提示力・止める勇気2007-07-10

現在、自分でサッカーチームを立ち上げ、有給の指導者として生活を送っている30歳前後の若手指導者が大変増えてきた。それはそれは大変な勇気とエネルギーだ。子供が集まらなければ死活問題だからだ。そうおいそれとスポンサーが有る訳でもなく自分達の動いた“量”と“質”が生活を支えるのだ。そういう彼らが立派な指導者になって自チームのみならずサッカー界を引っ張って行ってくれたらありがたい。

今、このたくさんあるサッカーチームから消費者(選手・・・親と子供)はチームチョイスをする時、何を持って選ぶのか?環境?近いから?強いから?指導者が良いから?そう、色々理由はある。

指導者とは何?なぜにこうもたくさんの人がサッカーの指導をするのか?

プラン

サッカーの指導者にはくつかの仕事がある。それぞれの目標を達成するためにそれぞれのタスクがある。では指導者の究極の役割とは何だろうか?どういうタイプの指導者が良い指導者なのか?選手に何をしてあげることが一番必要なことなのか?次の例を皆さんはどう思う?

新神戸駅から新幹線に飛び乗った。目標は新横浜駅。たまたまホームに新幹線が来たので飛び乗った。おそらく方向としたら東京方面に向かっているので間違いなく東京方面には行くだろう。しかし途中どの駅で止まるのか?この電車はひかりなのかのぞみなのか?そしていったい何時に付くのか・・・・?ひょっとしたら新大阪止まり?飛び乗った列車の終点が自分の行きたい駅ならば寝ていても目標駅には着く。しかし目標駅が終点ではないとすればどうする?ましてやその情報は無いとなれば・・・。寝過ごす可能性もあるのだ。

こういった先が見えない状態の時、“人”は不安になる。しかし自分が乗った新幹線がどこ行きであるとか途中どこで止まるだとか何時着といった現実の情報が事前に判っていたらどうだろう?『○○時まで寝よう』とか『食事を取る時間がある』などといった計画をたてて車内で行動することが出来る。計画は先が見えているからこそ立てられるものである。

ましてや“大人”は経験的に新神戸から新横浜までは3時間ほどある・・・とか『10分前に降りる用意をすれば間に合う』といったことを知っている。つまりドキドキして寝ずに緊張して到着駅を待たなくて済むのである。

では子供はどうだろう?初めてのお使い・・・ではないがまず不安で落ち着かないだろう。

提示力

そう考えると指導者の仕事とは・・・・何か見えて来はしないだろうか?

『出口の無いトンネル』、『行く先が見えない闇』といった類のものは人を不安にさせる。ということは“行く先”、“目標物”、“方向”、“時間”といったものが分かっているということは逆に言えばこの上なく人を安心させる要素ということが出来る。指導者はこの“行く先””方向”といった選手として目指すべき物、方向、目標、選手像を提示することが大切ではないかと考えている。

それらの情報をいつ?どういった言葉で?理解させるかが次なる問題ではあるが一筋の明かりを照らすことが指導者における最大の仕事ではないだろうか?その一筋の光に相当するものはプレーの評価、技術の評価、チームの目標、選手個人の目標といった数字で表しにくいものであったりする。しかし表現しなければならない。対象が子供であればあるほどこの一筋の光はどんどん太い光にしてやらねばならない。

選手側に立てば指導者の『提示』すると言う作業は的確であり分かりやすい言葉ほど良い。最もそういった数字であらわしにくいものを如何に理解しやすく現すか・・・しかも相手が聞き入れやすくなるような話し方や会話の“間”を使い分けながら・・・となると指導者の人間性・キャラクター・センスなのかもしれないが・・・。

アンテナ

若手の指導者が増えてきたことはとても良いことである。指導者に必要な要素は良き兄であり、良き父であり、良きコーチであり、良き教師であり、良き企画者であり、良きセールスマンであり・・・そして前述の『提示力』と様々な要素が必要である。教師も大変な仕事であるがサッカーコーチも大変な仕事である。この大変な要素を出来るだけ早く会得する必要がある。なぜならプロだから。それが商売ネタだから。ひとにない”売り“を持っていないと近所の食堂に客を取られた美味くない飯屋と同じだ。

何時まで経っても日々勉強、何年経っても勉強が必要ということは日々体感する。実際自分の知らないことに良く出会う。だから勉強や指導者としての完成や終わりは無いだろう。それでも出来れば人より少しでも多くのことを、人より少しでも速く知る方が良い。物理的なことは致し方ない。例えば親になってみないと子育ての大変さは分からないとか子供を持って始めて知ること(親の恩、反抗期の大変さ・・・等)などは時間と共に学ぶこと。ただそれ以外のものにはアンテナを張って日々敏感になっていなければならない。

若手指導者にエール!

私は現在、兵庫県クラブユースサッカー連盟の理事長をしているのだがこの組織の仕事は何かというと中学校・高校年代における学校の部活以外の、いわゆる“クラブチーム”における円滑な競技会参加・運営、新規設立チームの円滑な登録サポートである。今現在、中学校年代のクラブにおいて私が前述したことをしっかり自覚して指導をしているクラブがいくつあるか?きちんと一筋の光を差し込んだ指導をしているクラブとそうでないクラブとの差が徐々に見え始めているような気がしている。やがて各地域でクラブの存続危機や自然淘汰といった事態が起こる時代が来るだろう。サッカーも自由競争の時代に入ってきたのかもしれない。『選手の取り合いになるので我々のチームが練習をしている周りではチームを立ち上げないで欲しい』といったことを誰が止められるのか?つぶれていくガソリンスタンド、すしチェーン店の横に乱立するスパゲティ屋や焼き鳥屋。軒並びに建つラーメン店の多いこと。焼肉屋しかり・・・価格破壊を助長するこのご時勢にサッカークラブも同じようなことが起こりつつある。

こうなるとクラブの売りは?クラブのセールスポイントは?クラブの食いネタは?ということになる。・・・結局究極は人と人・・・つまりは指導者の質・・・・これしかない。面白いことを言うだけの“お兄ちゃん”的要素でのみ子供に気に入られているようではお先は見えたようなもの。あえて苦言を言うが質向上は必須条件であることは間違いない。

言い忘れたがサッカーの知識と指導の施し方(実践)も絶対条件であることはいうまでも無い、なにせプロ(有給指導者を抱える)サッカークラブであるから。

クラブをチョイス

これから子供をどこかのサッカークラブへ預けようと思っているご両親、何を持って入会するクラブを決断する?練習所が家から近いから?それも大切な要素。しかしできれば体験入部をした上でそのクラブの指導者と話をして決めたほうが良い。そしてそのクラブへ入る勇気と入らない勇気を持って欲しい。自分の目で見極める眼力を持って欲しい。現在は指導者が選手を選ぶのではなく選手が指導者・クラブを選ぶ時代なのである。指導者の質を見極める目が肥えていくことが指導者を育てるのだ。

しかし注意して欲しいこともある。保護者が言いたいことを言いたいだけ、好き勝手に”忠告“という名で所属クラブ指導者に言うという行為はいただけない。最近保護者のエスカレートも気になる。サッカー経験者のお父さんやスポーツ経験のあるお母さんが増え、自分の価値観で物を言うことが多い気がする。まあそうは言ってもそういう行為を保護者にさせてしまうこと自体、指導者の質が問われるということであり・・・、つまりその部分において自然淘汰されていかないとサッカー界全体やチームの運営スキルが向上していかないと私は考えている。

だからこそ、そんな時代だからこそ保護者は指導者と建設的に話しを行い、所属クラブの指導方針をよく理解して、わが子の子育ての方法にサッカーを利用していくことを視野に入れて欲しい。だからクラブを選ぶ時代なのである。だからクラブは様々な指導方針をもって自分達の”売り“を持つ必要がある。親からすればクラブの指導方針が自分の子育て教育論と合わなければ合うクラブを探したいものだ。そう言う環境になっていかなければ本当のサッカー文化の向上は無いだろう。しかし現実には『すぐ別のクラブを・・・』というわけには行かない。なにせ自分の居住地近くにそういった多種多様な”売り“を持ったクラブが沢山存在することは無い。少々遠方まで行かないとクラブがない。理想的なことばかりを言うようだが将来のよい姿としてはこういったことをイメージする。選手の質を上げる指導上のことばかりでなくこういったサッカーを取り巻く環境を向上させないとJFAが言う『世界のトップ10』『ワールドカップ優勝』などは実現しない・・・と思っている私である。

マイ・ブーム

今私の中でのマイブームの言葉は『止める勇気』である。これが今後の私の“売り”ネタかもしれない。サッカー協会の行事がそう。長年続いているから今更辞められない・・・といって続けるのではなく、本当に必要且つ効果的なものを残し、そうでないものは止めていく勇気が必要である。それが選手のためならばなおさら・・・。今、兵庫県・神戸市サッカー界は新しいアイディアを出し、改革を施す時期が来ていると私は考えている。指導者の変革・行事の変革・保護者の変革が必要な時代である。2007年4月から就任した兵庫県サッカー協会技術委員長という役職やJFAユースダイレクター(兵庫県の2〜4種・女子の競技会の整備や育成年代の指導者育成のリーダーとしてJFが任命する役職、ナショナルコーチの兵庫県版といった仕事)という仕事がまさのその“やめる勇気を実践”する仕事だ。

私が指導しているチームの“指導方針”を見て考えた・・・。私自身も改革をしていかないといけない。止める勇気・・・辞める勇気??この8月末から私はS級ライセンス講習会を受講することが決まり9〜2月くらいまではほとんど勉強漬け。週末しかチームの指導が出来ない。これって改革のチャンス?

初の1部リーグとの入れ替え戦2007-05-29

今回のコラムは実に3月23日から2ヶ月ぶり・・・。なのに話題も少々私事から・・・。この2ヶ月は協会業務も控え飲みも控え・・・自チームに専念!だからコラムも書けず・・・。

2007年度 第17回 関西学生サッカー春季2部リーグは4月8日よりが5月20日まで全20チームを10チームずつ2ブロック、各ブロック9試合の1回戦総当りリーグで行われた。私が指導している姫路獨協大学体育会サッカー部は2部Bブロックに分属され大阪経済大・大阪教育大・大阪産業大・甲南大・大阪府立大・京都大・神戸学院大・奈良産業大学・天理大学と同組に入った。

開幕2連敗スタートによるチームつくり

開幕戦の大阪経済大学戦・第2節大阪教育大学戦をともに0-2と落とし開幕2連敗で始まったこのリーグ。続く第3節・大阪産業大学戦は第2節(4月14日・土)の翌日(4月15日・日)というタイトなスケジュールであり、敗戦の気持ちを切り替える時間が無い非常に難しい試合となった。しかしこのまま指をくわえて見ている訳にはいかない。

私は第2節の敗戦直後にある決断をした。それは敗戦ムードの空気を変えること・連敗の悪い流れを断ち切ることを狙いとした人員的刺激だった。それは怪我や語学留学等でセカンドチームにてコンディション調整をしていた4回生3名をAチーム合流させることだった。こういった開幕2連敗というシュチエーションにならなければ合流はもう少し後にしていたかもしれない。しかし2連敗したそのグラウンド上で決断した。ただ、だからといってその3名を同時にゲームに即先発させては意味はない。なぜなら即先発させれば替えられた選手・他の試合に出ていない選手間のモチベーションはどうなるだろう?長丁場の”リーグ“を戦うのだから3名の即先発はしない。戦力には違いないが最上級生という背景が地味な作業や叱咤激励、ムード作りをやってのけてくれる。ましてやプレーで結果を出してくれれば一石二鳥である。結果、翌日の大阪産業大学戦は開始3分の先制点に始まり4-3という乱打戦を制し初勝利を挙げた。と同時にドラマチックな試合展開がチームの調子を上向きにした。

ユニット的考え

続く第4節甲南大学戦も終了間際で追いつかれたものの3-3のドローで勝ち点を獲得。あわよくば2連勝というところを逃した結果だが選手はネガティブにならず、むしろ追いつき・リードしたことに自信を持った。実はこの開幕4連戦の相手はすべて過去に1部リーグの在籍経験がある大学でありそれぞれスポーツ推薦で早くから強化を始めているチームばかりである。歴史や過去の成績においては一歩も二歩も先輩である。

しかし試合はやってみないとわからない。サッカーとハートNO15でも書いたようにリーグ戦においてはユニットだ。つまり冷静に分析して勝ち点が取れる相手か厳しい相手か・・・を考えなければならない。そこで私は最初の4節(大阪経済大・大阪教育大・大阪産業大・甲南大)でマックス勝ち点3×4ゲーム=12点のうち7点をゲットすることを目標に掲げ選手に話した。もちろん全勝に越したことはないがなまじ“全勝しないといけない”と言い切るともしどこかの試合で敗れたときに『もうあかんわ・・・』と修正が効かなくなるのが怖い。むしろ『1つくらい負けてもまだ大丈夫!』と思えたほうが良い。実際大丈夫なのだから・・・。

勝ち続けることとリーグ全般の展開を読む

そのあとは第5節〜7節(大阪府立大・京都大・神戸学院大)を第2クール、第8・9節(奈良産業大学・天理大学)を第3クールと位置づけた。第2クールは必ず勝ち点を9点取る対戦、第3クールはリーグ全般の様相がわかってくる頃なので得失点差を考えながらの試合運びの対戦となる。しかしこうやってあれこれ考えているものの結局どっちにしても負けて良い試合などは存在しない。リーグの最初に負けが先行すればするほど後からの試合は負けが許されなくなっていくのだ。結局勝たなければならなくなる。しかし大切なのは考え方である。勝つためのモチベーションつくりと負けたときの修正手段の両方に予防線を同時に張りながらリーグを踏まえていく・・・。

我々は最初の4試合を1勝1分け2敗の勝ち点4でしのいだものの、目標勝ち点7には届いていない。しかしその足らない分、“勢い”という武器をゲットした。正直この時点では上位2位以内(2位以内に入れば1部リーグへのチャレンジ権獲得のチャンスがある)に入るにはもうひとつも負けられない状態。しかし私が選手に伝えたのは最終節に近づくほど上位4強がつぶし合いをしていく組み合わせなので(我々は先に4強と試合をしたという組み合わせの妙が後でものを言う)我々が勝ち続けていけばどう考えても勝機はある、負けずに行けばチャンスだ・・・ということである。先にも述べた得失点差ももちろん気にしなければならないがこのシュチエーションではまずきちんと勝ち点をあげることを目標に切り替えた。以降、大阪府立大学には3-0、京都大学に2-0、神戸学院大学に2-1、奈良産業大学に4-2(これは雨天の中での逆転した熾烈な試合だった・・・)、 天理大学に3-2(これも逆転に次ぐ逆転でドラマチックな試合だった)と勝ち続けた。 結果、○○に勝っていれば1位になれたかも・・・というネガティブ思考ではなく、純粋に喜ぶべき大阪教育大学に次ぐ2位となった。勝てなかった・・・という考えではなく負けずに引き分けられた・・・つまり相手に勝ち点3を与えずに戦えた・・・という甲南大学に結果、勝ち点1の差で我々は2位であり甲南大学は3位だったのだ。我々に勝った大阪経済大学は大阪教育大学・大阪産業大学・奈良産業大学に敗れ京都大学と引き分けたために5位に終わった。

2部Bブロックの結果はここ≫

1部を賭けて

Bブロックで2位となったことにより2部Aブロックとの1部昇格をかけた戦いに進出することになった。2部順位戦のレギュレーションとしては

(1)2部Aブロック1位:同志社大学  vs 2部Bブロック1位:大阪教育大学
(2)2部Aブロック2位:関西外国語大学 vs 2部Bブロック2位:姫路獨協大学

という対戦となり

(1)の勝者・・・1部自動昇格
(1)の敗者・・・1部9位・阪南大学と入れ替え戦
(2)の勝者・・・1部8位・大阪学院大学と入れ替え戦
(2)の敗者・・・2部残留

となる。

5月20日にリーグの勢いを絶やさないように望んだ関西外国語大学戦、立ち上がり先制を許しすぐさま追いついたものの前半43分に追加点を入れられ1-2で終了。失点の型・失点の時間帯が悪く決して良いとはいえない試合展開だったがハーフタイムに

『自陣に速く戻ってから前を向いた型で守備に入ること』

『相手はトップに入ってくるボールにあわせてその両横をすり抜けてこぼれ球に絡んでくるので競る者・カバーする者など役割と判断を早くすること』

『1対1簡単にかわされるな・・・不用意に飛び込むな』

と指示した。

後半開始3分で同点とし、その後は相手選手の怪我による退場の戦力ダウンもあったが一方的になり4-2で勝利し初の入れ替え戦に進出することになった。

2部順位戦の結果はここ≫

春リーグに向けてしてきた準備

この春リーグに向けては1月15日(月)〜27日(土)までを自主トレ期間に当て各自で基礎体つくりをさせた。翌週29日(月)から全体練習を始め2月3日(土)にはいきなり試合をするなど各自の自主トレの重要性を感じさせることを視野に入れてスタートした。毎週土日には試合をかなり組み入れ実践の中での体つくりをさせた。試合の結果よりも体の動きの見極めが私の大きな課題だった。そのため自チームの指導に専念するべく協会の業務は入れずに付いて回った。2月26日(月)〜3月2日(金)までは2班に分けて美作で合宿を行った。

今回のリーグにおいてのコンセプトは『攻撃的』。シーズン始動したときからのテーマで入れられても入れ返す攻撃重視で指導を行ってきた。3FWを基盤に3バック、時には4-4-2、時には3-5-2と並びは相手に対して変えてきた。しかし戦術を語るときには必ずシステムが付いて周るが、システムなんてキックオフ時のならびに過ぎない。私の理想は危ないところへ人がいてチャンスのところに人がいる、人もボールもよく動くサッカーだ。そいう意味ではよく理解をして反応してくれた。このわかりにくい指導の下で・・・。

大事な試合前に情報をばらして大丈夫?

このコラムを大阪学院大学の選手やスタッフが見て知ってもかまわない。私はただ自分のしてきたことや考えてきたこと、選手がしてきたことを・・・事実を残したいだけだから。

免疫2007-03-23

私の指導するチームのホームページにも例外なく『掲示板』というコーナーがあり一般の誰でもが自由に、しかも匿名で書き込みが出来る様になっている。先日そのHPで我がチームの選手全員の紹介も兼ねた一人一人のコメントを私が書いたところ誰かはわからないが匿名で『選手に対するコメントに期待されている選手の場合と期待されていない選手の場合との格差がある』と言う批判書き込みがあった。期待されている選手は良いが期待されてない選手においては可哀想だと言う主旨だろう。

評価とは

それについて私は世間で言う”逆切れ”をおこす気はない。しかしいつの世も自分では良かれと思い行動したことが逆に別の人には不快になる・・・ことがある。良くありがちだ。現に私もこうやって人に批判をされるようなことをしてしまっている。不快な思いをかけたのなら自分が素直に考え直すことはまず必要だ。

しかし私に言わせれば選手に対してありもしないコメントは並べられないのと過大評価は出来ないということだ。誰しも良いところもあれば苦手な部分があって当然だ。ポジションも違えば個性も違う、性格も違う。私は今回のHPにおいては選手各個人の良い点を書き次に今後の課題を書いたつもりだった。

そもそも”評価”というものそのものがそういった賛否を作り出す代物だ。今の社会総じて”事なかれ主義 ” ”格差是正” ”出る杭は打たれ”・・・の傾向があり、“天下り”ではないが何かにおいてクリーンに・・・公平に・・・と叫ばれる。今に始まったことではないかもしれないがやたら新聞紙上で見かける。一本5,000円の水は公費かどうか・・・?当然世の中クリーンであるべきでグレーゾーン廃止傾向は強い。実際それを圧倒的に世論は欲しているのが事実だ。

3人の王子様

先般幼稚園でのある出来事のレポートを見た。園内の学芸会かなにかでこんなことがあったそうだ。桃太郎だったか何かの”劇”で保護者が『私の子供に主人公をさせてくれ』という依頼が多くなり先生が苦肉の策で全配役に3〜4人ずつの人選をして劇を行ったというのである。主人公も3人いれば脇役も3人、お姫様が存在する劇ならお姫様も3人・・・みんな3人ずついるという。そういった芝居が成り立つこと事態驚きだがまたそれを聞き入れてしまう幼稚園も驚く・・・しかしそれが今の時代なのだ。そういう現象を作ってしまったのも大人なのだ。グレーゾーンを作ってしまっているのだ。

配役に良いも悪いもない。スポットライトが当たる”主役”は誰でもが出来る訳ではないが、可能ならばやりたいものだ。しかしひとつの劇を作り上げ観客の心を打ち、そして『また観に行きたい!』と思わせるにはそういった様々な”役”なくしては成り立たない。とは言えただ複数の配役が存在していればその“劇”はすべてすばらしいかと言えばそうではないだろう。その”役”の必要性を出演者や裏方さんや“劇”に携わるすべての人がい互いにその“役”を理解するからこそ互いの個性を引き出しあいアンサンブルを奏でる。そして主役が引き立ち演劇全体が人の心を打つのである。それぞれの配役を理解するには台本も読むだろう。様々な配役を経験したり配役の存在そのものを認めることも必要だろう。それでなければ“感性”は高められず芝居の中の”役”の勘所を感じ取れないままの役者で終わる。

宝塚歌劇団の役者が歌を間違えたりするのか?踊りを間違えたりするのか?必死の訓練・鍛錬によりミスは最小限に抑えられ人の心を打つ。今こういった顔・・・今はああいった身振り手振り・・・様々な感性を振り絞って芝居をしているのである。芝居を理解することなくして人の心は打てない。スポーツでも同じだ。ミスをするのなら練習に練習を重ねミスをなくす。練習をせずして結果はでない。雨の日のサッカーは雨に日にしか練習できないのと同じ。芝居は芝居で磨かれる。人間性は人間と接しているときに磨かれる。

肌で感じる感性

3人の王子様・・・子供の・・・いやこれは親のといったほうが良いかもしれない・・・一時的な見栄や華やかさを求める気持ちも分らなくもないが小学校入って二番目の子が大きくなれば上の子の昔の写真はどこかにいってしもた・・・というようにならないように。小さな子供に芝居の”役”の大切さなどそんな難しいことを理屈で解らせようとしても解るとは思わない。解らせる必要が在るかも解らない。いずれにせよ解らせるには解るだろう言い方と言うタイミング、方法が大切だ。

しかし幼稚園や小学生年代にはそれより大切な事がある。ひょっとしたら中学生年代でも大切だと思うが、いわゆるそういった理屈でない部分・・・つまり”肌で感じる”・・・という感性を磨くことを優先させる時期が必要だということだ。

この時期がなければ成長したときに困る。人間の仕草の微妙なある場面で『この人は今○○○って思ってる。だからこうしてあげよう!』といった気配りとか段取りをつけて物事を上手くまとめるセンスがない人間になってしまう。いわゆる“空気の読めないやつ”になってしまうのだ。社会に出たらこういった“段取り力”の高い人間が結果的にビッグになっていく気がする。

免疫つくり

出来れば王子様は一人でいい。他の配役を感じよう。肌で感じよう・・・悔しさが残るならそれでいいではないか。親が一緒になって落ち込む必要はない。逆に子供を諭してやらなければならない。

逆境というのだろうか?“自分の意思と違うこと”に出くわしたときに“免疫”が無かったのは子供ではなく今時の“親”ではないか?世間で言う“天下り反対”  “グレーゾーン廃止”  “公平に” と唱えてはいるものの一方で先生に王子様役の希望を出し、ついには3人の王子様を実現させてしまう。王子の希望を言う前に空気の読める経験をしたほうが良い。一時の配役に一喜一憂せず子供の成長をなぜ見続けられないのか?自分の希望通りにすべてが思い通りに動くはずはない。時には予想と違う事が起こる。公平に・・・といいすぎると免疫不足になりはしないか?現在の社会がそう言う傾向であるからせめてサッカー部のHPくらいははっきり良い部分と改善したい部分を明記してもいいと私は思っている、・・・逆境への免疫を作るためにも・・・。だからといってはなんだがHPには個人の顔写真までは掲載していない。個人への配慮を考えてはいる。一応私も色々考えてはいるのだ・・・空気が読める人間になるために。

防衛反応2007-02-19

昨年11月22日から全く書いていないこのコラム。さすがに様々な方々に『どうなってるの?やめたん?』って聞かれる。・・・やめてはいない!・・・が答え。言い訳するわけではないが本当に時間と体調が悪く更新パワーが出なかった。体調悪いといっても病気ではない・・・。

昨年末にJFAのナショナルトレセン業務が立て続けに(新C級コーチ養成講習会のメニュー落とし込み、関西トレセンスタッフ研修会の開催、NTC U-12関西の開催etc)あり多忙を極めてしまった。同時に1月20日に行われた兵庫カンファレンス(C級リフレッシュ研修会を兵庫独自のやり方に改編し国体報告を行った)のパワーポイントスライドの作成と映像編集、そして本業の大学の論文作成、細かいことを言えばサッカー部のHP編集・・・と毎日3:00〜4:00ころまで作業をして朝8:00前に出勤、しかも練習のない月曜日は授業があり休む日が無い・・・というサイクルで睡眠不足であわや通勤中に事故仕掛け(片道60km)・・・といった有様。

しかしJFAの仕事も1月31日を持って任期満了で終了、兵庫カンファレンスも終了、おまけに2・4種対象のリフレッシュも終了、そして論文も無事提出・・・やっと忙しさから開放・・・と思いきや今から長野県戸隠高原へスキー実習に向かわなければならない。今これを書いているのが19日の17:00、バスは21:30出発。出発前に一言だけ書いている状態。

だから今回は短く少しだけ・・・。実習中に書き溜めます・・・出来ると思うけど・・・。

電車の車窓から

今日はスキー実習へ出かける日なので電車に乗って大学まで来た。久しぶりの電車だが姫路駅についてすぐ改札に行くためには先頭車両が一番近い。今日は先頭車両で進行方向の線路をずっと見ながら乗ってきた。昔は先頭車両から見る景色は日ごろでは見ることの出来ない線路景色なのでそれを興味深い景色としてとらえ、どちらかといえば“楽しい”という感覚で見ていたものだった。しかし今日は物凄く恐怖心を持って乗り、見てしまった。恐怖心というと電車会社に申し訳ないことなので言ってはいけない言葉なのだろうが昨今の3面記事を賑わせる電車事故ニュースの影響か恐怖心が頭をよぎってしまったのである。

スポーツにマイナス反応?

そもそも恐怖心というのは防衛反応である。怖いから身構え、万が一のために準備をするという反応だ。いわば前進していく反応ではなく身が縮む・身も心も引いてしまう反応だ。

とするなら防衛反応はスポーツにはマイナスにこそなれプラスにはならない反応ではないだろうか?もちろんスポーツ時の怪我や危険に対する反応としては防衛反応は必要なことだ。だが防衛が『怒られるから怒られないように○○をやっておこう!』という防衛になるのなら、いやこんなネガティブな反応になるのならスポーツにマイナスになると考えるのは考えすぎだろうか?

となると指導の現場でのあり方は非常にこのネガティブな防衛反応を排除しなければならないのではないだろうか?ということである。防衛反応なら良いが防衛本能になってしまったら取り返しがつかないのではないだろうか?いつもおどおどして非積極的になる・・・このようなことが無い様、日々サッカーの原点である【楽しくなければならない!】という感覚を忘れないようにしなければならないのではないか。まあ、競技レベルにも寄るのだがそれでも楽しくありたいものだ。楽しくとは練習したことが出来た楽しさや協力し合えて達成できた楽しさと言う意味で・・・。

だから私はコラムを書き続けたい・・・また読んでください。

熱意はすべて2006-11-22

10月20(金)に大阪福島区にある人事院で人事院近畿地区係長研修で講演を行ってきた。ところで人事院というものをご存知だろうか?人事院のパンフレットにはこう書かれている。『行政の担い手である国家公務員を人事面でサポートすることを通じて、国民生活の向上に寄与していく』と。

つまり、人事院は内閣の所轄の下に置かれる、国家公務員の人事管理を担当する中立的な専門機関で、具体的には(1)採用試験の企画・実施(2)給与・勤務時間等の勤務条件の改善(3)勤務条件の具体的決定(4)各府省合同研修等の企画・実施(5)身分保障・懲戒等に関する制度の運営(5)営利企業への再就職審査(7)不利益処分の不服申し立ての審査 などの業務がある。

今回の係長研修は初めて管理職になった“新任係長”に対する研修でありそれらは年5回あるという。そのうちのひとつの研修が今回4日間のスケジュールで行われたのである。その中にはセクシャルハラスメントに関する講義やグループワークなどが施されており私自身も大変興味深いものだった。そして私が担当したものは最終日の講演で、テーマは『組織の充実のために』〜部下職員とのコミュニケーション〜 というものであった。

目標設定

今回の講演は組織の充実というテーマでの話しになったのだがこれは主催者側に言わせれば一般企業界・スポーツ界などいかなるジャンルにおいてもその大小の差はあれ共通したポイントがあるのではないか?それゆえにあえて違うジャンルの人に話を聞くことで何がしかのヒントが得られないか?ということを狙いにしてのことであった。何がしかの組織やグループそれぞれ個々にはその組織なりグループなりの目標を達成(仕事をこなしていく)することは十分な命題であり、大きな成果・結果を産むためには十分な機能を持った組織が必要であるということは皆が共通する望みであるといえる。

私は講演の最初に実はこの当たり前のような“命題”のことから話を進めた。と言うのは目標達成がなぜ必要なの?別に部下職員とコミュニケーションをとらなくてもいいじゃない、別に問題なく物が動けば・・・?と言うところから切り込んだ。そう、機械的にただ仕事をこなしては充実するものもしないし生産性もあがらないと考えたからである。ではもう少し突っ込んでみると次は“なぜ生産性を上げる必要があるのか?”と言う疑問に当たる。生産性があがると言うことは物資両面での量が増加する・・・つまり多くのものが作られる・・・と言う考えがまず浮かぶ。それに基づくならこう考える。どこかしら行政の市民窓口においてしっかり職員が対応していくことで人々が順次手続きを済ませていくことで”希望がかなった人が増えていく“という効果を産む。それと同時にただ単に量(数)が増えると言うことだけでなくそういった”行為“が人々の精神的安定を産むと言ういう意味では心の充実という生産性もありえると思う。

このなんでもない最初の根本をしっかり理解しなくては方法論も工夫も有り得ない。スポーツの世界も同じだ。目標なくしてトレーニングは有り得ない。つまりどんなレベルの仕事、スポーツの競技力であれまず将来目標・最終到達目標をきちっと見据えていないも者には成功は有り得ないと考える。

経験が変える

その後順次話を進めていき、私のつたない選手歴から指導歴における具体的な例を出しながら10の指導哲学を話した。実際研修会に参加した方々にとって参考になったのかどうかは直接参加者と話しをしていないのでわからないが世の中には反面教師という教師もいるので許してもらおうと思っている。

今回、講演をしたというお話をコラムに書いた最大の理由は講演に限らずなんでも“経験というものは人を変えていく”ということを伝えたいからである。以前は講演や講習会を行った際、聴講者の反応もいまひとつでしゃべっている自分でも”うけてないな“”雰囲気悪いな“ということが自ら感じてしまうほどだった。しかし聴講者の反応というものは大きな声で抑揚を付け身振り手振りをいれ相手の目を見て話をすることでずいぶん変わるのである。もちろん慣れや要領(話の組み立て方等)も大切だが大事なことは伝えようとする熱意だ。まだまだ上手くはないがそういった心を通わせる必要性とコツをすこしずつ感じてこられたということが今回の講演会における私のメリットである。

熱意が可能にする

11月11日〜13日においては日本エアロビクスセンター(千葉)で07年度改訂の公認C級コーチ養成講習会のシュミレーション合宿があった。NTCコーチが4月までの間で9地域においてC級インストラクター養成講習会を開催する必要がありその実技・講義の内容のシュミレーションを行ったのである。その場でもやはり同じことを感じ・体験・学習した。NTCコーチたちの前で話しをし会話をし実践するのである。勇気・度胸・テクニック・知識・・・皆必要だ。しかしやはりまず最初に必要なものは熱意だ。

組織を充実させるには目標設定が大切・・・冒頭に書いた事柄。目標を何にするのかそれ自体を決めるのも結局熱意だ。自分の持ちうる少し上の能力を駆使しないと実現できないことやこういう様になればいいなあという具体的な映像を浮かべて目標を設置する。それとてどうでもいいと思う人はもっと低い目標、それどころか目標すらもてなくなるかもしれない。目標を持つこととは熱意があるということだ。熱意があれば実現は可能だ。

自分に出来るかわからない・・・と思われることにどんどんチャレンジをして自らが経験する。すると自分の熱意度もわかり自らを鍛えることが出来る。これから大きな目標を据えている人、前を向いて進んで!

NEVER GIVE UP !

追伸:姫路獨協大学サッカー部ホームページが出来ました。覗いてみてください。&私のブログも作ったので覗いてください。なにか意見を入れてもらえればうれしいです。

国体から今後へ2006-10-10

2006年10月9日(月・祝)に滝川第2高校が高円宮杯全日本ユース大会でついに日本一を成し遂げた。地元のじぎく兵庫国体サッカー少年の部での兵庫チームの3位に続きホットな話題が続いた。

今回ののじぎく国体でのサッカー少年チームは監督を滝川第2高校の黒田先生が勤め、私がヘッドコーチという立場でコンビを組み戦ったのだがさすが日本一を成し遂げるだけあって随所に勉強させられることがあった。

今回はそんな中から国体を振り返ってみる。

3位決定戦後の風景

国体を迎える前のトレセン活動が物を言う

地元で国体開催が決まってどのくらい経つのだろうか?かなり前から対象学年を強化し始めていたような気がする・・・しかも現在の高校3年生を中心に・・・。そう、国体が16歳以下の大会に様変わりをしたのは今回の兵庫国体からであり、我が兵庫県も地元国体のために長期計画での強化を行っていた対象学年は最初、現在の高校3年生・2年生であった。年末に高知へ行き、韓国キャンプにも行き・・・と多くの強化遠征を行ったのだった。

今回の国体メンバーは高校2年生の早生まれ選手が1名、中学3年生が1名、他の14名は高校1年生という構成。彼らを国体の強化対象選手と言う目で観た最初が2005年1月5日のガンバカップ(関西の2府4県の県選抜と大阪の地域選抜代表・J下部組織のチームなどで行う大会。関西トレセン選手選考大会にもなっている)。つまり現高校1年生が中学3年生に進級する前の1月ということになり実質には1年9ヶ月という期間での強化ということになった。こうなると他府県の強化期間とあまり大差がなく、地元国体である優位さ・アドバンテージが皆無に近くなった。

しかし18歳の大会から16歳の大会に代わって開催された今回の国体を経て感じたことの1つに、地元で開催される国体の場合は長期強化計画を立て、ある一定の学年(今回のように地元の国体だから強化する)を強化する、またそのために体協から多額の強化費が補助されるというメリットはあるものの、本当の意味での選手育成としての強化は出来ているのだろうか?・・・と言うことが挙げられる。

つまり地元開催であろうとなかろうと、大切なことは特別な強化策を講じるより日頃からきちっとトレセン活動を行っているかいないかが命運を分けるということである。現に長崎・東京など強豪県が地域予選で敗退している。その府県のトレセン活動状況がどうなのかをしっかりと把握しているわけではないので一概に批判はできないが、どちらかといえばそれらの県の過去の様子を診るに、国体のメンバーは“個人の所属チームで強化”された選手を集めて高校3年生時に1つのチームを作り上げて来たような感じがする。高校3年生にもなればメンタル面も実技面も鍛えられ洗練され傑出した個が成長しており、その時点でセレクトしても十分チームになりえる。しかし高校1年生という段階ではまだまだ色々なパーツが洗練されておらず、個人もチームも形にはなっていない。ということは言い換えれば中学年代やその前の小学校年代からの引継ぎ・追跡指導を行うことの重要性を如実にあらわしているのである。つまり継続されたトレセン活動の成果が現れるということである。

スタッフ紹介・活動の概要

監督:黒田和生(滝川第2高校監督・現兵庫県FA強化部長)、 ヘッドコーチ:昌子力(姫路獨協大学監督・現兵庫県FA技術委員長代行・改革プロジェクト長)、フィジカルコーチ:菊池彰人(ヴィッセル神戸育成スカウト)、アシスタントコーチ:小森康宏(滝川第2高校コーチ)、GKコーチ:山根誠(関西学院高等部監督・前兵庫県FA GKプロジェクト長)、トレーナー:前川慎太郎、主務:藤本憲幸(明石養護学校・前兵庫県FA3種技術委員長)、副務:前田信利(吉川中学校監督・現兵庫県FA3種技術部長)という顔ぶれで構成されたスタッフで国体を戦った。

2005年4月1日〜2日に姫路獨協大学で行った強化合宿を皮切りに33回の合宿を行った。宿泊延べ日数で言うと54泊。練習は2週に1回、火曜日の17:30、王子競技場を主会場に行った。1年は57週ある、1年9ヶ月となると約90週になる。ここから単純に計算してみると、90近くある土日のうち54回分の土日は宿泊を伴っての強化合宿をしたことになり、加えて90週のうち2週に1回は練習をしたとしたら45回の練習を行ったことになる。トータルすると99回(約100回)の活動を行ったという計算になる。1年9ヶ月≒635日だから100回の活動とすると6.3日に一回国体のトレーニングを行っていたことになる。つまり毎週練習をしていたと同じような回数になっている。

試合前、宿舎でのミーティング風景

実際には藤本先生はほぼ皆勤に近いものの、私を含め他のスタッフはトレーニング・ゲームに行けない日がいくつかあった。自チームのトレーニングは当然のことながら毎日・毎土日行っているので、私も朝姫路に行って自チームのトレーニングをしてから国体チームに合流することが多かった。こういった状況になると特定のスタッフにしわ寄せが行くので申し訳ない思いが募る。大会前も9月26日から事前合宿を張り、3位決定戦のあった5日までグリーンピア三木に泊り込んだ。加えて自分個人としては9月29日・30日と1泊の予定でJヴィレッジに飛び、公認B級コーチ養成講習会後期のシュミレーション合宿に参加し、再度国体に合流するというハードなスケジュールもあった。

ナショナルトレセンコーチの仕事のひとつ

そのシュミレーション合宿というものはB級コーチ養成講習会の後期に行う実技や講義の内容をナショナルコーチ・インストラクターが集まり実際にシュミレートして確定していくものである。今回、後期講習会に予定されている実技の“クロスに対する守備”というテーマが私には与えられ、私がそれについてトレーニングメニューを考え事前に事務局に提出、当日トレセンコーチ・インストラクターの前で40分強ほどの指導を実際にやってみるのである。その行った実技内容に対して講習会で採用するにはオーガナイズが良いとか変えたほうが良いとかを「あーでもないこーでもない・・・!」と喧々諤々話し合い講習会の実技としてふさわしい内容のものに作り上げていくのである。はっきり行ってJFA技術委員長やトレセンチーフ・指導者養成チーフ等々大勢の中で長時間指導の実践を行うのは気が休まるものではない。しかし自分のメニューが採用されたり(実際全部採用になった・・・笑)すると自信になりうれしいものだ、この年になっても・・・。終わって飛行機で速攻帰り、家に寄ることもなく宿舎へ・・・。家もだが職場に席があるのだろうか・・・?心配だ。

チームコンセプト

国体チームのコンセプトは『単独チームのように!!』である。選抜のメリットはいくつかあるもののトレーニング回数が少ない分、積極的なコミュニケーションをとらないと意思疎通がおろそかになる。それでなくて練習回数が少ない選抜、ましてやリーダーシップを採る・チームを引っ張る・・・と言う選手はなかなか出てこないものである。

数々の選考会・練習会をこなし夏休み期間はおおよそ23人の選手で行動をした。23人で活動をすればするほど最終16人に絞ることがつらくなる。実際に8月末の韓国キャンプは最終選考キャンプとなり、国体エントリー16名の発表を現地で行った。帰りの飛行機の中は明暗くっきり。選漏れしたものは大粒の涙。残ったものは慰めの言葉を掛けつらい・・・。しかしそれも勝負の世界。我々は選漏れの選手にしばしエネルギーを使った。

9月に入り最初の火曜日の練習、不思議と食いつきがよい。選手はどこかに『落選したらどうしよう』『まだ16名に入ってないのに偉そうに物言ったらアカン』とでも今まで思っていたのだろうか?呪縛が解けたようにトレーニングにおいて積極的に声が出て活気が漲っていた。

国体チームつくりのトレーニング

韓国キャンプでは戦術面で『守備におけるチームとしての約束事の意思統一を図る』ことを最大のテーマにし、数々のシュミレートを行った。2トップのマークの受け渡し、センターバック2人同士の受け渡し、センターバックとサイドバックの受け渡し、相手サイドハーフに対するマークのつき方、自チームのサイドハーフのマークポジション、フォワードのボールの追い込み方etc・・・。本番できちっと出来たかどうかは評価するなら60点くらいの出来と考える。結果、相手のミスに助けられた場面がかなりあったから。

攻撃においては個の技量を前面に押し出しことをベースとし、そこからいかなる攻撃パターンに入ろうと必ず付いて回る必要条件の精度アップを攻撃トレーニングの柱とした。つまり『動き出す速さ』であり『やり通す強さ』、『肉体・メンタル両方における粘り強さ』、『スキル精度』などである。これらがアップしたところに個の技量を載せていけば勝算ありと考えた。

試合前のロッカールームのホワイトボード

実際の現場で

岩手・静岡戦において選手は良く頑張り一定の成果を出せたと思っている。しかし、準決勝の千葉戦は完敗だった。戦術面・スキル面を含めメンタリティーも劣っていた。しかし何よりも決定的に兵庫の選手においてレベルが低いと感じたのはベスト4に入って満足している点である。選手もスタッフもある種の達成感を感じてしまっているのである。もちろんPKであろうと静岡に勝った事は大きな出来事で簡単に成せる事ではないとも思っている。実際に6:4で優勢だったとの評価も聞いている。その分喜びも倍増するのはわかる。しかし、現実は1-5。大阪選抜は千葉に優勢試合を行いながら0-1の敗戦。くじ運が違えば大阪が優勝していたかもしれない。準決勝の前に選手の目を覚まさせるショックを与えなければならなかったのである。

準決勝戦後、3位決定戦を翌日に控えた4日の夜、当然のように私は吠えた。本当に勝つ気があるのか?何が今一番必要なのか?そして今の自分たちはどういう状態なのか?そしてはっきり今のままでよいのか悪いのか?YesかNoを言ってやる必要があった。累積でひとり、一発退場で二人が3位決定戦に出られない状態の中、本当にしなければならないことをはっきりさせる必要があった。終盤、3点を取られ一時は冷や冷やしたものの結果4-3で勝利し、開催県の最低得点稼ぎは果たせた?と思っている。

勝てないことに慣れっ子になっていないか?

私は何が言いたいかというとベスト4に入っても浮かれない、決勝進出・優勝するのが目標・・・そういってのける土壌が兵庫・神戸に欲しい。王国復活とは名ばかりで選手・指導者両方にあらゆる手を尽くしてでも勝つための最大限の努力をしているか・・・を問いたい。あらゆる手というのは試合中、質を伴わずに手段を選ばずに何が何でも勝つということではない。むしろ質を伴って勝たなければならない。試合前の準備や環境整備・・・ハード面もソフト面も両方の周到な準備をして勝利を勝ち取るということである。

ベスト4で達成感を感じているということは如何に全国レベルでベスト4に入ることがないか?ベスト4に入ってもいつも準決勝で負けているか?を如実にあらわしているのである。選手は毎年入れ替わり新陳代謝していく。しかしスタッフはある程度継続して指導を行っている。自分の指導チームが全国大会に出場することがないのならせめてチームを連れて行けないにしても自身個人が全国大会の様子・雰囲気を肌で感じに視察に行くくらい本気なって全国を戦わなければ県選抜(市選抜)は強くはならない。戦うということは指導の現場のトレーニングメニューだけでなくチームを運営することである。ハード面・ソフト面の準備(何が必要でそれを誰がどのように準備しどうやって選手に伝えるか)が勝つという目標を達成するのに必要だということ自体を体感しなければならない。こういうとまた違った意味でとられかねないが・・・要は本気なら視察に行くくらいの気がないと兵庫を変えられないということである。

準備

今回の国体チームのスタッフはメンタル・戦術のソフト面担当と食事・間食・宿舎周り等のハード担当の役割を前もって決め、きめ細かく動いた。そして兵庫FA技術スタッフの力も結集し、対戦相手と自チームのビデオ撮影を行った。そういった組織の力の終結が3位という結果をもたらしたと思っている。そして毎試合終了後、私と菊池コーチとで、自チームと対戦チームの映像を全部見直し、相手の攻撃の特徴と守備の弱点を編集した。その映像を使って試合当日午前中のミーティングで相手チームの対策を立て伝えた。加えて毎試合宿舎出発時と会場でのウォーミングアップ出発時にモチベーションビデオ(過去の映像や苦しいトレーニング風景・試合の良い場面を8分の映像にまとめ音響効果をつけたビデオ映像)を見せテンションをあげた。だから私はいつもプロジェクターとスピーカーを持って歩いていた。

分析ビデオでのミーティング

テクニカルレポート

今回の国体においては2種・3種の技術スタッフのパワーを結集し、かなり多くの試合をビデオに収めた。年末から年明けにかけて分析ビデオ・レポートを作成する予定である。兵庫県サッカー協会技術委員会も神戸市サッカー協会技術委員会もテクニカルDVDを発行する予定にしている。兵庫県サッカー協会の技術委員長代行(2007年度から委員長就任予定)と神戸市サッカー協会技術委員長を兼ねる私の2006年度は映像三昧。ちなみに県も市もテクニカルスタディグループ(2種・3種技術委員から推挙)を編成し分析に当たっている。

今後のアベレージ

最後にこれを伝えなければならない。今回の3位に対しては良いという意見と悪いという意見両方あるだろう。しかし3位になれたことは国体スタッフが国体に向けて頑張ったのではなく、先にも触れたが兵庫県トレセンシステムに関与したスタッフ、13都市協会のトレセンスタッフ、協会内の組織運営スタッフ、保護者、サッカーファン(国体期間応援に来てくれた日とあまりに多くて驚きと感謝)すべての力の結集である。特にトレセンに携わったスタッフの地道な努力がU-16化に即対応できる結果を生んだのである。長崎・東京に出来ないものが兵庫にはあったのである。

そしてこれから県トレセンシステムはベスト4では満足してはいけないということを合言葉に日々のトレーニングの質と環境を上げていかなければならない。それでなければ1996年〜2006年にかけて行った兵庫県サッカー協会技術委員会強化10年計画の継続・発展にはならないのである・・・・国体で3位になってしまったのだから・・・。

クラブの伝統2006-09-13

少し充電期間を・・・。

気がついたらもう9月・・・この間に色々な事があった。

前期授業が始まって終わって・・・学生サッカー春季リーグが始まって終わって・・・ドイツワールドカップが始まって終わって・・そして夏休み突入・・・。夏休み期間中には天皇杯県予選・各種フェスティバルと続き、平行して国体のチーム強化・関西トレセン行事・JFAの仕事・・・。あっという間の6ヶ月・・・。

多くないとは思うがこのコラムを読んでいただいている方々がいるとしたらたいへん長らくお待たせ。この間、ネタを仕込みたくさんの話題を提供・・・と行きたいのだがどうもゆっくり机の前に座れない。優勝至上命令を言い渡された国体本番が目前に迫るという状況の中、同時並行で始まる後期授業の準備がいまだ出来ずにいる。『こころコラムにあらず・・・』ではいけないと思いつつも今は大学のマリンスポーツ実習で徳島の海と格闘。雨・強風の悪天候の中、海に向かって船をこぐ・・・どうも心、ここにあらず・・・何もかもが中途半端になってはいけないと思いつつ目の前のことに集中。すると夜はぐったり。ぐっすり寝るとコラムが書けず・・・と行きたいのだがこれまた睡眠が中途半端。   
結局、得意の愚痴か・・・・。

少し古いが春季リーグのひとコマから。

4回生・・・

関西学生春季サッカーリーグが4月〜5月上旬にかけて行われ、我が大学は2部Aリーグにて準優勝を勝ち取り、1部8位関西学院大学との入替戦に挑むチームを決める代表決定戦に進出。Bリーグ2位の関西外国語大学と対戦した。ゲームプラン通りに進む部分とそうでない部分が理由も含めはっきりわかる試合を展開。2-2から延長戦を戦うも決着はPK戦へともつれ込んだ。結局4-2で敗戦を喫し入替戦に進出できなかった。初めて4学年揃った2006年がスタートし念願の1部昇格は秋季リーグに持ち越された。同時に私が就任した獨協大学サッカー部を一緒に押し上げてくれた4回生に1部での試合経験をさせてやれないことも決定。悔しさ倍増・・・後悔が多くなったリーグだった。

精神的ダメージのあるミスは同じミスでも絶対にしてはいけない

関西学生リーグ2部Aブロック2位 vs Bブロック2位との戦い、つまり全体の3・4位決定戦となるのだがそこで勝てば1部8位(10位は自動降格、9位は2部総合2位と入れ替え戦)との入れ替え戦に進出できる。負ければ総合4位で2部残留となる。我々は結果4位となり関西学院大学との入れ替え戦に進出できなかった。まあ、結果的なことは別にせよここでも教訓を得た。

後半15分過ぎから相手がトーンダウンしてくるというスカウティング情報によりそこまでは我慢、60分からが勝負・・・つまり前半は0-0でOKと戦い方を指示。しかしながら前半中頃に先制点を許してしまう。何とか前半終了間際に追いつき、ドローのままハーフタイム。ハーフタイムでは再度戦い方を確認。ポゼッションは6:4から7:3で上回りだし、攻勢をかけようとした後半15分過ぎ、カウンターで失点を喫す。こういうところにまだまだ甘さが見られ弱いチームの典型である。やはり2部に甘んじるチームの弱さだ。

バレーボール日本代表女子の試合をTVでよく見かけるが、なぜ全日本女子がベスト6以上いけないのか・・・?もちろんスキル・体格・戦術など課題はあろうがいつも気になるのが、ナイススパイクを決めた後のサーブである。かなりの確立でミスをしている。ただ相手に拾われたではない。サーブミスをするのである。ネットに掛けたり、ラインアウトをしたりするのである。せっかく得点をしても1本のサーブミスで1得点が1失点になり、結果同じことになってしまう。加えてゲームの流れという側面から見ても精神的ダメージの残る“ミス”になってしまう。考えてみよう、「さあ、いくぞ!!」というときにガックリである。「せめてコートに入れておけよ!」という話である。こういう現実が起こったらプロの世界では簡単である。ミスを重ねる選手は試合の機会を失う・・・ただそれだけである。日本女子バレー界は人材がいるのかいないのかわからないが、叱咤激励しながら監督は使い続ける・・・復活するのを信じて。
まあそれもスポーツの良いところであるのだ。

バランス感覚

春の我々のチームも同じ状況だった。プレー面で失敗してもその選手自身の経験になったり今後のチームつくりに影響を及ぼしてくれるだろうと思えばこそ、その選手を試合に使うのであって誰でも何でも試合に使うわけではない。そこにはそれ相当にその選手が努力をしたという“跡”が見えたり、実際に試合で“結果”を残していったりしていればの話である。それでやっと“試合に出る”というチャンスを掴んだというのであってそこから先はまた別問題である。結果を残すことが大切であり、残らないにしても期待を抱かせるパフォーマンスは見せたとか“結果”や“期待”は無いが間接的にチームに好影響を与えてくれた・・・などという部分がポイントになり次節のメンバー選考の土台となっていくのである。いくら良いスパイクを決めてもダメージの大きいサーブミスをしていては問題外である。一回ならまだしも何回もとなれば“いわんやサーブミスおや”である。

我々のチームでは試合に使って欲しいと“努力”を見せる選手がいる以上、試合出場組の試合時におけるミスに対してはシビアに行きたい。時節のチャンスは無し・・・と考えたい。ただ、今節に試合に出場できなかった選手のほうに努力・好影響・ポジティブといったレディネス要素があるというのが前提である。

ミスした選手を使い続けてプレーを修正し努力は報われると精神論を問いていくのも大切、しかしその一方で「努力しているのにちっとも報われない。」という選手が増えていくとするなら、良くないチーム運営の状態といえる。指導者はそこの当たりのバランスを良く見て、よく自分で感じ、良き反応を示す・・・ことがチームを動かす必須条件である。こういった意味では指導者は最大公約数を割り出す能力、バランス感覚に秀でていなければならない。

人間力

ゲームに戻ろう。もう1つ大きな話題が残されている。

1-2にされた後、後半もすでにロスタイム。そこで奇跡的にCKからの同点弾。延長へと持ち込んだ。春季リーグでは非常に粘り強いゲームを展開することが出来ていた。0-2を後半で3-2にした大阪教育大学(前季は1部在籍)戦、0-0で終わりそうな試合をPKで1-0勝利した神戸国際大学戦、一人少なく押されながらも0-0で逃げ切った大阪商業大学戦等々。

同点に追いついた我々が俄然活気付くのはおおよそ想像が付くところ。イケイケの勢いで攻めるも跡一歩ゴールに届かない。そして勝負はPK戦へと持ち越された。延長戦終了の笛が鳴ると選手達はベンチ前に戻ってきた。私は誰にPKを蹴らそうかと選手の様子をじっと見ていた・・・一人ひとりの顔を見ながら。下を向くもの、気合の声を(ある種奇声ともいえる)あげて戻ってくるもの・・・様々である。4回生には蹴らせたい、4回生に1部の経験をさせるには・・・とあれこれ考えて順番を決めた。そして伝えようとしたとき「あー 足がもうアカン!」といったようなネガティブな発言が耳に入った。私は今この瞬間・このときがいかに大事な場面であることかは重々承知していた。勝つか負けるか本当に大きな局面が目の前にありあることは百も承知。誰もが「キッカーがミスをしないように縁起でもない事は言わないように・・・」と気を使うような場面であることも理解していた。しかしここは今後のチームつくりにおける悪い凡例になってはいけないと、選手全員に試合の状況をそっちのけで、そのセリフに関することを叱った。人間そんなに強くない。時には弱気が出るだろう。しかし時には人のために自分を奮い立たせ演技をしてでも力を貸すときがある。反対に借りるときもある。窮地に陥ったときこそ“人間力”が出るのだと。その私の考えには全くもって逆の行動であったのである。PKの緊張した場面を目前にまさか監督から精神論のお説教が出るとは・・・。選手が萎縮したのか考え込んだのかはたまたやる気を無くしたのか結果2-4で敗れた。悔しく、後悔もしかけたが、結果私は説教したことを後悔していない。もっと大切なことを伝えられた気がするから。

しかし何が許せないかといえば、そのとき私が選んだ選手は結局蹴らなかった・・・。5番手がはずしたら負けるという場面で1回生が出てきた。はずして負け、それを許す上級生にも腹が立つ。このコラムを我が部員が見たとしたなら、ポジティブになれといいたい。これを見てぶつくさ言うのなら、単なるわがままサッカープレーヤーでしかない。

トレーニングのリアリティ

今回話をしたい本当のことは、誰がPKをはずしたとか入れたとかではない。サッカーに限ったことではないだろうが、窮地に立たされたときや決断を迫られたとき、あるいは逆境に出くわしたときに、人は本当の自分の姿が現れるということ。そしてそれらを克服し真の強い人間になるためにはそういった場面に出くわさなければ克服のトレーニングが出来ないということである。雨の日のサッカーは卓上では出来ない。雨が降ったピッチの上でしかトレーニングできないのと同じである。言い換えれば指導者も選手も並大抵のトレーニングでは克服できないということにもなる。そのリアリティを再現できたときに初めてそういった状況トレーニングができるのであるから・・・。

追い込むトレーニング・・・絶対必要である。警察官採用時の面接は通称“圧迫面接”といわれ面接官が受験者を怒鳴り迫り、大きな声で脅かしびびらせるのである。そのときにシドロモドロになったり、たじろいでしまったらその時点で不合格になるとさえ言われている。日本の平和と安全を守るためには六法も大切だが、勇気とハートが必要なのである。その公務員警察官試験に合格させるためには、リアリティのある面接トレーニングが必要なのである。我が大学ではそういった模擬面接のスペシャリストがいる。

面接試験に関しては行えることがサッカーの場面ではトレーニングできない・・・悔しい話である。

そしてもう1つ大切なこと、それは意図してなのかしなくて偶然なのかは定かではないが、幸いなことにそういったリアルな経験をした選手は当然強くなっていなければならないし、他の未経験の選手を育て上げていくべく経験談・経験地を共有していかなくてはならない。そしてそれがクラブの伝統になりクラブのIDENTITY(固有性・独自性)になるのである。悔しい対戦、上位進出に王手を掛けた時代から飛躍の時代・・・これから様々な歴史が今後刻まれていくのである。それらすべてがクラブの伝統になっていかなければならないのである。

次回はリーグを終えた後のころに感じたお話を・・・。

ちなみに・・・ 姫路獨協大学サッカー部のホームページを開設。まだ私が1人で書き込んでいる状態なので工事中のページが多いのだがよければ覗いていただけたらと思います。

言い回しの妙2006-04-16

春季リーグを戦っている最中の昌子から皆さんに・・・。

4月15日と16日、関西学生サッカー2部春季リーグ第3戦・4戦が連続して行われた。それまで2勝していた我々は第3戦で昨年秋季リーグで敗戦した神戸国際大学と対戦し1-0で勝利。翌16日今日、昨秋1部に在籍していた大阪教育大学に3-2と逆転勝ちした。前半0-2のビハインドを大逆転、3点をもぎ取り勝利した。しかも3点目は終了間際のコーナーキックを押し込んでのもので得点後に試合終了という劇的な試合だった。現在4戦4勝。

その勝った様子をドキュメントするつもりは無いがこの試合中に感じた監督業の面白さを・・・。

指導をしている者いつかは“監督”になりたいと思うはずだ。なにせ監督は自由にスタッフを集めることができ、思った通りのことをする権限が与えられているから。しかし責任を負いながらではあるが・・・。

魔法の言葉は無い

『試合は立ち上がりが大切』いつものセリフをいつものように何度も告げて試合はスタート。だが開始2分で失点、前半0-1でもしょうがないと思いきや42分にまたもや失点。0-1でも苦しいのに終了間際にまたもや失点とは・・・。ハーフタイムに帰ってくる選手には元気が無い。なんて言葉をかけようか?

実は私の今までの指導人生の中で前半終わってハーフタイムに少々褒め言葉を出した試合は間違いなく後半不甲斐無い試合をしてきている。“褒めたら碌なことは無い”・・・これが私の経験知だ。後半になってガラッとチームの様相が変わる・・・我がチームの試合を見ていた人たちの感想でよく聞く言葉。毎試合のように後半そうなるわけではないが結果的に後半勝負が決まる。後半盛り返すにはどんな話をしたら良いかという自問自答の中に自分自身の“後半への予測”、“チームに対する思惑・希望”がリンクする。誰しもそうだろう、このままでよいとは思わないはずだ。だから色々な話をする。しかし『こう言えば後半良くなる』という魔法の言葉は無い。その分いつも言葉の選択には注意深くなり思慮深くなる。

言い回しの妙

以前から“外国人”のコメントに興味を抱いていた。ブラックジョーク然り、切り返すジョーク然り。いつも上手い言い回しに驚く。誰が何について話をしていたか・・・ということではなく、どこかでふと耳にする言葉の言い回しの妙に驚きを覚える。少々皮肉を交えたり例え話を使ったりの言い回しに・・・。昨今ジェフのオシム監督の言葉を綴った本が出版されているが、その言葉にも同じ思いを寄せる。なんと言い回し、比喩が上手いのか・・・と。

例えばオシム監督の言葉を借りるなら

■2005年8月6日 磐田戦後の監督会見より
(記者会見を終えて)
もう質問がないということは、皆さん、試合に満足していただいているということですね。
(さらに去り際に)
このように質問が少ないときは、いい試合か最悪の試合ということです(笑)。

■2005年5月10日 サッカーダイジェストNo.783 イビチャ・オシム攻めの美学 その真髄より
すべての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないサッカーを彼らは選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないでしょうね。

■2005年4月28日 G大阪戦終了後の監督会見にて(質問に対するコメントの中から)
攻撃というものは、攻めやすいところから攻めるもの。それは見ていればわかるだろう。

■2003年4月12日 0-3で敗れたヴィッセル神戸戦の監督会見で
今日唯一良かったことは、最低のプレーをした選手が全員だったということだ。

■2003年10月18日 仙台戦後の会見にて、2得点した佐藤の評価を聞かれ
2点をとったのは佐藤でも勇人でもなく、ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。

といったように。

一本芯を通す

私は良く使う言葉がある。『雨の日のサッカーは雨の日にしか練習できない』。今日の試合でまさに同じような言葉が浮かんだ。発展途上のチーム・選手を抱えている今の現状で、自分の目指すものは何なのか?この指導コンセプト・基盤が呆けていたら私の話は続かないし指導方針がまとまらない。“今このとき(2006年春季リーグ)に結果を出したい”、いやいや“将来にわたっての生涯スポーツサッカーの基盤を作りたい”、または“競技スポーツとしての優秀な選手を育てたい”・・・等々目指すものは色々在る。どれも達成したいものなのだが私の中には『個を育てて勝つ』という目標が離れない。個が育てばチームも育つ・・・と信じている。仮に今日の試合を落としても個は育つとするなら勝てばもっと育つのだ。そう思った瞬間、私の頭に出てきたことは『次につながる試合をすることが後半しなければならない最重要課題なのだ』ということであった。そう順序が成り立つと出てくる言葉は自然と決まってくる。『0-2のビハインドをひっくり返す練習はビハインドのときにしかできないのだ』・・・と

空気を読み空気を発する

私の言葉が功を奏したのか・・・それはわからない。私だけではない。我がチームにはすばらしいコーチがいてGKコーチがいてトレーナーがいてマネージャーがいる。皆が力を合わせている。ただ大切なのは選手だ。主役は選手なのだ。だからこそ育てるために選手やチームの“気分”を重くしたり軽くしたり、はたまた選手のやるべきことを明確にしたり時にはぼかしたり・・・と色々と“言葉”を操る。そうすることで知恵がつき考える力がつく。そして何よりも空気を読む力がつく。選手が回りに敏感になり空気を読む、そしてそれはやがて何がしかの空気を“発する”能力へと変わる。目は口ほどにものを言う・・・ではないが体がメッセージになるのだ。すなわち指導者は空気を読ませるためにいろいろと状況を作り出す必要がある。演技をしてでも・・・である。 私が喜怒哀楽を表に出すようになったのはそのためである・・・ということで私の喜怒哀楽がもたらしたことで迷惑かけた人々にここで謝っておこう。

上海で考え新たにした基本2006-04-14

上海キャンプにおけるテクニカル

超久々のコラム・・・。いろいろな人に『何してんねん?はよかかんかいな!』と言われた。
あまりこのコラムにアクセスしている人がいないと思いサボっていた。というか、実は今までに無いくらい多忙の日々。思い起こせば4年前の大学勤務する前の3ヶ月、仕事をしていない時にどれだけ時間のあったことか・・・忙しいことがどれだけ幸せなことか・・・その時期があったからこそ今『出来ることはやろう』『忙しくても役に立てるなら引き受けよう』という思いに駆られる。
『忙しい』と思ってその時その瞬間を過ごすのだがそのあとにもっと多忙な日々が来る。そんな経験ないだろうか?結局前に感じていた”忙しさ“と言うものは本当の”忙しい“ではなかったのである。時間は作ろうと思えば作れるのだ・・・と思っている。でもこうもコラムを書いていないという事実はいけませんな。

過日3月26日から神戸市サッカー協会技術委員長として2005年度神戸市U-12選抜チーム上海遠征団長を仰せつかり帯同してきた。帰国後に作成する報告書の冒頭に“団長としての感想”を掲載したのだがその内容をぜひ各少年チームの指導者にも読んでいただきたくここに現地で感じたテクニカルの部分を少し・・・。

相手が良かった

私の今回の目的は
(1)定期交流を続けていく上海サッカー協会の役員との面通し
(2)将来の女子選抜チーム上海遠征へ向けての情報収集
(3)現在の神戸市U-12のレベル把握と今後の課題抽出
(4)2006年度以降の神戸市サッカー協会技術委員会進歩的方向性(指導者のあり方、コーチングの内容)の分析
であった。
(1)、(2)は事務的作業としての内容であるので割愛するとして(3)(4)について・・・。

今回対戦したチームは上海申花(しゃんはいしんか)と言うプロの下部組織チームや地域のクラブチームとの対戦であったが、どのチームもしっかりパスをつないでDFの間にパスを通して、DFの裏を狙い、ゴール前できちんとチャンスを作ろうとするサッカーを展開していた。いうなれば偶然的性ではなく必然性を持って、取るべくして点を取ろうと言うサッカーである。目指すサッカーがありその実現のために個人技術や個人戦術を発揮する・・・良いチームである。これはこの年代においては絶対必要な方向性といえ、我々としては神戸のこの世代の子供たちに対戦させるには非常によいチームだと感じ、願っても無い対戦相手であった。速さオンリーで試合を進めるのでもなく、パワーオンリーで試合を決めようとすることもなく…である。

ボールを失う事そのものが良くないことだがせめて・・・

神戸市選抜の選手たちは相手の体格(おそらく1歳年齢上の選手もいたようにおもう)にてこずりながらも1対1で負けまいとボールをキープしパスをつないで攻めていこうという姿勢を見せた。これは神戸の少年サッカー界としては非常に良い事と評価できる。何をおいてもまず最初に必要なことは相手の選手がいかなる選手であっても怯まず向かっていくと言う姿勢であるからである。しかし、実際にはパスがなかなかつながらず相手ゴールまで迫っていけなかった。パスが3本とつながることがない。繋げばよいというわけではないが如何せんボールの失い方も悪い。さあ攻めようというとき、味方が押し上げかけたときにボールを失う・・・カウンター攻撃してくださいと言わんばかりである。加えてどうも味方のサポートが悪い。サポートが遅いこともそうだが、動く方向が曖昧であり加えて動き出しが遅い。またサポートをしようとしている選手が1〜2人と非常に少ないことも気になった。昨年のチームもそうだったがチームとしてボールの失い方が悪い。ボールを失うことに良いも悪いも無く、失うことそのものはどっちにせよ良くないのだがせめて前向きにトライをした場面でのミスをしてほしい。すなわち“勇気”なのだ。そしてそれを許す環境なのだ。

サポート 一考

ポゼッション率を上げていくにはサポートが必要である。しかしサポートと言うのは何も早く走ることではない。もちろん早く走ればそれなりにサポートは有効になり、ボールポゼッション率は上がっていくだろう。しかし“速さ”というのは『ヨーイ ドン!』で走ること以外にもある。50分のゲームを支配するためにやたらと走ってもスタミナが持たない。つまりサッカーに大切なことは動くタイミングや方向、距離が大切だということだ。速さという部分では相手より早くスタートを切ればよいのである。サッカーには“フライング”が許されているのである。何もご丁寧に相手に合わせてスタートを切らなくて良いのである。方向・距離という点では相手の手の届かないところへ・・・である。そのためには相手選手の動きを良く見ておかなければならない。

高校年代に向けては個人の持っているこういった資質を“より強く”“より早く”できるように鍛えていくことが必須条件なのだがその年代になるまでにこういった『タイミング』や『方向』『距離』といった概念・感覚を身につけておかなければならない。解決方法が『根性』とか『頑張り』では将来が心配になる。6年生ともなれば出来ていかなければならない。そういう意味で現在の神戸市6年生のレベルとしての課題といえよう。

指導者の必須条件

そういったことから思うことは選抜指導者の質を向上させることは大切なことなのだが各選手の所属チームにおける日々の指導というものも見つめ直す必要があると思われる。いつの時代のどの年代の選手であっても指導者として選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない。それが何で、それらをどう実践するかと言うことは常に指導者の中に理解されておかねばならないし、もっと言うなら指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件と捉えるべきである。自分の目の前にいる選手は今何が出来なくて何が出来るのかを分析し、言葉に表す。わかりやすく理解しやすい言葉で・・・。そしてそれらを解決するオーガナイズを考え、選手に実践する。こういったサイクルをぜひ構築する必要性を訴えたい。そうでなければ選手が一生に一度しかない少年期を“普通”に過ごしてしまう。そういう意味で神戸市の課題として発見できたということはある意味収穫である。『雨の日用のサッカーは雨の日にしか練習できない』のと同じで神戸の子供たちの様相が映し出せる世界にいくことで発見できたのである。今後これらを如何に落とし込むかである。

要は絶対的自信

しかしここでもう一度考えてみる。なぜパス、ポゼッションなのか?パスするより個人で突破・打開することのほうが肝心ではないか?パスの前にするべきこと・・・がある。ボールを失わない絶対的スキル。ボールを失うことなく少なくとも一人で一人は突破できる力・・・これが絶対的な自信となって相手が寄ってきても平気でプレーでき、ボールを失わない。そう、結局ポゼッションするにせよパスするにせよドリブルするにせよ個人の技量が“やれるサッカー”を変えるのである。 結局ポゼッションの能書きを“あ〜でもないこ〜でもない”といっても物を言うのは個人スキル・・・しかもボールを失わないスキルではないかと思ってしまう。スキルと突破、スキルとポゼッション・・・切っても切れないペア物なのだ。『指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件』『選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない』というのはこのことなのかもしれない。絶対的自信の裏づけになる技術の習得・・・。

2006年への思い[年末から年始にかけての出来事ダイジェストPart II]2006-01-02

久々の年末行事

昨年末12月22日から26日まで滋賀・ビックレイク(新しく出来た人工芝2面・天然芝1面を備えたサッカー施設)でナショナルトレセンU-12関西が行われナショナルトレセンコーチとして参加。2府4県から選抜され集まった小学6年生80人を20人づつ4組に分け4日間にかけてトレーニングや試合を行うもの。優秀な選手は来年に向けてJFAエリートプログラムによってトレーニングを施される対象選手になっていく。26日13:00頃ナショナルトレセンが終了したその足で千葉・姉ヶ崎まで行った。2006年兵庫国体少年の部チームの強化キャンプに合流するためである。終了が29日となりバスで帰神。21時頃に三ノ宮に着いた。久しぶりの年末遠征であった。最近、大学生を指導していると遠方へ出かけることが減った。本当はこの時期インカレがあるはずだが・・・。まあそれは置いておいて・・・。

久々の子供との再会

三ノ宮に着くとファミリーが迎えに来てくれていた。私は家内と娘・息子の三人が「おかえり〜」と出迎えてくることを想像しワクワク!なぜなら息子には2週に1回くらいしか会う事がなく、この年末頃は1ヶ月以上会っていなかったため私のところへ飛び込んでくる姿を想像していたのである。しかし迎えに来てくれたのは家内と娘。ひとり足らなかった。まあ、中3になる娘がわざわざ迎えに来てくれること自体「いいじゃないですか娘さんが来てくれるなんて。うちなんか息子どころか娘も来てくれませんよ」と聞こえてきそう。「うちなんか家内も来てくれないですよ。しかもどこかへ行っていて家にいないですから・・・」といわれたら全く持って贅沢な話。

その後帰宅すると中1になる息子は家にいた。久しぶりの対面である。何かしら恥ずかしいような嬉しいような・・・のは私の方で、子供は「お帰り」と言うくらいのリアクション。少し拍子抜け。なにやら聞けば1月5日には登校日と言うものがあって4日にはまた大阪に帰るという。忙しい息子だ。しかし本人は私に言わないだけなのかべつに早々と実家を離れることにあまり抵抗がない様子。子離れしていないのは親のほうだろうか???しかし2〜3日も一緒にいるともう大変。うるさいしちょっと目を離せば近くに住む小学校時代の友達と遊びにいくわですぐ家からいなくいなる。まあ懐かしい友達と顔を合わせたくなる気持ちも分らないではない。しかし、勉強せんかい〜!と言う感じだ。サッカーばかりするのも考えものなのだが・・・。

思い出せない昔

しかし、親子・家族と言うものは不思議なもので離れていてもすぐ生活のリズムが戻り以前を取り戻すという性質がある一方で、以前の“姿”は取り戻すことは出来ない。人間成長・年を取るという輪廻があるからだ。私は幼稚園や小学校低学年時代の我が子二人をなかなか思い出せないでいる。もっと以前にあった出来事・・・《耳をふさぎながら手ぬぐいを腕にかけ沐浴させたな・・・》と言うことは覚えているのだが。こんな話をしたら家内に一言「家におらへんからでしょ」と。家にはいた。遠征や合宿・長期の研修等家にいないことは確かに多かったし、私がいない分家内が良く二人を色々なところに連れても行った。私が知らない鳥取砂丘のスナップ写真があったりもする。しかし私は家にはいた。

最近、学生を指導しているとふと思う。今は協会の仕事をしているからそれなりに遠征・合宿があるが、それが無かったらずいぶん時間があるような気がすると。以前をふとふりかえると春休みや夏・冬の長期休みには家にいない日が多かった。夏休みは40日分の30日は家で寝ないし春休みは多数の学年を入れ替わりで合宿させ、加えて海外キャンプにも行ったりした。娘が3月21日、家内が4月5日というなんとも皮肉な日付の誕生日に私は家にいた試しがない。なんと家族不幸な親父。いや親父不幸な誕生日の家族・・・。

亭主元気でも留守ではまずい・・・?

しかし、サッカーの指導者なんてそんなもの。私以上に忙しい人は五万といる。そう思うと忙しいと言ってはいけないし、現在の学生の指導のみに満足することなく地域とか協会の役に立つ仕事が出来る今を喜ぶべきだと感じる。ただ、仕事をするのはいいのだが我がチームの指導・我が本業・親子の会話・夫婦の会話はさぼってはいけないとは思う。ちなみに今年の我がサッカー部のことを話しすると、有望選手が大量入部してくる。Jチームに入団する寸前まで行った選手や国体代表選手・高校選手権県代表選手・10人以上の身長180cmOver選手・代表にはならなかったが能力の高い選手といった個性派が揃う。しっかり指導せねば。

そして今年はもうひとつ大きな行事がある。2006年兵庫国体である。監督:黒田和生(滝川第二高校サッカー部監督) ヘッドコーチ:昌子力 コーチ:菊池彰人(ヴィッセル神戸) GKコーチ:山根誠(関西学院高等部サッカー部監督) アシスタントコーチ:前田信利(吉川中学校サッカー部監督・兵庫県3種技術部長) 小森康宏(滝川第二高校サッカー部コーチ)庶務:藤本憲幸(明石養護学校) と言うスタッフで地元国体の至上命令に立ち向かうべく努力と研鑽の日々が加えられる。自チームの指導に加えて国体チーム、そしてJFAの仕事となればより一層の時間配分調整がないと家族の会話不足になりかねない。避けたいものだ。それでなくても娘は受験、息子は大阪。父ちゃん元気で留守がいい・・・と言う状況では困るわけである。

だから持って今年は足元を見てしっかり地に脚をつけ、今までやってきたことを振り返りながら着実に自分のものとして吸収し前進していきたい。驕れることなく着実に。

PS.
1年の計は元旦にあり。元は物事の始めを表す言葉。政治のもとである天子を元首、事業を起こした最初の人を元祖という。1年のはじめだから元日と言う。ちなみに元旦とは1月1日の朝のことを表すのです。