてしまった・・・という経験は皆あるのではないだろうか?

機転が回らない

何事においても言葉で言うのも大切だが必然的にそう言う状況に持って行けたとしたら・・・人間とは注意深くにもなり気にもし出すだろうしあれこれ考える様になる。

そういう発想がちょっとした印鑑の工夫の中に見える。これは本来ならもう特許ものだ!

子供のスポーツ指導にも見られる…子供だけではなく大学生も新入社員も皆同じかもしれない。手とり足とり丁寧に指導することも大切だが、ある時には気付きが自然に出て来る様な”仕掛け”が指導者には問われるのではないだろうか。…先に答えを言ってしまってはいないだろうか?

最近の子供たちは「無気力無関心」などといわれている様だが私はそう思うことは少ない。そうではなく言ったことしかしない、言ったことしかしようとしない、工夫をしない、ついでに○○もしておこう・・・と機転が回らない…とよく感じる。
シュートが外れゴール裏にボールを拾いに行った時、ついでに5m横にある他のボールも拾ってくればいいのに自分が蹴ったボールではないので拾わない。フィールドで練習中、ボールを集めて置いている場所に仲間がボールを蹴ってきたとき寄せて集めようとしない。次の順番が自分だからと言っても、ちょっとスタートを遅らせ来たボールを止めて寄せておけばいいのに無視。よってボールは行き過ぎてまた誰かが拾い集める羽目になる。困ったものである。

考え工夫し皆のために労を惜しまず動く・・・昔の良き日本人文化を忘れかけている。

“おもてなし”・・・ではないが日本人の精神を忘れてはなるまい。大人が何かしら“仕掛け”を作らなければ子供たちはいつまでも変わらない。“仕掛け”とは実は昔からあるちょっとした工夫や知恵の中にあるのではないだろうか・・・印鑑のように。

指導者に大事な心構え2012-06-14

過日、『サカイク』という少年サッカー指導者や保護者向けの情報ホームページにインタビューコラムを掲載して頂いた。

前号(2012-5-30up)の続きでインタビュー記事第2弾。

*インタビュー記事から読み返して言葉足らずは補足・修正しています。
前回は“視野を広げるためにキックを鍛える”というテーマで姫路獨協大学の昌子力監督にお話をお聞きました。今回は兵庫県サッカー協会の技術委員会委員長を始め、コーチ養成講習会インストラクターなど“指導者の指導者”を務める昌子さんだから気づく“指導者に大事な心構え”についてです。

ジュニア年代で指導に必要な部分とは

「僕がジュニア年代を見ていたのは指導者としてスタートを切ってすぐ、大学を出てすぐの頃です。

手探りで指導をしている中で感じていたことは、子供たちがサッカーマンとしてアスリートとして、もしくは一人の子供として根幹をなすもの(運動能力とか状況に適応する順能力とか即興力など)はなかなか言葉で言っても分からないことが多かったと言うことでした。ですから理屈でなく身体で覚えるということが大事だと感じました。それはひいては(サッカーの)技術面でもそうですし、しつけを含め全ての面で。そしてそれらは習慣化して条件反射的に行動に出ないと本物ではないし、そうなっていくには常日頃の学習が大切であるということです」

学習とはどういったものですか

「良く言われる、“しつけ”には二つの物があります。ひとつは生まれてから教える“自立の躾”です。いわゆる生きていくために自立することを教えるのです。例えば排泄のしつけや食事のしつけ、そして寝間を片付けるとか自分で身支度をするとか挨拶をするなどの基本的生活習慣の基礎となるものです。

そしてもう一つがその年代以降、5・6歳もしくは小学校に入るくらいから教えていく “共生のしつけ”があります。人間社会の中で共存共栄をうまく成り立たせる方法などを教えるのです。簡単にいえば人の気分を害することをしないとか、人の迷惑になることをしないとかですね。

そういうことを学ぶには他人が必要なのです。一人では学べません。つまり集団がないと学べないのです。それを学ぶ場がサッカー少年においてはサッカーという集団(チーム)なのです」

しつけのために指導者がすべきこととは

「これは人間の基礎のしつけという意味では、とても重要なもので、こういうことをすれば人に不快感を与えるとか言葉で言っても中々、分からないですよね?子ども同士が悪気なく発した言葉が案外人を傷つけてしまったり・・・よくある話です。実は子ども達は“その時”には分からないけど繰り返すことで、『人を傷つけたんだな』『良くないことなんだ』ということを学ぶのです。この“時間”が本当は一番大切なプロセスなのです。答えを与えられただけでは本当の理解にはならないのです。

しかし繰り返しの経験をしてからでは遅い・・・言葉で傷つく程度ならまだしも怪我でもさせたりしたら一大事・・・と大人が介入してしまうのです。最近は子供たち自身で学ばないといけない段階・経験・しておかないといけないことを学ぶ前に親が介入するということが物凄く多いですね。まず、子どもたちが思ったこと(考えたことや行動)をとりあえずさせないといけません。いわゆる実地訓練ですね。

それをどう方向づけするか、肉付けしたり、時には削いだり・・・それらは本来“親”がするべき家庭での責任(しつけ)なのです。しかし親が責任もって出来ない・・・というか親はしつけているつもりでもそれがチンプンカンプンだったり世間一般の常識とは懸け離れていたりするのです、なぜなら親は我が子を冷静に見ることが出来なくなる場合が多いですから。そうなると尚一層スポーツ指導者に求められるものは大きくなっていくのです。ですからそれらも指導者の仕事なんじゃないかな?と思います。つまり指導者は一般常識をきちんと身に付けていなければならず、教育者でなければなりません」

監督が行ってきたアプローチとは

「例えば練習場に着いた時に雨が少し降っているとしたら自分の荷物を雨のかからないところへ置くでしょ?でも晴れていたら荷物は何となくみんなが荷物を置いていそうな“その辺”にポンと置いてしまうんですよ。しかし練習中に雨が降ることもありますよね?そしたら、子どもたちは「コーチ、荷物を雨に濡れない所に置いていい?」って聞いてくるんです。それに対して、僕は最初「ダメ!」と言ったんです。荷物が濡れたらいいんです。子どもたちは予定通り練習終了後“カバンが濡れて帰りの着替えが濡れました”とか言ってくるんですけど、「君達が判断を誤ったんちがう?天候を予測して次の行動を考えないからや。もっと注意深く考えなとアカン」と。

しかし最初から子どもに「天気の怪しい時には雨が降っても困らないように荷物は雨のかからないところへ置きましょう・・・」と説明したところでおそらく次の日もその次の日も何気なくその辺に荷物はポンっと置いているでしょう。“今日の天気どうやろ?”とは思わないですよ。実際そうでしたから。しかし一回痛い目に遭うと物凄く経験値として残りますね。危険を犯すような体験・経験知ならともかく、服が濡れるくらいどうってことないやろうと思ってやったんですがね・・・案の定、親御さんからクレームが来ました(笑)。まあそれに対して僕はきちんと意図を説明し言い返しましたけどね。ちゃんとした意図があれば、親御さんも理解してくれます」

子どもたちを楽しませながら伸ばす“ギリギリの経験”

監督のアプローチは教えすぎと言われる日本の指導者とは逆ですね

「答えを先に言わず、ちょっと目の前のヒントを小出しで与えて考えさせる。きっと、ジュニア年代を指導されているコーチたちは皆、ご存知だと思いますよ、そんな方法は。講習会でもそういうことは教わっているし、僕がいろんなコーチに聞いても、皆さんそう答えます。しかし実際は出来てないですね」

それは試合中のコーチングも含めてでしょうか

「試合中は監督が流れを止めてピッチに入れないので、“今!”っていう場面に“教えたい” “言いたい”こともあると思うので外からのコーチングが全く駄目とは思いません。でも、練習中は常に選手の側にいる(危ない時にはサポートに入れる)訳ですから本当に選手に言葉だけでなく経験学習をさせなければなりません。そして指導者だけじゃなくお父さん(保護者)にもあるんですが、例えばミニゲームや1対1を子供たちとやるでしょ?お父さんは必死になってプレーし。間違いなく子どもに勝ちます。“どうだ。悔しいだろ?悔しいなら、もっと練習して父さんに勝ってみろ!”という理論なんです。でも、それは子どもには向かないんです。いきなり高い壁を与えてはダメ。“よし、やってやろう”というくらいの乗り越えられる壁にしないと」

確かに、練習で意地になる大人を良く見かけます

「僕はずっとずっとそれではダメだと思っていたから、息子(鹿島アントラーズのDF昌子源選手)が小さい頃に1対1で遊ぶ時は、息子の足が届きそうな所にボールをピョンピョンって晒しておいて、子どもがパンと足出しそうな瞬間に私の方が先にボールを触って源をいなしたり、時には源にボールを-獲られたりしていたんです。“こうすれば獲れる、勝てる”というギリギリの経験を知ってもらいたかった。何を知ってほしいと思ったかと言うと “こうすれば上手くなる”ということではなく、相手をかわしたり抜いてシュートすることが楽しいということを。もし、子どもがドリブルで向かってきた場合も無理に追いかけずに抜かれてやったり時には奪ったり・・・それでいいと思うんですよ。“おぉ、良くやったな。うまいな”って誉めたら、子どもがニコって笑っていたのを良く覚えていますね。僕が息子に何かしたっていうのがあるなら、それだけですね。僕は自身が小学校4年生の時に近くの武道館で柔道を習っていたんですけど、大男の師範をいとも簡単に投げたことがあります。おそらく技をかけた時にきちんと腕や腰や足が良いフォームになっていた時に先生は投げられてやってたんだと思います。今でも覚えていますよ、あの感触」


取材の中で昌子さんは「監督というのはアクターなんです」と話しておられました。「普段は子どもたちに思うようにさせて、ここっていうポイントだけ怒った“フリ”をするんです」と。豊富な指導経験を持つ昌子さんならではの“指導者の心構え”を皆さんも参考にしてはいかがでしょうか?


・・・自分でコラムに掲載しておきながら締めの言葉が

“皆さんも参考にしてはいかがでしょうか?”

では少々無礼なものだ。
最後の言葉は私が書いたところではないので・・・許

ジュニア年代で身につけなければならない技術2012-05-30

過日、『サカイク』という少年サッカー指導者や保護者向けの情報ホームページにインタビューコラムを掲載して頂いた。

ことの始まりはそのホームページを企画運営・制作している方が私の立場(状況)に興味をもたれてのことだったようだ。それは3つの“顔”を持っていることだそうだ。ひとつは実際に現場で指導を行っていること。もう一つは指導者講習会のインストラクター(指導者の指導をする仕事)をしていること。そして最後は現役Jリーガーの親でもあると言うところ。

なかなかそういう状況下の人は少ないようで興味があるらしい。たまたま子供がJリーガーになったとはいえ私が何か特別な事をした訳ではないのだがそこのところが気になっているとのことだった。まあ、私でよければ事実をお話ししますと言うことでインタビューは始まった。

*ちなみに私が書いたわけではないので少々私のことを持ち上げてくれている文面があるので気に食わないところがあってもそこのところは各自カットして次へ・・・。

1999年にはヴィッセル神戸ユースの監督として、Jユースカップで優勝。現在は姫路獨協大学でサッカー部の監督を務める昌子力さん。お子さんの源選手は去年、鹿島アントラーズに入団したCBでもあります。各年代での指導を行ってきた“コーチ”としてだけでなく、“プロ選手の親”としての顔も持つ、日本有数の“育成年代のスペシャリスト”ともいえる昌子さんにジュニア年代で身につけなければいけない技術をお聞きしました。

これまでの指導の中で、ジュニア年代で必要と感じる技術は

「大学でジュニア年代向けのスクールを指導していて思うのはボールが蹴れない選手(子供)が多いですね。ちゃんと思っている所に蹴れないということはつまりパスをミスしているということです。パスをミスするのはキック練習が足らないから起こるわけです。だからという訳ではないけれど自分の得意技としてドリブルを仕掛けるのですが、実際には何人も抜けるわけじゃありません。意図したところへボールを運ぶと言う点ではパスもドリブルも掛かる時間の差はあれ、どちらも大切な技術ですから、どちらも十分な反復練習が大切だと思います。

サッカーの試合で起こりうる様々な場面を思い起こすと、ドリブルにも負けないくらいキックの場面は出てきます。むしろドリブルの場面は“相手選手をかわす”とか“いなす”と言った場面に見られる“数回のボールタッチプレー”であることが多く、ドリブルとまでいかない短い時間の(一瞬の)プレーであることが多い訳です。ドリブル練習にかなり時間をかけて行ってもミスが起こるのに、キック練習をしていなかったらもっとミスは起こるわけです。実際、キック練習が不足しているためか、お互いのミスの応酬という試合の様子がかなり多いですよね。

同時にパスをしっかり通すためにはキック技術を発揮する事前に視野を確保する必要があります。そのためにそれぞれの練習中に “顔を上げろ”とか“周りを見ろ”となるのですが、上の年代に進むにつれ、よりプレスがきつくなり、密集度が高まるので、奪ってからでは顔をあげる余裕がないし、遅くなるんですよ」

しっかり周りを観るためには

「プレーを分解分析してみると選手がボールを奪いに行く際に忘れてはいけないことがると思うんです。つまりボールを奪いながら“ボールを奪ったら何をするか”というイメージを持っておくことです。 “ボールを奪ったらパスを出す”というプレーがちゃんとできる選手はボールを奪った後にパスの出し所を見つけるのではなく、プレッシャーをかけに行く前(ボールを奪いに行く前)に周りをみていて、奪ってすぐに“あぁなんかこの辺に味方いたな”とか、“遠いサイドにもう一人味方がいたな”というイメージを持っているんです。ボールを奪ったらその情報を頼りにもう一度パッと顔をあげて、パーンと蹴れる、はたける力が必要になると思います」

どうすれば視野が広がるのでしょうか

「必要なのはキック力ですね。キック力と視野の広さは比例すると思います。キック力がないと、“あぁ、あそこに味方がおったなぁ。でも、あそこには俺のキックは届かないわ”となって、遠くの味方へのパス(場所)は選択肢から消えるんですよ。そしたら、近いとこしか蹴らなくなる。それを繰り返していったら観ようとする範囲・視野が狭くなる訳です。逆にボールが良く蹴れる選手は自分が蹴れる(パスが届く)範囲まで目が届くようになるんです。つまり顔を上げようとするようになるのか顔を上げなくなってしまうかを左右するのがジュニア年代のキック技術という訳です。最初はただ遠くへ蹴る練習でも良いと思うので、蹴る力を疎かにしないことが必要です」

キックで身についた視野の広さはパス以外でも生きる

“蹴る”を身につけるために必要なものとは

「ジュニア年代では11人制から8人制サッカーに変わり一人ひとりのボールタッチ数が増えると同時に、その分フィールドにスペースが出来ました。そのスペースへ意図を持ったドリブルやフリーランをさせるのが8人制サッカーの狙いの一つですが、そのスペースを使うために昔のように意図されないロングボール(キック&ラッシュ戦法)が再び増える可能性もある訳です。ここは指導者が間違えてはいけない重要な指導ポイントです。“遠くへ蹴る”ということを繰り返し訓練させてキック技術を身につけるだけでなく、“なぜ、ロングボールを蹴るのか”という意図というものを理解させる必要があります。サッカーは相反するものの組み合わせのスポーツです。縦と横、前と後、右と左、緩と急、狭いと広い、ドリブルとパス・・・。そのためにも、実戦の中でキックを必要とするシチュエーションをある程度作ってあげて、チャレンジさせて覚えさせることも重要なのです。日頃の練習で指導者がしっかり教えなければ、いくら試合で学ぶといっても、効率が悪いでしょうし、間違った覚え方もする可能性もあります。練習と試合という2つのシチュエーションで“蹴る”を学ぶことが大事です」

最近はボールを蹴る技術が見落とされている気もします

「うちのスクールでも若いコーチはドリブルの練習ばかりさせることが多く、“しっかり蹴る練習も必要だぞ”と説明します。昔からロングボールを蹴ると、“蹴るな!もっと大事にして繋げ!”ってジュニア年代で教えたりするでしょ?もちろん、その方がいいと思うんですけど、ロングボールを完全に否定してしまったら、そういう視野の広がらない子に育っていく、もしくは視野が広がる年代が遅れていくんです。僕が今、見ている大学年代でも蹴れない選手はもう癖がついてしまって苦労しています。だから、そういう訓練がジュニア年代や中学校の低学年で必要じゃないかなと。視野が広がれば周囲を見られるようになるので、ドリブルにも生きてくると思います」

視野が広がるメリットは攻撃の選手だけなんでしょうか?

「(息子の)源は小学校の頃からロングキックとかビシッと蹴れていたんです。あいつを唯一、誉めるとしたら、そういうキックの面。高校2年生からDFになったんですが、それからもサイドチェンジのロングキックであったり、ライナー性のFKを決めたりしていたんです。そういう面は守備でも生きてきます。奪う前にいろいろな部分を広く観ることが出来ているので、ボールを奪ってからでも落ち着いてて慌てないんです。もちろんバックパスを受けた時も。源が“ボールを持った時にパニックにならない”と評されるのは“キック力”から来る部分があるんじゃないかと思いますね。ただ、我が子の話しを親がしているわけですから何を言っても親バカにしか聞こえないでしょ?説得力ないですよね。(笑)」


【昌子力】

大阪体育大学卒業後の1986年に神戸FCのスクールコーチに就任。
育成年代の各カテゴリーで指導を行う。
1995年にヴィッセル神戸に移籍、1999年にヴィッセル神戸ユースの監督に就任すると、その年のJユースカップでいきなり優勝を果たしチームの礎を築いた。
現在は姫路獨協大学のサッカー部監督としてだけでなく、准教授としても教壇に立つ他、日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチを歴任した後、兵庫県サッカー協会の技術委員会委員長を始め、指導者養成講習会インストラクターなど“指導者の指導者”を務める。

向上心の妨げ2010-09-22

オフサイド?

先日、ある試合を見た時の話である。

その試合でスポーツのみならず様々な実社会の場面でも見かけるある様相を見た。それを評してこの表題となった。

その試合は結果的に見れば大変荒れて試合中にも試合後に退場者が出た。試合の様子をお話しするには切りが無い。時系列を隈なく追ってもその場のニュアンスはうまく伝わらないであろう。“ある様相”の場面の話だけしよう。

それは相手ペナルティエリア20m(ゴールまで35~36m)位のところで縦パスを受けようとした選手がオフサイドオフサイドの判定を受けそうな場面のことである。縦パスは結果的にその縦へ走り込んだ選手に寸前で通らなかった。明らかにその選手は故意にボールに関わろうとしていたし副審はバタバタと音を鳴らしオフサイドシグナルを上げていた。私が見た限りではパスが放たれた瞬間にオフサイドポジションに選手がいたのは間違いなく、しかもその局面は1対1の状況でありディフェンダーにとっては少々不利な体勢で際どい瞬間だったのは間違いない。オフサイドの判定が下されてもおかしくない状況だった。しかしオフサイドにはならずゲームは流れていた。

実はこのプレーは副審がいるサイドとは逆のサイド(攻めているチームの左サイド、守っているチームにとっては右サイド)での出来事であり、主審は副審の旗(オフサイドシグナル)に気付いていなかった。どうだろう、時間にすれば4~5秒くらいだろうか・・・、しかし4~5秒はサッカーの試合ではかなり長い時間と言える。副審は旗を振り続け主審が気付くまで下ろそうとはしなかった。ところがゲームは停められることはなく流れ続け、間の悪いことにそのままボールを奪ったチームが数秒後に得点を決めてしまったのである。ゲームが流れ続けるのを見て旗を上げていた副審は5秒後にはゲームに戻り新たなオフサイドラインのキープに努め正しいポジションに付き直していた。

失点したチームは収まらない。「さっきオフサイドの旗が上がってたやんか!」「なんでオフサイドをとらへんねん(怒)」「副審、旗上げたままじっとしといてよ。(泣)」と審判団に詰め寄りこそはしないものの抗議にも泣きにも聞こえるセリフを吐いていた。

こういった場面はひょっとしたらサッカーの試合、身近にありがちな話ではないだろうか?

根本は?

この時、問題なのは

  • オフサイドシグナルが上がったことを主審が気付いていたかどうか?
  • 主審が副審の旗シグナルに気付いていた場合シグナルを降ろせとか“アドバンテージ”といった指示を副審や選手達に行ったかどうか?
  • もう一つ言えば選手たちがルールをきちんと理解していたかどうか?

が問題となる。

おそらくオフサイドポジションにいた選手にパスが渡らなかった・・・という際どい状況が場面を複雑にしているのだろうがディフェンスがカットして味方にパスを繋げることに成功すれば敢えてオフサイドは取らずゲームを流す・・・といった判定も悪くはないと思われる。しかし攻めていたチームにしてみればカットされた場面が失点にまでたどり着いてしまったのだから“オフサイドを取ってもらった方が良かった”という気持ちも解らなくもない。

まあ、状況はこんな場面だったのだが実はこの後が本題だ。ゴールネットを揺らした直後、得点を認める前に選手の抗議の声を聞いた主審は副審の所に行き確認作業を行っている。大変良いことだ。

主審:「オフサイドだった?」

と尋ね確認をしていたのだから。これははっきり聞こえた。

しかしだ、副審はおそらくこのような事を言ったのだろう・・・

副審:「オフサイドポジションに選手はいたがボールは直接には渡らずインターセプトされたから一旦は旗を上げたものの次の場面に合わせ切り替えた。」

と。

主審:「私はあえてアドバンテージを採用した。オフサイドポジションに選手がいたのは見えてたから・・・」

と返した。

しかし、私が見るに明らかに逆サイドでの出来事を見落としていたはずである。なぜなら主審はその瞬間首を全く振ることもなくボールばかり見ていた。いわゆるボールウォッチャーだ。ましてや副審の方を一度も見ることはない。だから選手にアドバンテージのシグナルもしなければ副審に旗を降ろせの合図もしなかったのだから。

しかし前述のセリフが出てくるのである・・・。

もちろん私もその人本人ではないので本当の本当の心の中はわからない。私が分かっていないだけで主審はほんの瞬間に副審を見ていたのかもしれない。オフサイドにかかりそうな選手の状況を見極めアドバンテージを採用したのかもしれない。逆サイドで「アドバンテージ!!」と声を出していたのかもしれない。しかし結果的にゲームは荒れて大変だった。試合中にもみ合うことしばしば・・・主審にも相手選手にも暴言連発、しかしイエローカードも注意も無し。正直主審の技量に少々問題があったと言わざるを得ない状況でそのようなゲームコントロールが出来ていたとは思えない。

メッキは剥がれる

サッカーに限らず自分が今以上の向上を試みるものがあったとする。

向上とは“今”より前の自分を理解・分析しそれを超える努力をすること。それ無くしては有り得ない。以前の自分を分析しようとしない者、以前の自分に正直に向き合えない者にはそもそも今の“自分を理解”するスタートラインに立てないのであるから向上はあり得ない。ミスはミスで認める心、見ていなかったなら見ていなかったと言える心、偶々の状況に乗りかかり体裁よく場面を誤魔化さない心無くして有り得ない。もしその行為を止めたり出来事に向かいあえず誤魔化したらもうそこで進歩は終わる。

ここでは副審に確認し副審の判定を尊重し状況を顧みて「アドバンテージを採用した」としなければならない。「私も見ていて知っていた・・・」というセリフは余計である。主審と副審は協力して試合をコントロールするグループだから「副審さん、良く見ていてくれました。おかげできちんとルールに乗って判定できました。」といったニュアンスの言葉でまとめなければならない。調子良く「俺も気づいていたんだけどあえて流したんや・・・」と自分を正当化するようなセリフでその場の帳尻を合わせてはいけない・・・。

体裁を繕っても繕ったそこが基準になって後にも先にも進めなくなる。メッキはやがてはがれるのである。いつも自分に正直に向かい合う心。そう言った心を持ち合わせることがサッカーに限らず人の成長を促す一番の栄養ではないだろうか?

『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』

指導者として選手に対していつもこうありたいと思う。 しかし、学生リーグ前期最終戦で退席になった私はまだまだ未熟者・・・。

コラム休業状態の真相2010-09-21

48号を出してから1年と3カ月。しばらくサッカーとハートを書くことが出来なかった。実は書きたいネタは沢山あるのだがどうもうまく構成が出来ないでいた。

それらのネタは自チームの選手や身近にある試合などから良く見つかるものだ。しかしそう言うネタを題材に書いているとどうしてもある特定チームや個人の話になりがちで、話しの流れから誰のことなのかが分かってしまうケースがある。そのネタの現場にいた者にすればハッキリと判る。ややもすればそう言ったことがチームや個人の批判・批評めいたことになってしまう。そうなったときの影響を考えるとためらいが続いた。ましてや公共での文面が“ペンの脅威”となり“ペンの暴力”さらには“パワハラ”を招くとなると大変なことである。今さら何を・・・というくらい今まで毒舌を撒き、過激な文章を書いたこともあったがここ1年は少々ペンが進まなかった。

そしてもう一つはこの1年3か月、私の周辺には様々な事柄が起こり、落ち着いた時間が割けなかったこともあった。落ち着かないが故に書こうという気が中々湧いてこなかったのも事実だ。他に優先させることが少々重なってしまったのである。
まあ、もっとも天才肌なところがあるため気分が乗らないとなかなか書けるものも書けなくて・・・。

とりあえず以下に書き出して見ると・・・

この1年3か月の間に色々な仕事が舞い込んできた。

  • 姫路獨協大学サッカー部の3年ぶり2度目の1部昇格
    2010年度4月~11月末の関西学生リーグ2部で優勝し1部自動昇格を勝ち取る。
  • 姫路獨協大学女子サッカー部設立
    強化初年度の2010年に2部から1部昇格とインカレ初出場を成し遂げる。
    同好会から強化クラブへと変貌し、2010年度入学生から強化を始めたためその準備と運営にエネルギーが必要となった。

    →そして男女のサッカー部の頑張り(競技成績と授業態度・就職率…ほぼ100%)がもたらす学内でのサッカー部の立ち位置に変化が起こりだす。大学内でサッカー部への評価が高まり他学部の教授陣と学生指導についてディスカッション・交流・連携の輪が広がり始めた。
  • 講演の依頼
    →少々忙しくなってきた・・・。
  • 同時に次年度の新人選手のスカウト活動で半年で20県以上の移動
    →おかげで有望新人入学!しかし忙しさが増した・・・。

プライベートでは

  • 2010年度、高校3年生の息子が高校最終学年を迎え全国大会に出場などプライベートにも忙しさが激増。
    そして、鹿島アントラーズへの入団が決まり、高校時代の寮の引っ越しやら挨拶回りやらで多忙を極める。

    同時に2010年度夏休み以降は協会行事においても
  • 県技術委員会の運営(各種別トレセン・指導者養成事業の視察)
  • 海外指導者研修会in UAE(2010.12月)の企画・立案・交渉・準備・手配
  • 兵庫サッカーカンファレンス(2011.1月)の企画・立案・準備
  • ウィングスタジアム指導者研修会(2011.1and3月)でのスペイン人講師招聘の企画・立案・準備・手配
    *この時は東北大震災が起きた時でスペイン人講師の帰国問題で大作業となった。

    夏休み以降は TENTEKO MAIだった・・・。
    あくまでも協会行事はボランティア。これ皆一緒。しかし自分で企画・団長として引率した海外研修会にも自費で帯同・・・。WHY?

そんなこんなしていたら

2011.2月以降は

  • 我がチームの合宿とその準備
  • 4月からの授業の準備
  • サッカー部新入メンバー受け入れの準備
  • サッカー部寮の調整・準備(メンテナンス)

といった作業も入り・・・

2011.4月以降は

  • 関西学生1部リーグの連戦に次ぐ連戦の勝負
  • 週6コマの授業
  • 学内の自然活動実習(マリンスポーツ実習)の企画・授業運営・YMCA施設との交渉、手配、準備、要綱冊子作り
  • 定期試験準備
  • 成績付け・評価資料作成
  • 性懲りもなくまたもや・・・3か月で北は秋田から南は沖縄まで13県スカウトめぐり
  • サッカー部夏合宿準備

ここまで書いたので1年3か月のブランクは許して・・・。

円熟の境地

このように毎日の日々があっという間のに過ぎてきた中で感じたことがある。如何にモチベーションを落とさずリーグ戦を戦い続けるか、情熱を持って毎日指導に当たるかにおいては相当なエネルギーが必要だということだ。

今まででもそうは思っていたしそこが勝負どころだと自分には言い聞かせてきた。しかし徐々に体感する体力の無さと“指導現場での情熱”を前面に出すための準備時間が長くなってきたということを感じざるを得なかった。物凄い熱き情熱を注いでいつも変らぬエネルギッシュな姿でグラウンドに立っている先輩を見ることがある。そう言う姿を見せていられる人は本当に凄いなと感じる。その様な姿をグラウンドで出すことが今後の自分に出来るのだろうか?私に課せられた今後の課題ではないかと思ったのだ。

ただ、こうも考える。これが自然のサイクルではないかと。若い時のように行かなくなった自分と向き合うことが新たな自分なりの指導方法の変化に繋がっていくのではないか。しかしこのタイミングでの努力の出来・不出来が俗に言う『円熟の境地』を迎えるレディネスではないかとも思う。雨の日の試合のトレーニングは雨の日にしかできないのと同じで、忙しさや体力が落ちてきた、所謂それ相当の年齢になってきたときのエネルギーの充填・発揮能力はその忙しさや年齢にならないとトレーニングできないのだ。いまが私の課題発見・新たな壁の乗り越え?なのかもしれない。来たる円熟期に向かって・・・(笑)

今これを見てくれている若い指導者の皆さんも私が書いた文章の意味がやがて解る時が来るはず。しかし一方で私より先輩は「50半ばになればまた来るよ!」という。ここからが勝負なのだ、世間に嫌われず必要とされる人種になるには。

いったいこの先何がくるのだろう?

まあ、忙しいということは幸せなことである。必要とされることが幸せなのだ。

サッカーの要素2010-06-26

サッカーの重要要素とは何か?よく3大要素とか言われ「技術・戦術・体力」が大切だといわれる。ある人は精神力を入れて4つともいう。中には「精神力・技術・戦術・・・」とあえて最初に精神力を持ってくることを強調する人もいる。私は順序はともかくとして必要要素は精神力を少し具体化して『技術・戦術・体力・繰り返し力・大人力』と言いたい。

大人にする

試合が始まれば監督の力など微々たるものだ。試合までのトレーニングや日々の選手とのやり取りの中で試合に向けての準備をしなければならない。試合前のトレーニングで作戦を落とし込み大切なことを感じ取らせるのかが試合を左右する。大事な試合になればなるほどそのウェイトは増す。しかし試合までの時間は限られ、トレーニングを重ねても短時間で激上達する訳でもない。“上達”とは“徐々”に成長する代物だから。

限られた中でいかに効率よく効果を上げるかは何もスポーツに限ったものではない。どんな集団にも共通した課題だ。ではどうやって効果を上げるのかというと日々のトレーニング内容・メニューも大事な要素なのだがどれだけ選手を大人に成長させられるかだ。年齢ではない。いわゆる大人にすることだ。

選手の能力を測る

大人とは何なのかと言われれば簡単にいえば信頼できるものがあるかどうかだ。試合になれば監督は様々なシュミレートをして試合の流れや勝利までの道筋を建てる。そのストーリーによって必要な選手をチョイスする。
サイド突破にウェイトを置くか? 
中央突破にウェイトを置くか? 
守備では相手の選手を抑えるためにどういった質の選手を起用するか? 
監督とは試合前までが勝負だ。要するに試合に対する作戦を選手に託して送り出す訳だ。と言うことは選手が作戦を遂行することや実践することは勝利に必要不可欠な要素となる。言いかえれば選手の実践力が試合を左右することにもなる。

18歳以上の学生を指導して感じることが大人になった選手と大人になりきれない選手の違いである。監督は選手に作戦を託す際、100%とは言わないが高確率で実践してくれるだろうと言う選手への計算のもと試合のストーリーを建てている訳だからその根底には選手がどのくらい作戦を実践できるかという“選手の能力を測る”ことが試合前1週間の監督としての仕事になる。もちろん技術・戦術向上のために手を変え品を変えでトレーニングメニューを施すが一方で選手への評価が多くの仕事になる。

信頼の見積もり

私のチームの選手はボールを止めて蹴ることができる。相手プレッシャーの度合いによりミスが比例はする。これは世のサッカー選手誰しも同じ。余裕が少ないほどミスは多くなり余裕が多いほどミスは少なくなる。そのプレッシャーによるミスの量を計算しつつも本番では如何に守り、如何に攻めに出ていけるかをシュミレートする。結局「あの選手なら○○をやってくれるだろう」、「△▽までならこなせるだろう」と監督は見積もりをする。この見積もりは言い換えれば選手への信頼度だ。見積もりが甘ければ敗戦が濃くなる。それは監督の見積もりの甘さだ。だから確実に見積もれるように確実性を高める指導が必要となる。

確実に仕事をこなしてくれる選手は押し並べて皆、落ち着きがあり思慮深く、周囲に敏感になる。周囲に気を使えるようになり私と会話していても大人同士の会話になる。もうそこには子供の面影はない。そういう変化を大学と言うカテゴリーでは感じ取ることができる。ひょっとしたら高校生年代でも1・2年生と3年生の変化には共通したものがあるかもしれない。もしかしたら中学1・2年と3年生にも大なり小なり“大人”への変化があるだろう。指導をしている人には感じていただけるように思う。

やり通す強さ、継続する強さ、繰り返す強さ

サッカーの指導はサッカーの戦術を基本から学ばせ、その戦術を実践できる技術を身につけさせなければならない。同時に必要になってくるものがサッカーを「好き」にさせることから徐々に「うまくなりたい」と言う思いに変え、引いては「強くなりたい」「勝ちたい」「選ばれたい」「代表になりたい」とグレードを上げさせていくメンタリティ向上が指導の大きなポイントとなっていくはずだ。もっとも年齢に応じて目標設定は変化させることが大切だ。ところが目標とは言うことは簡単だが実践することが難しい。指導者はそこに悩む。

だから私はトレーニング現場の2時間で様々なメニューを施すが、最近はコーチに練習を任せたりする。選手が飽きるからだ。そしてもっと大切にしていることはグラウンド上でのメニューの質より如何に大人に変えていくかの“作業”の方だ。これはグラウンド以外のことやクラブ内のルールやマナー、平たく言えば躾の部分だったりする。そしてもっと大事にしていることがトレーニングの一つ一つのメニューにおいてもクラブのルールについてもやり通す強さ、継続する強さ、繰り返す強さの要求である。1回やって終わらない、何回もやり通す・やり続ける、相手より一瞬早く動き出す・そしてまた繰り返す・・・そういった要求がサッカーの質を上げることであり、結果、質が上がれば試合にも勝てる。

また、やり通す強さ、継続する強さ、繰り返す強さを要求することがなぜサッカーに必要なのかを理解した時に選手は大人になっていくと感じる。大人になっていくと要求をこなせるようになる。要求をこなせるようになると・・・つまり信頼を勝ち取ると・・・つまり見積もりが確定すると・・・選手は上達し大人になる。これは選手上達には切っても切れない重要な要素であり選手測定ポイントでもある。つまり正確な見積もりをするための重要な資料となる。見積もりが上がれば要求できる戦術も比例していく。だから選手の重要要素には入れておく大切なことと私はとらえている。

大卒

もともと質の高い選手を取ってくれば最初から高い見積もりができるというわけだ。しかし指導の面白さは努力をした結果、高度な見積もりができ予想以上の売り上げをしたとき喜びは激増する。これは一般会社も同じか・・・?結局腕が問われるということだ。選手を集めて勝つのも楽しいが選手を育てて勝つのはもっと楽しい。なぜなら指導者だから。

ましてや卒業後に社会に出ていく世代である。繰り返す・継続する・・・から派生する・・・打たれ強い、世間の空気を読める、必要条件を理解する、選手が自分の見積もりをする・・・こういった能力がサッカーにも社会にも必要であるなら養わない手はない。

自立心と倫理観2009-05-14

2008年は1度しかコラムを出せなかった。
今年は少し頑張らねば・・・。

近況報告・学生リーグ

2009年度の関西学生サッカーリーグが4月29日から始まった。今年は残念ながら2部リーグでの戦いとなるが1部復帰を目指し、気持ちを新たに。

2部リーグチームは4月11日から開幕した1部リーグとは違い、4月の初頭は関西学生選手権を戦った。夏に行われる大学の全国大会である総理大臣杯大学サッカー選手権の予選を兼ねた選手権である。この関西学生サッカー選手権大会は学生リーグ1部所属全12チームと2・3部予選を勝ち抜いた4チームの計16チームが参加し6月に行われるのだが、2・3部チームは与えられた4枠を4月初旬の2週間で3試合、44チームが争った。

我々の成績は4月12日(日)1回戦○4-0vs大阪大谷大学、4月18日(土)準決勝○1-0vs天理大学、4月19日(日)ブロック決勝○3-1vs奈良産業大学となり、2・3部代表権を勝ち取ることができ、5月24日に関西学生サッカー選手権1回戦・関西大学と対戦することとなった。我がチームは昨年度1部リーグ所属チームであったとは言え、「2・3部予選を勝ち上がるのは決して楽ではない」と思っていたので、終わってみればそれなりに1年間もがいた経験が蓄積されているのか、落ち着いて試合を運べていた気がした。

続く4月29日からは関西学生リーグが開幕し、緒戦○9-0vs摂南大学、第2戦○1-0vs神戸大学、第3戦○9-1vs太成大学、第4戦△2-2vs龍谷大学となりBブロック1位を維持している。とはいえ先の長いリーグ戦。今の成績は関係ない。これからが問題である。

さて、本題・・・。

もう後は無い・・・プロしかない

私も前述のように大学生の指導をして早くも8年目に突入。しかし私はどうも同じチームを指導するも長続きしないようだ(笑)。今までの指導歴を見ると神戸FC時代が9年、ヴィッセル神戸時代が7年である。しかしそんな短い中でも小学生や中学生、高校生、社会人、女子、ママ、プロ、アマと様々なカテゴリーや年齢層を指導する機会得ることができた。

今年で指導を始めて25年になるが『“指導”をするとはどういうことなのか?』『自分が指導をした結果、求めている姿は何なのだろうか?』『今まで自分の“指導”における“根本”を成すものはどういった考え方なのか・・・』と自問自答をしている感が最近ある。もう少し平たく言うならサッカーの指導をしているのは『サッカーの質の追求なのか人間教育なのか…はたまたそういった区別をすること自体不自然なことなのか・・・』と。
現在の日本のサッカー界の選手育成と言う名の結末・代物・パターンはいくつかある。

  1. 将来の日本を代表するプレーヤーとしての力量に育つパターン
  2. 代表レベルまでの選手にはならないがJリーガーとしての力量に育つパターン
  3. Jリーガーにはなれなかったが高校時代まではかなりのレベルの力量に育ったパターン
  4. 大学で鍛えなおしJリーガーとしての力量までに育つパターン
  5. 大学でプレーするが社会人になってからは趣味でサッカーをプレーするパターン

などなど。

最終形はこれだけではないだろうが、いずれにしても選手育成の初期段階において、指導者はサッカー選手として必要なパーツを身につけさせよう、出来る限りレベルの高い試合が出来るように育てようと試みるに違いない、たとえ競技志向のチャンピオンシップスポーツを目指していないにしても・・・。

しかしながらサッカー選手としての技量の成長は十人十色で、計画通りにいかないのが世の常。世界で通用する選手を育てるという目標を真剣に達成しようとするなら指導者はより優秀な素材を見つけては連れてきて、サッカー選手になるための環境を用意し、徹底したプログラムの元、選手の思考をも洗脳しなければならないだろう。“もしサッカーで通用しなくなった時のことを考えて(融通が利くように)勉強もしておいた方が良い”などと言う考えを捨て、子供たちにプロサッカー選手たるもの○○だ・・・と。つまりハングリー状態の中で…生きるか死ぬかのような…選手を育成していかなければならないのだろう。

前述の考えが良いのか悪いのかの是非論は別にして、現在、ブラジルやヨーロッパのサッカー先進国の選手スカウト事情や育成事情をみると、日本の中では“考えられないこと”と思われることが実際行なわれている。そこまでしなくても選手は育つのではないの?あなたの国なら・・・とつい首をかしげたくなる・・・サッカー先進国が・・・だ。

イタリア・セリエAのインテルミラノに所属する18歳のマリオと言う選手をご存じだろうか?またバルセロナのメッシもそうである。13歳になった彼の能力を買い取るためにその家族ごとイタリアやスペインに移住させ、両親に仕事を与え、生活環境を整えて“子供”のパスを確保するのである。

日本では考えられない。当然学校にも通わすのだが学校は勉強をするところでありサッカーはクラブで行うもの・・・という住み分けが出来ているヨーロッパの国々。午後からはしっかりサッカーの時間を確保できる。サッカーが中心になってもおかしくは無い。日本国内でもガンバ大阪などはジュニアユースからユースに昇格するにあたって高校進学よりプロサッカー選手を推奨していくケースがある。所属選手全員に対してでは無いが「高校に行っておかないと後々のことを考えたときに・・・」という考えは無い。そんな甘えた気持ちがあるからプロになれないんだ・・・とばかりに。

若手育成に苦労をするJクラブ・・・だから勉強も大切では?

昨今、大学生のサッカーが見直されている。高校を卒業してJリーグに入団した選手の2~3年(18歳~21歳)の追跡調査をした結果、(A契約にまでたどり着いた選手はいわゆる将来有望選手であり即戦力タイプとして試合機会をつかめるが)B/C契約のままで所属している選手の65%が試合出場機会を得ていないという。

サテライトリーグも若手育成の場と言われてきたが、サテライトリーグで優勝するために選手を抱えるJ球団は今は無い。より少ない選手で球団を運営し人件費を削減する。すると22人の選手を保有するクラブにしても試合に出場する選手は毎試合11人+数人であるから、毎節試合のたびに 22-11(14)=11人(8人) の選手は試合に出場できない状況が生まれる。その選手で若手育成の試合をしようとしても人数が足りない。このギャップにどのチームも頭を悩ませているようだ。

しかし、だからこそお金をかけず選手育成する方法を考えなければならないのである。プロレベルの選手を育てるプロ球団なので、その若手選手のために刺激・資質向上が図れる事業を組まなければならない。人数的に7~8人で練習をしなければならないときはどこからか選手を補充してでも十分な人員確保をして、トレーニング効果を出したほうが良い。練習をするにも試合をするにも(自チームへの補充選手にしても対戦する相手チームの選手にしても)外部から加わる選手たちも、やはりそれ相当のレベルをもった選手を補充しなければプロレベル選手の育成のための実践には程遠くなる。

だからこそJ球団と大学チームとのコラボにもっと真剣に向き合うことが今後のプロ球団を維持していく上では大きなポイントではないかと私は考えている。各J球団所属の若手選手育成への“最小限の費用”で“最大の効果”を生む唯一の方法だと考えている。あの大学は近いだの遠いだの、ハイレベルの選手がいるいないではない。

しかしながら、この状況(若手選手の試合出場機会無し65%)がいつまでも続くのであれば、あるいは前述した選手育成の“結末・代物・パターン”が現在のサッカーの現状とするなら『もしサッカーで通用しなくなった時のことを考えて(融通が利くように)勉強もしておいた方が良い』と言う考えを否定することは非常に危険な行為となってくる。たまたま上手な選手はプロと言うレールがあるから良いが、そうでない選手たちはやはり困るのだ。

故に『“指導”をするとはどういうことなのか?』『自分が指導をした結果、求めている姿は何なのだろうか?』『今まで自分の“指導”における“根本”を成すものはどういった考え方なのか・・・』と自問自答をしているのである。

専門家=立ち振る舞い

プロ選手であれば何をしてよいかと言えばそんなことは無い。プロとして生きていくのはいわゆるその筋の専門家であるということ。よく○○大学経済学部△△教授とかエコノミスト□□氏・・・など専門家が経済に関する我々の知らない情報をワイドショーTVなどでコメントしているのを見かける。いわゆる専門家とはそういうことである。

一般人より専門分野において詳しくなければならないし、秀でていなければならない。ましてやサッカー選手は知識だけでは無く、実際にプレーをしてファンにお金を払ってもらってスタジアムに来てもらわなければならない。漫才師・落語家然り・・・芸人も同じで、お客さんに自分の一芸を見てもらわなければならないのである。さもなければ球団収入は上がらず(入場料収入だけが球団の収入ではないが赤字を出さず自給自足を目指すなら入場料収入は大切な要素となる)給料をもらえないことになる。つまり選手こそ際立った専門家でなくてはならないし、際立った営業マンでありパフォーマーでなければならない。

となればお客は何をもってある一定のプレーヤーの応援するのかということになる。“お気に入り”は秀でたスキルやキャラクターに依存される。直接会話はしないがTVや雑誌などを通じてその選手本人を知る(推測するというのか)。ファンはそういった媒体を通じてその本人とコミュニケーションをとり(とった気分になり)“お気に入り”に入れていくのである。

つまり、プレーヤーはもう一度あの選手の試合を見たいとかあの選手を応援したいと思わせなければならない。そして舞台上(グラウンド)で披露したの“芸”(サッカー)で人(ファン)を感動させなければならないのである。宝塚歌劇団が今でも人々の“憧れ”であり人々の“夢”として君臨しているのは立派な立ち振る舞いのできる宝塚音楽学校で育てられたからこそである。人が人を呼ぶのである。

では、際立った専門家になるための努力を何人のJリーガーがしているのだろうか?現役を引退してから指導者になりたいとB級やA級ライセンスを取得しに行く元Jリーガーが増えてきている昨今。実際一緒に講習会を受講したり講習会の講師をしてみると感じるのだが、引退する今になって努力を始める者、いい年しているのに一般常識のない・・・と思うものが少なくない。Jリーグに入る前も大切だが、入ってからがより大切なのだ。

善悪を教わるのはいつだった?

先日、神戸大学と試合をした時、神戸大学サッカー部員の大学生としての自立心、自立力、倫理観に驚きを感じたことがあった。総監督も監督も毎試合お見えになり熱心に指導をされる方であり、指導歴も長いとお見受けする。しかし、かといって躾に対して今更どうこうやかましく言われてはいないように思う。それなのに選手たちは試合に勝とうが負けようがしっかり挨拶ができ、試合終了後の態度(このときは我々が勝ったので神戸大の選手は決して気持ちがいいものではなかっただろう)も爽やかで好感が持てるものだった。

サッカー選手としての倫理観はとても大切だ。選手としての倫理観は同時に人間としての倫理観でもある。今の状況ではどう立ち振舞うべきか、相手の気持ちを思えばどうあるべきか、会場を借りている立場ではどうふるまうべきか・・・いわゆる我々指導者が子供を大人に育てていくプロセスにおいてとても必要且つ重要な指導項目である。この自立心、倫理観がない選手はプロになっても長続きしない。なぜならファンがつかないからだ。ましてや引退してから指導者になることは大変困難を極めるだろう。いや、プロ選手に限らず一般社会に出るためにも必要不可欠な能力なのだ。

倫理観とは一般常識のこととも言えるのではないか?最近、日本の政治家がJRフリーパスを使って国会を休み、熱海へ女性と旅行に行ったという記事を見た。漢字が読めないのも問題はあるのだが、公的立場で与えられるパスを使って国会を休んでまで旅行に行くということの善悪をいまさら60歳を超えた人生の先輩に言わなければならないとなれば、腹が立つのも通り越して「この人はいつの時期に何を教わってきていたのか」と非常に興味が湧く。ひょっとして悪いことと知っていてやってしまったのか?レベルの違いはあれ、社会的な犯罪行為を犯す大人も同じことだ。

コントロールとタイムリー

さて、大人と子供の違い・区別は何で付けられるのだろうか?わたしはいつも学生たちに言う。大人と子供の違い・区別は年齢ではない。責任が取れてセルフコントロールができるかどうかである・・・と。犯罪行為となると善悪の区別・してはいけないことを制止する抑止力のコントロールである。

反社会的行為もそうだが、簡単なところから言えば大人は遅刻をしない、仕事をきちっとこなすということでも決定的な違いと考えている。我々は翌日の仕事がいくら早くても遅刻はしないし欠席もしない。遅くまで飲み会に参加していても、必ず仕事は定時にきちんと行く。翌朝遅れそうで出勤に自信がなければ、前日の飲み会の誘惑に負けずにお酒を断る。いわゆるコントロールを利かせているのである。まあいいやと言って1眼目を休む学生とは違う。いや、学生の中にもきちんと出席する者もいる。しかしこれも倫理観。

また、こういったこともある。サッカー部員はさすがにいないが、一般学生たちは茶髪・ピアスなんて当たり前。しかし、なのに就職活動時期になると自発的に黒髪にしてしおらしくなる。本人の潜在意識の中で茶髪と言うものがどういうものなのかを理解しているようだ。茶髪が悪いわけではない。しかし面接においては極めて不利に働くということを感じているようだ。大学4年生の卒業間際まで茶髪云々を話ししなければならないこと自体、倫理観の欠如。

つまり、我々大人・指導者は対学生だけではなく、人間が育っていくプロセスの中でタイムリーに倫理観をその時に教え込まなければならない。そのためには我々指導者・大人が倫理観を自ら知っていなければならないし実践できなければならない。そしてそれこそタイムリーに教え込まなければならないのである。

「プロになるためには勉強とか高校に進学することなどの余分なことを考えずにサッカーにかけろ!」という考え方に対して外野の我々が、どうのこうのということではないのかもしれない。私個人はむしろ、その考えには一理あると思っているし異論もない。

つまり、私はこう考える。サッカーのトレーニングと勉強は相反するものではなく、互いに邪魔になるものでもなければ互いを消しあう存在のものでもない。しかし勉強はできなくても倫理観だけはTPO,年齢に応じて叩き込まなければならない。サッカーができても出来なくても倫理観だけは叩き込まなくてはならない・・・と。

昨今、モンスターペアレンツといった言葉にあるように、大人に異変が多すぎる。給食を食べているのに・車を持って贅沢しているのに給食費は払わないという。そのエヴィデンスは「義務教育年代の子供の食費は国が払うのが筋だ」ということらしい。その理屈もあながちわからないではないが、決まり事としてはそうなっていない。理屈が屁理屈になっている。これも倫理観の欠如だ。

要は進学といた最終学歴やサッカーの云々ではなく何を学んだかである。漢字が読めなくても総理大臣になれるのだから。

心が導く2008-05-22

サッカーとハートを久しぶりに更新。前回は2007年7月10日の更新であるからおおよそ10ヶ月振りとなる。こんなに間を空けると誰も見てくれなくなるだろうな・・・と思いながらも、どうしても書けない日々が続いてしまった。更新できないなら出来ない、間が空くのを充電期間という名できちんと休止状態宣言すればよかったのかもしれない・・・サザン○○○スターズのように・・・。しかしそうしたとしても「ああそうか」で終えることだろうから・・・必要もないかと少々躊躇。

この10ヶ月の間には、私自身の身の回りにおいて様々な出来事があった。前回のコラムの更新日の2007年7月10日以降には、サッカー協会や自チームの夏休みの事業運営が例年のごとく次から次へと現れ、それを消化するのに追われた。その後、8月26日からはS級ライセンス受講のため11月30日までの延べ3ヶ月強の間、東京と神戸を13往復した。同時に9月からは関西学生サッカー秋季リーグが開幕し(9月~11月末まで開催)、毎週週末は指導現場に立つ。この期間はS級ライセンス講習の日程と現場の指導が平行したため日々の生活ががらりと変わった。

月曜日13:00に東京国立スポーツ科学センター(西が丘サッカー場横)に集合し、午後からフィジカルトレーニングの理論講義と実技講習が行われ、火曜日から木曜日においては午前に指導実践(三菱養和会巣鴨グラウンド)、午後に講義(国立スポーツ科学センター)というスケジュールをこなした。結局、月曜から水曜日まで東京住まいとなり、講義内容によっては木曜日も東京泊。金曜日に大学へ直行ということもあった。神戸に帰れば金・土曜日で大学の業務とサッカー部の指導を繰り返し、日曜日は学生リーグの公式戦に帯同。翌月曜日には再度13:00に東京国立スポーツ科学センターに集合となり、おなじみのリズムをこなす。それでなくても13週間という期間そのものが長い上に毎週東京はさすがに遠い。だが東京だけならまだ良いのだが、3回ほどJヴィレッジでの講習も行われた。やはりJヴィレッジはもっと遠い。S級の講習会の内容については後ほど面白い話を含め紹介したいと思うが、指導実践するたびに力の無さを痛感。だめだしされるしでへこむ日々。

その長い3ヶ月の講習会を終えるころ学生サッカーリーグも終盤戦に差し掛かっていた。よりによって私自身、充分にチームの指導ができていない・・・と心配していた時なのに嬉しいやら悔しいやら・・・なんと2部Aブロックで優勝し、2008年度からの関西学生サッカーリーグ1部への切符をゲットしてしまった。複雑な心境でより一層白髪が増えた・・・。

12月になり講習も終え少々ゆっくり出来るかな?・・・と思っていたらなんのその、ブラジルから元日産自動車時代の名選手(京都サンガでも監督経験あり)オスカー氏を招いての指導者研修会の企画が持ち上がった(2008年1月15日(火)・17日(木)・20日(日)の3回実施)。県技術委員長を仰せつかっていた私は、企画責任者として講習会参加者にリフレッシュポイントをつけるためにJFAと折衝をしながら、会場確保や案内作成等でまた時間に追われだす。そうこうしていると1月22日からのS級ライセンス研修の一環としての海外研修が目前に迫る。オスカー氏の講習会の報告書をすぐにまとめ、1月22日にイタリアへ飛んだ。セリエA所属のリボルノSCとCSジェノア(カズが所属していたチーム)に1週間ずつ帯同し計2週間の研修を終え帰国。2月からは県協会指導者養成事業の運営、大学の入試関係業務、サッカー部新入部員受け入れ、4月からの学生リーグ1部を睨んでの準備・・・等等、毎日時間に追われた。というか夜になると疲れ果てパソコンに迎えなかったと言うのが実情。結局私の都合なのだが・・・。

本当にサッカーとハートを書く時間がなかったのとあまりのS級の講習会の厳しさ・大変さに少々モチベーションも失いかけ、何かをする気力が沸いて来なかったのも事実である。よって夜の街に出かけることもめっきり減り、肝臓には良かったのかもしれない・・・。

何をどう変える?

チームが連敗を喫し、なかなか元気が出ない状態が続いている・・・という経験があるだろうか?

そういう時はどうしたらよいのか?なかなかこれという方法が確立されているわけではないので経験に頼ることが多くなるのではないか?私が指導する大学のチームも1部に昇格して第1戦目●0-2vs桃山学院大学、第2節△2-2vs関西学院大学、第3節○1-0vs大阪学院大学と最初の3試合は初陣としては上出来の勝ち点4のスタートだったが第4節以降4連敗(4月26日、4月29日、5月3日、5月5日の10日間で4試合)を喫した。連戦だったとは言え、それは相手も同じこと。結局選手層やチーム体力(持久力という意味の体力ではなくすべてにおける運営能力を表す意味の体力)の無さが顕著だった。

しかし連敗をしているからといっても指を銜えてみている訳には行かない。何かをしなければ状況は変わらない。私もそんなに多くの経験をしているわけではないが思うに『何かを変えなければならない。』ということである。しかし何をどのように変えればどうなるのか・・・簡単には答えは見つからない。スポーツの世界で良く見受けられる方法として選手にもスタッフにも”刺激”を与えるという方法がある。よく連敗を脱出するために監督を更迭する…なんて言う話はよく耳にするところだろう。私にも更迭説が出てもおかしくないのだが・・・。

絶対条件

さて、ではその刺激を与えるという行為は誰が行うのか?立場でいえばフロント(強化担当責任者etc)という立場の人間が行うこともあれば監督が行うこともある。選手が行うこともある。では監督が行う手法としてはどういう感覚を持ち合わせた上でのどういう刺激なのか?実際に連敗を脱出する”刺激”を生み出すのにはどんな具体的なことがあるのか?一番多く取り入れられることは“先発選手を入れ替える”ことによる刺激ではないだろうか。

しかしただ闇雲に選手を入れ替えても意味がない。コロコロ先発選手が変わると試合に出場する選手間の意思疎通やコンビネーションの構築にはマイナス要因がはびこる。適度に入れ替えるのが良い。しかし入れ替えられた選手に言わせれば指導者との信用がなければ先発をはずされたときなどは特に納得した交代にはならないだろう。スムーズな実践はセレクトする立場の監督がいつも傍にいる選手達の微妙な動き・しぐさ・感受性の変化・感覚を逃さないよう酌まなく読み取ることが絶対必要条件である。

交代させられた選手が実際には「最近自分は調子が良い」と思っているかもしれない。しかしそれでも監督から見れば良いプレーができていないと思うかもしれない。一方でその逆もありえる。本人は調子が良くないと思っていても監督からすればよいプレーをしているように見えることもある。言い換えればこの現象が指導者を信じていけなくなる選手が生まれてくる要素なのかもしれない。このギャップはどちらかが悪いとか言う物ではなく、どちらかの思い込みから生まれるものである。どちらが正しいかを探し出す議論となるなら決して解決しないものであろうし、議論をしても結論がないものであろう。

時間と目を持つ

監督はそのギャップを少しでも埋めて行かなければならない。「何が良いプレー」なのか?「何が今、チームに必要とされるプレー」なのか?「今、○○のプレーを求めている」のか等を選手に伝えることが仕事だ。もっといえば伝えた後、選手が思いを実行に移すための実践の機会を与えていくことが更なる仕事でなければならない。指導者と言うものはこのギャップを埋める努力なくして良い指導はできないはずである。であるからして私は選手に『いつもチャンスはある』と言い続けている。だからその日・その1週間の選手たちの様々な気分の移り変わりや体調の善し悪し・気分の乗り具合を見分ける“時間”と“目”を持ち合わせなければならないと思っている。

しかしながら一方ではそのチャンスを残念ながらみすみす逃していく選手もいる。チャンスはいつも空から降ってきている。『あっ!チャンスが落ちてきた!!』と気づくか気付かないか・・・。大きな差である。傲慢な態度の者は目の前のチャンスは見えなくなり見逃す。周りに敏感で気配りができる者はその降ってきたチャンスに気づき落ちる前に拾える。そういった準備をしている者が最後には飛躍できる。言うなればチャンスを逃さないように拾える状態を常日頃から自分で作り出すことが大切になり、その作業を実際に行っているのかいないのかを監督は見ていると言っても良いかもしれない。

“日々努力!”
“驕れる者は久しからずや”

である。

練習は“ため”になるもの

だからいくつになっても指導者としては勉強が必要だ。試合においては変な先入観や固定概念を持たず選手を決定したい。新たなチャンスをつかむべく新人登用や出場機会の少ない選手も思い切って使う。それは日々を見ているから出来ることであり、日々の練習で選手が出す結果を見ているからメンバー選考の確信となり結論となっていくのである。当然、ある試合での先発組がその試合で勝利を掴むとするなら次の試合においても前回の先発組の再登場は有りだ。結果を出したのだから・・・。しかしだからといって試合の現場においては決して情けは無しであり厳しさがなければならない。

授業で全体練習に合流できなかったり練習時間に遅れたりする選手達に『遅れても良い、グラウンドに行き一人ででも練習すること。また数十分でもいいからトレーニングをして帰ること』と口やかましく言うのはチャンスを掴むためには・・・という考えからだ。練習自体はいつ何時も自分にとっては“ため”になる。ましてや自主練習をしている姿を仲間が見たとするなら自然と仲間は理解を示すし納得をし、評価するだろう。ということはやはり大切なのはサッカーに取り組む“心”の問題だということになる。

刺激

他の選手に良い部分があるからそこを評価して起用してみようという相対評価としての決断もある。天秤にかけたら先発をはずすことになる・・・ということは現実としてありうる事だ。しかしだからといって、先発を外されたからと言ってプレーが良くないということばかりではない。メンバーセレクトの決断がずっと続いて固定されるかといえばそうではない。選手のために、また選手がその悔しさをバネに踏ん張って跳ね返ってくることに期待を寄せるためのいわゆる”刺激”と言われる場合もある。だからメンバーに入ってもメンバーをはずされても『一喜一憂してはいけない』のである。下を向いてしょげたりふてくされては何も残らず前に進めない。選手をやっている以上前進・向上を目指しているはずである。悲しいかな心ひとつで良い方向にも悪い方向にもどうにでも動いてしまう。

つまり『心が導く』のである。

常に振り返ろう。
常に謙虚であり周りに敏感であれ。